第一話【産めよ、増えよ、この地を満たしてみせろ】
山脈越えをしようとしたチノに凍え死ぬからやめてくれと懇願し、海側のルートを通って村に帰り着くと、これまで見たことのない数のかがり火が炊かれており、少し離れた場所からでもその明かりが分かる程だった。
「田舎の野球場かよ・・・」
社会人野球で夜間に地元の球場が使われると、その周辺だけが異様に明るくなって割と離れた場所に居てもやってるなーと判別できたことを不意に思い出す。
普段は見張りも居ない崖沿いに敷かれているバリケードに十数人もの男衆が見張りについていた。
明るい場所からだとこちらの様子が見えないため、チノの足音が聞こえた途端に皆が身構えたが、明かりの範囲内に入った途端に武器を下ろした。
「帰ったばい」
「よっ、ただいま!」
チノ首に結われたロープを伝って背中から降りて声をかけると、男衆は雄叫びを上げた。
「族長が帰って来たぞぉー!」
「カズヒサも一緒だぁぁぁぁあぁぁぁぁ!」
男衆の内の何人かが勢いよく馬に跨って駆け出すと、俺とチノの帰還を大声で叫びながら村中に知らせていた。
「うわっ!」
チノに服を咥えて持ち上げられると、バリケードの内側に下される。それに続いてチノも跨いで入ってきた。
「二人とも無事やったや!」
駆け寄ってきたゲレルに力強く抱きしめられる。
「ほんなごて良かった! ケガはしとらんや?」
「おう、見ての通りピンピンしてるよ。ゲレルのおっさんこそ、ぶっ飛ばされてたけど大丈夫か?」
「こがんとケガした内に入らん、ただの擦り傷たい。唾ば付けとくぎ勝手に治る」
痛々しく包帯を巻いた腕と額を、ゲレルは陽気に叩いてみせる。
「とにかく、お前が無事で良かった」
そう言って背中を力任せに叩くと、ゲレルはチノと目を合わせた。その瞳は細められどこか悲し気だった。
「チノ、すまなかった。おいが不甲斐なかばっかりに・・・」
その言葉にチノは瞳を閉じて首を横に振った。
「ううん、今までうちの我儘に付き合わせてごめんね。ありがとう」
「そうか・・・」
感慨深そうに頷き、上げられたその横顔は少しだけ笑っているようにみえた。
「こがんとこで話してもしょうがなかけん村に戻るぞ。チノも人の姿に戻った方がよかにゃ。カズヒサ、チノの服ばうちのドゥルグーンの奴に渡せ」
「あぁ、奥さんに渡せば良いんだな。ゲレルのおっさんは?」
「おう、そいでよか。おい達はかがり火ば片付けてから戻っけん、先に行ってよかぞ」
「なら、そのかがり火もったいねえから、風呂の窯に入れてくれると助かる」
出ていく前に湯を沸かしてはいたが、とっくにぬるくなってしまっているだろう。せっかく完成したのだから今日入りたい。
「なんや、今から入るとや?」
「あぁ、皆も身体拭く暇なかっただろ? せっかくだし皆で入ろうぜ。まぁ、全員は無理だから順番になるけど」
「そいぎ、そがんするたい」
ゲレル達が片付けをしている間に役場前で荷を降ろす。ゲレルの奥さんと着替えに行ったチノが戻ってくるまでにアンフィビアン卿から貰った物品を帳簿に記入する。
物品の種類が少ないのとソルとフイテンが手伝ってくれたため、あっという間に片付いてしまい、記録を取り終えるとほぼ同時に人の姿に戻り服を着たチノが戻ってきた。
「お、戻って来たか。こっちも丁度終わったところだ」
「お、お疲れ様」
「風呂が沸くまでもう少し時間がある。相談があるんだけど、ここだとあれだから役場の中に入ろうぜ」
「う、うん」
ソルとフイテンから帳簿と筆記具を受け取り、二人で役場の中に入る。
「片付けるからそこに座っててくれ」
「うん・・・」
道具を定位置に治し、椅子を持ってチノの正面に座る。
「一つ確認なんだけどさ、モングール族ってどうやって結婚するんだ?」
「え、えぇ! け、結婚?」
「そう結婚だ。ほら、両親からの許可だったり、親同士が勝手に決めたりとかあるだろ?」
「う、うん。親が相手ば決めることもあるし、自分たちで決めて親に話ばつけることもあるばってん・・・どちらにせよ親の許しば絶対に貰わんぎいかんね」
チノも年頃であるせいか、結婚の話となるとやはり気恥ずかしくなるようで、頬を赤らめて問いに答える。
「なるほど。じゃあ結婚式だったり、結婚の儀式だったりやるんだよな?」
「う、うん。昔は一組ごとに盛大に宴席ば設けよったごたばってん、今はそがんことばする余裕もなか。そ、そうけん、うちらの聖地ハルツァガの麓で宴席ば開いてその年に結婚する者たちば、まとめて祝うことになっとる・・・」
「よし、じゃあそれを近々開こう。必要な物は何だ?」
「え、えっ?」
準備が大変なのか、チノは慌てた様子を見せる。
「・・・結婚式で必要かとは刺繍ば入れた花嫁衣裳と嫁入り道具。それとその、し、子孫・・・繁栄と魔除けば祈願する刺繍ば入れた帽子と上着ば作って相手に着せんぎいかん」
「それってどれくらいでできるんだ?」
俺の祖母さんも刺繍を趣味でやっていたため、かなり時間がかかるのは何となくわかる。
「ど、どれぐらいって、花嫁衣装と道具は小さか頃から作らされるばってん、相手んとは採寸からせんぎいかんけん、三週間くらいかかるっちゃなかかな・・・う、うちなんて花嫁衣裳すらできとらんし・・・」
「それじゃ、納税を終えたら結婚式を開くことにしよう。それで今回結婚する夫婦も、今居る夫婦達もなんだけど、食料の方はどうにかなりそうだから子作りを解禁したいと思う」
この提案にチノは目を見開く。
「い、いやいや、まだ一年ばい? いくらなんでも早かっちゃなか?」
「いや、そろそろ子供を作っていかないと将来に関わるから、なるべく早い方が良いと思うぞ? 年寄りだらけになったら取り返しがつかなくなるからな」
「そ、そうばってん・・・」
チノは耳を真っ赤にして俯く。やはりこういったセンシティブな話を皆にするのは勇気が要るのだろう。
「そうと決まればレトリアに行って、納税が終わったら結婚式を開こう。だいたい一ヵ月後くらいになるかな」
「わ、わかった」
レトリアまでの道のりは二週間程かかる。往復となれば一ヵ月はかかるから、丁度良い準備期間になることだろう。
「それじゃ、男衆には俺から言っておくから、チノは女性陣に話しといてくれ」
「うん」
結婚式といえば料理が重要だ。順調に鶏の数も増えてきているため、この際に記念で食べるのも悪くない。
それにこれからは面白イベントが続くと考えると楽しみで仕方がない。日本と違いエンタメに乏しい環境でネタを作るには、色恋沙汰が手っ取り早い。ハワルたちの告白に始まり、難関である両親への挨拶と続くのだから、ここしばらくは退屈しなくて済みそうだ。
そこまで思考が廻った時、ふとくだらない疑問が降って湧いた。
「そういえば、あと何年もすればチノも誰かと結婚するんだろうけど、その時は誰が許しを出すんだ?」
「え?」
その問いにチノは、突然ぽかんとした表情になる。
「もう一年間も一緒に居るわけだしな。俺が親父さんの代わりに許しを出すか! これでも人を見る目は確かなんだぜ?」
「う、うーん、カズヒサに許しば貰ってもしょうがなか気がすっばってんね・・・」
チノは突然の提案に苦笑いし、言葉を詰まらせる。
「それもそうだな。モングールの男に悪い奴はいねえし、許すもなにもねえか」
椅子から立ち上がり、ドアを開ける。
「そろそろ風呂も沸く頃だから行くとしようぜ」
「うん・・・そうやね!」
俯いていたチノは顔を上げると、いつもと変わらぬ笑顔でそう答えた。役場を出た俺たちはアンちゃんから貰ったシャボンを手に浴場に向かったのだった。
***
身体を洗うために大量の湯が流されては排水溝へと流れていく。
「湯船に入る前に身体をよく洗うんだぞー!」
元々、モングール族は浴場を持たず、温泉があればたまに入る民族であるため、風呂の入り方をそれぞれが知っているわけではない。そのため、お風呂の入り方から教える必要があるのだ。
「ガル、ムス! 滑って転ぶから風呂場では走るなって言っただろ!」
「「はーい!」」
滑りにくいようにタイルにはマット釉でザラザラにしてあるが、濡れていれば滑らないとは限らない。
高齢者と幼い子供たちの入浴を終え、ようやく大人がゆっくり入れる時間となった。まぁ、今回はわざと成人を迎えた者達に待つよう伝えたのわけなのだが。
「はぁ・・・極楽だぜぇ」
最後にお湯に入ったは、アンフィビアン卿と面会する前日に温泉以来である。しかもその時は手作りの石鹸だったため、泡立ちもそれほど良くはなかった。
だが今回は違う。体を洗うのに使った高級品のシャボンは泡立ちが良く、それにすごく良い匂いがする。まさに命の洗濯と言っても過言ではなかった。
「そいにしても、ほんなごて作るとは思わんやったぞ。尻尾が濡れるとば除けば、風呂も良かもんたい」
隣に座ったゲレルが感心した様子で声をかけてくる。シャツの上から見ても良く分かっていたつもりだが、その筋肉は威圧感さえ感じさせるすごみがあった。
「だろ? 肉体労働者に風呂は必須なんだよ。これでようやく、ベタつく肌ともおさらばできるってわけだ」
身体を拭くだけというのも限界がある。洗い流すわけではないため、湿度が高いと身体に残った汚れでベタついたりする。これからは汗疹などの皮膚病を防ぐことができるだろう。
脚を伸ばして湯船でくつろいでいると、体を洗い終わったハワルが隣に座った。
「カズヒサ、さっきおい達に残っとけって言いよったばってんなんかあるとや?」
「あぁ、そうだ。気持ちよすぎて忘れるところだった。おーい、皆に大事な話があるから聞いてくれ!」
皆の視線を集めるために湯舟の中で立ち上がり、浴槽の縁に座る。
「明日から三日間の予定で納税の準備をやるんだが、今回は子育てが落ち着いたおっさんと、十四から十七歳くらいの奴等を中心にやっていこうと思う」
「なんや、おいは何もせんでよかとや?」
「そうだ。何だったら俺たちが納税の物品の準備している間、一番忙しいのはお前らだぞ?」
「は?」
忙しいという言葉に反応し、ハワルは怪訝そうな表情になる。
「よく聞けよ。今年の収穫量から納税で納める分を引いたものが俺たちの取り分だ。その取り分は一年分の俺たちの食料になる」
「そりゃそうやろ」
「口挟んでねーで最後まで聞けって。それで、この一年分の食料から俺たちが次の収穫までに食べる分を引いても、ある程度は余裕があるっていうか余るんだよ。はい、ここで話したがりなハワル君に問題です。これは何を意味するでしょうか、五秒以内に答えてください」
「え、え? 腹いっぱい飯が食える? は、違う?」
カウントダウンを刻む間にいくつか間違いではないが本質をついていない解答があったが、すべて首を横に振ってやった。
「まぁ、間違いではないが正解でもないな。じゃあ、一年前の事を思い出してみ。ここに来た時、俺は皆に何を約束した?」
湯船に浸かる男衆たちは各々が記憶を辿り始める。そして最初にゲレルが噴出して豪快に笑った。
「ほんなごてか、カズヒサ?」
「お、流石はゲレルのおっさんだな。俺は約束は守る男だぜ?」
「そうか・・・お前にはほんなごて感謝しかなかぞ・・・!」
ゲレルは掌でお湯を掬って顔を洗う。そして目に水が入ったのか掌で目を押さえつける。その様子を見た皆も流石に察しがついてる様子だ。
神様って奴を信じてなかった身で言うのはあれだが、俺の生まれ育った世界で信じられてる神様の言葉を借りるとしよう。
腰を上げて立ち上がり、深く息を吸う。
「これまで繁栄という尊厳を奪われながら、一族の誇りば捨てんでによう耐えた! こいは始まりたい。こっからは、歴史ん中で奪われたもんば全部取り戻す! 手始めに去年お前らと交わした約束ば今果す! 腐れ童貞どもには嫁を、爺さんとおっさん達には孫の顔ば見してやる」
こちらに注視している皆に拳を突き出して高らかに叫ぶ。
「時は来た! 産めよ! 増えよ! この地を・・・満たしてみせろ、モングール!」
肺の中の空気を吐き出し切ったことで息が荒くなり、静寂の中で自分の呼吸音を三度聞いたその次の瞬間、浴場の壁が割れるのではないと錯覚するほどの大歓声が鼓膜を劈いた。
立ち上がった若者たちは喜びの中で雄叫びを上げる。
それとは対照的に、老いた者達は静かに涙を流した。まるで背負い続けていた重圧から解放されたかのように。




