第十九話【悪戯好きな少女】
風が頬を叩き、眼下に広がる大地はあまりにも遠い。
依然として竜は夕日を背に飛行し続けている。
竜も爬虫類と同じで変温動物なのか、万年雪を被った山脈越えは流石に厳しいらしい。
村を出て一度の会話もなく沈黙が続いている。質問したいことはいくらでもあるのだが、前に座らされ手綱を握る手を回されているため、バルサルクの表情を見ることができず、声をかけるタイミングが掴めずにいた。
にしてもデカい。鎧を身に着けているとはいえ、尋常ではない腕の太さであることは理解できる。そういえば子供の頃、祖父さんにもこんな状態で農耕馬に乗せてもらったことがあったなと不意に記憶が蘇った。
密森を抜けて海沿いに出て、山脈を左側に進んでいた時、ついにバルサルクによって沈黙が破られた。
「君はいったい何をしたんだい?」
予想外の問いに言葉が詰まるが、その言葉の真意を考えながら返答する。
「えっ・・・思い当たる節が無いですね。バルサルク殿はご存じないのですか?」
塩作りや、国獣である天虎の討伐など森に来てやらかしたことはいくらでもあるが、わざわざ自分から自白する必要もないため、嘘をつくことにした。
「罪人として捕らえよ。これが私に殿下が下された命だ」
「理由はお聞きになってないのですか?」
「聞いたが、早く行けとしかおっしゃられなくてね」
背後から大きい溜息が聞こえた。
「君も知っての通り、殿下は普段から問題ばかり起こされるお方だ。だけど、間違いを起こされる方ではない。だから私は殿下の命に従うことに躊躇することはないよ。例え君が殿下の友人であろうとね」
そこで会話は途切れた。日没を迎え東の空には星が瞬いている。暗い大地にはぽつぽつと明かりが灯り、人々の暮らしを感じさせた。
***
その中でも一際大きな輝きを見せる街を目指して、飛行を続けること一時間半。俺は十ヵ月ぶりにレトリアの地に降り立った。
アンちゃんの屋敷にある広い庭に飛竜は着地し、俺はバルサルクに抱きかかえられて竜の背から降ろされる。
なんとも情けない降ろされ方であるが、文字通り地に足が着いた感覚に安堵していると背後から声をかけられた。
「ただいま戻りました、殿下」
「うむ、大儀であった。おぉカズヒサよ、久しくぶりだな。はるばる良く来た!」
出迎えてくれたのは赤と黒を基調としたドレスを身に纏ったウルスラだった。
「この出迎え方ってことは、こいつは外してくれそうだな」
ウルスラに向けて腕を上げ、嵌められた手枷をアピールする。
「あっはっは! 悪かったのう。おいバル、外してやれ」
「かしこまりました」
バルサルクの手によって手枷が外される。数時間ぶりに自由になった手首を曲げ伸ばして肩を回す。
「ここで立ち話もなんじゃ、中に入ろうぞ」
「あ、あぁ」
ウルスラは踵を返して扉の開け放たれた建物の方へと歩き出した。
「デカいな・・・」
「そうじゃろう、アンちゃんが催す祭りでは象が入っておったからな」
象が余裕に入る程巨大な扉をくぐると従者によって閉じられた。ご丁寧に逃がさないためか、扉の大きさに見合う閂が嵌められる。
中を進むと教会のように等間隔に椅子が並べられ、中央には赤いじゅうたんが走り、高砂へと続いていた。
「あら、いらっしゃいカズヒサちゃん」
「ご無沙汰してます。アンフィビアン卿」
本来、領主が座るであろう豪奢な椅子のすぐ傍らにアンちゃんが立っている。
「苦しゅうないぞ」
ウルスラは一段高い高砂に上ると、ドサリ無遠慮に椅子へ腰かける。後に続くバルサルクは、アンちゃんと対極の位置に立った。
「それじゃあ、そろそろ俺をここに呼んだ理由を教えてくれないか?」
「まぁ、そう慌てるでない。本題はもう一人の主役が来てからでも遅くないからのう」
「主役・・・もう一人? なに言ってんだ?」
クツクツと笑うウルスラは、肘掛にもたれて頬杖を突く。
「一週間程前、巨大な魔力が凄まじい速度で大陸の北へと通り抜けていった」
「魔力・・・?」
言っている意味が解らなかった。
「その巨大な魔力が今ここに向かっておる・・・バルよ」
「はっ!」
バルサルクは背負っていた盾を手に扉の方へと歩き出した。
「来る、伏せていたまえ」
そう言って俺の肩を掴むと、有無を言わさず椅子の影へと突き飛ばした。
「はっ? お前ら何を―――」
次の瞬間、閂が真っ二つに折れ、巨大な扉が弾け飛んだ。
飛んできた扉を盾ではなく掌で受け止め、指を食い込ませて掴むと即座に投げ捨て、盾を前方へと構え直す。
舞い上がった土煙が騎士を飲み込んだその瞬間だった。鈍い音が響き、煙を突き破ったバルサルクは、石の壁を粉砕し外へと吹き飛ばされた。
ゲレルをいとも簡単に投げ飛ばした巨漢バルサルクを吹き飛ばした者が煙の中に居る。押しつぶされそうな空気、皮膚が焦げ付くこの感覚が殺気であるということは容易に理解することができた。
低い唸り声。土煙が膨らみ限界を迎えて爆ぜた瞬間、それは現れた。
逆立った白銀の毛、紅い瞳。皺が寄った長い口元からは白い牙を覗かせる。
それはあまりにも巨大な狼。その両目を見開き、唸り声を強めたその瞬間、突如強風が吹き荒れた。
窓ガラスが割れると同時に土煙は消失し、並べられた椅子や調度品などが風によって薙ぎ払われる。
そんな状況下にありながら、ウルスラは立ち上がる事すらせず、頬杖を突いたまま余興でも眺めているかのような笑みを浮かべ、威嚇を続ける白銀の狼と対峙し続けていた。
その時だった。白銀の狼が発するものと同等の殺気が突如出現した。
「うおぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
大気が震える程の雄たけびが鼓膜を劈き、外から瓦礫ごと壁が薙ぎ払われる。
「しぶてぇんだよクソガキが・・・ちっ、邪魔くせえ」
金具を外される度に轟音を立てて落ちていく鎧たち。整えられていた髪は乱れ、話す時以外は結ばれていた口は歪み、下品に笑っていた。
「急にクソガキの縛りが解けた思えば、お前だったか・・・糞犬」
バルサルクは鎧の下に身に着けていたチェーンメイルを引き千切って捨てると、盾を高く持ち上げて天地を反転させた。
盾から出てきた斧は床を砕き、その柄が握られる。
「あのチビもたまには粋な事すんじゃねえか。おら、遊んでやるからかかってこい馬鹿犬、昔みたいになぁ!」
その口調は、さっきまでのバルサルクと同一人物とは思えないものへと変貌していた。
「やめんか、この者は妾が呼んだのだ」
「はぁ? わざわざこの糞犬をか?」
「手を出せば、其方の願いは潰えるぞ。わかったら、その抜き身を仕舞うがよい」
「ちっ、つまんねえな」
バルサルクは斧を盾の中へと戻すと、すぐそばに倒れていた椅子を起こして不満そうにだらしなく腰かけた。
「うちの馬鹿がすまぬな、じゃがこれで客人も揃った。さて、名の多き客人を何と呼ぶとするか・・・神狼、風の王、草原の覇者、木枯らし、疾風、角落とし・・・」
口元を歪め、いたずらっ子のようにクスクスと笑う。
「ふむ、字名で呼ぶのも味気ない、妾も其方等に習って古き真名で呼ばせてもらうとしよう」
大げさで芝居じみた文言の後、少女は白銀の狼のことを確かにこう呼んだのだ。
「改めて歓迎しよう。よく来てくれた・・・ボルテ・チノアよ」
それはあまりにも聞き馴染んだ名前だった。
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