第六話【殺してでも生きる】
四肢を縛られて立ち尽くす牛は、ただ鳴き声を上げ続けている。
周囲にあるのは、収穫されて積み上げられた麦と、散乱した藁ばかり。
戸惑う牛は、桶に溜められた水を飲んでは糞尿を垂らし、身動きを取れない不満で抗議の唸り声を上げることを繰り返す。
通り抜ける風が揺らすはずの麦は無く、風が止むと同時に牛の唸り声が止まり、一瞬の静寂が訪れた。しかし、それが長く続くことは無かった。
牛が身震いを起こし、縄を断ち切らんと激しく暴れ出すのと同時に、黒い影を引き連れた突風が辺り一帯を襲う。
腹に響く地鳴り。金切り声に似た甲高い断末魔の悲鳴。噛み千切られた頸部から噴出する血液。
血の生臭い匂いが鼻孔を擽る。
「今だ! やれっ!」
「「「「「おうっっ!!」」」」」
掛け声とともに、槍が勢いよく地面から伸び、天虎の腹を貫いた。それと同じくして落ちている藁を跳ねのけて地面から飛び出した俺を含む数名で、天虎の大腿部を目がけて槍を突き刺す。
突然の奇襲、襲い掛かる激痛。すぐさま天虎は悲鳴にも似た声を吐き出しながら飛び跳ねて距離を取り、身をよじって己に刺さった物を抜こうとする。
「もう十分だ! 森の中に逃げ込め!」
天虎がこの状況を理解する前に、森の中へ退避した。しかし、天虎は俺達を追う事無く、牛を口に加えると助走をつけて飛び去ってしまったのだった。
「よっしゃっ!」
思わず拳を握り締め声を漏らしたが、それは皆も同じだった。
だが、これで解決したわけではない。
「って、喜んでる場合じゃねえ! 奴を追うぞ!」
「「「「「おう!」」」」」
そう、番のもう一頭も狩らなければ、この危機は終わらない。
コロ丸に滴った血の匂いを嗅がせ、天虎の後を追う。
コロ丸の後を馬に乗って追うこと三十分。馬から降りて崖を登ること一時間。
ここで地面に降り立ったのだろう、この場所から牛を引きずった血の痕が続いていた。
そこから血痕を追って歩くこと五分足らず。切り立った崖にある洞窟の近くで、天虎は力なく横たわっていた。
不規則に痙攣にもにた速度で腹を上下させ、必死に呼吸をする天虎。
「すぐ楽にしてやるからな······止めをさす。何人か洞窟の方の警戒を頼む」
天虎をこの苦しみに追いやった物の名は、鳥兜。
アルカロイド系の毒を持つこの植物は、人間が経口摂取した場合、嘔吐、痙攣、呼吸困難、心臓発作、不整脈を引き起こし、僅か数分で死に至らしめる程の即効性の猛毒を持っている。
死に至るには少し毒が足りなかったのだろう、横たわる天虎にはまだ息が有った。
だが、それは巣に帰らせるために量を少なく調整していたからだ。本来なら、このように瀕死ではなく、まだ立ちあがれる程度に弱らせるつもりだったのだが、使った毒が多すぎたようだ。
それにしても、この痛ましい姿を見るのは耐えがたいものがあった。たとえそれが自らが生き延びるための傲慢な理由であっても。
白目で口から泡を噴き出しながら荒い呼吸をしている天虎の頭を数人がかりで押さえつけ、ナイフで喉の皮を裂いて的確に頸動脈を斬り裂く。
勢い良く流出する血液が紅い水溜まりを作り、天虎の呼吸と鼓動は静かに消えた。
あとは、洞窟の中に居るであろう番の天虎を倒すだけだ。
「もう一匹を燻り出す。藁と焚き木を洞窟の中に投げ込んで燃やす。そして飛び出てきた所を罠で殺そう」
「「「「おう」」」」
既に藁の束の中には、煙を多く出すために乾燥させていない生の草と燃焼時間を長くするための焚き木が混ぜられている。
洞窟は入り口は一メートル程の高さの勾配がある数メートル上り坂であったが、すぐに急な下り坂になっているため、放り込むのは簡単だった。
洞窟の入り口から激しく煙が吐き出され、中からは低い唸り声が反響する。
煙の奥から天虎が飛び出してこないか用心深く注意しながら、煙を奥へと流し込むために、火が付いている麦藁の束を洞窟の奥へ次々に投げ込んでいく。
パチパチと微かな藁が爆ぜる音と、低い唸り声。
我慢の限界に達したのか突然、風の魔法が放たれ、洞窟内から吹き狂う突風が煙を押し出した。
微かに感じる地面の振動が、天虎が洞窟内の傾斜を駆け登ってきている事を示している。
「来るぞ! 全員下がれ!」
吐き出され続ける煙が突然膨らみ、それを突き破って勢い良く天虎が飛び出す。
しかし、すぐに地面に転がりながら、悲鳴染みた甲高い鳴き声を天虎は上げた。
「煙で視界が悪い上に、勢い良く登り坂を駆け上がってくりゃ気付けねーよな!」
のた打ち回る天虎の腹には、複数の槍が突き刺さっている。
飛び出して来るであろうポイントに予め槍が立てかけられており、天虎が飛び出す自らの勢いを利用して、槍が突き刺ささるようになっていたのだ。
当然、その槍の切っ先にはトリカブトの毒が塗られており、致死量に至るには単純計算で二本も刺されば十分だった。
天虎はゆらりと立ち上がると、身体を低くして威嚇の構えを取るが、すぐに口からは吐瀉物が溢れ出し、前足から崩れ落ちる。
一頭目の天虎とは違い、槍の切っ先に塗られた毒の量を増やしているのだから、それは当然のことだ。
コンマ五グラム経口摂取しただけで人を数十秒で死に至らせる即効性の猛毒が、天虎の体内に直接ねじ込まれ、粘膜やリンパ、血液循環を通してそれが全身に回っていく。
既に時間の問題だった。人間との体格差を考えても二分と立っていることができないどころか、これ以上意識を保ち続けることすら困難である。
天虎から発せられていた唸り声が消え、勝利を確信した。
天虎はどうにか身体を動かし、横たわるパートナーに歩み寄ると鼻先を一度合わせ、額と額を擦りつけた。
それはまるで最後の別れの様だった。
痙攣する四肢、言う事を聞かない身体に鞭を打ち、天虎は必死に洞窟の中へと向かう。
前足の踏ん張りが効かずに傾斜を転げ落ちるも、それでも奥へと進んでいく。
すでに洞窟の中は燃えるものが無くなったのか、煙が薄くなっていた。
「後を追う。光石を灯して付いてきてくれ」
斜面を下り、天虎の後を追う。肌寒い洞窟の中は血と獣の匂いが立ち込めていた。
奥に進むに連れて、先程の天虎とは全く別個体と思しき鳴き声が大きくなってくる。それはまるで、母親に甘える仔猫のような鳴き声だった。
苦しく荒く、そして甘い息遣いが鼓膜を擽る。
「やっぱり、幼獣が居たのか」
光を当てても、こちらに興味を向ける素振りは一切見せず、必死に幼獣の身体を舐め続けている。良く見ると天虎の視点はもう合っていないように見えた。
聞こえる鳴き声を頼りに、天虎は目も開いていない三匹の幼獣の身体を丁寧に舐め続ける。
幼獣の身体からは臍の緒が伸びていて、胎盤も確認することができた。
寝床側ではなく、こちら側に胎盤が落ちている事から、出産を終えた直後に飛び出して来たことが伺える。
俺達は、その光景を目の当たりにして目を逸らすことができなかった。子を残して死に行こうとする天虎を前にして、目を逸らす権利を持つ者など誰一人としていなかったからだ。
天虎は力なく頭を下げ、静かに息絶えた。荒く苦し気な呼吸音は消え、ただ幼獣たちの鳴き声が洞窟内で反響し続けていた。




