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農大生の俺に、異世界の食料問題を解決しろだって?  作者: 有田 陶磁
第一章 草原の月 狼の少女
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第五話【月下の雫】

第五話【月下の雫】



 市壁の外で待っていた皆の下へ戻ると、通常の物より簡易的なゲルが密集して建てられ、焚き火の明かりが疎らに輝いている。


 当然、俺とチノのゲルはいつもと同じように、羊の柵を挿んだ場所に設営されていた。

 以前、なぜ皆と固まってゲルを建てないのかと聞いたことがあるが、チノは困ったような表情になり、羊を守るためにある昔からの習わしだとしか答えてはくれない。


 あの部屋の中で起きた事の顛末を聞いたゲレルは、俺に怒りを向ける事は無かった。

 ただ、その岩のような拳をさらに固く握りしめて言われた言葉は、明日払う税の準備はやっておく、お前はチノをどうにかしろ、の二つだけ。


 荷馬車で俺達を送り届けると、ゲレルはその去り際に、チノを止めてくれて感謝しとる、と言い残して皆の方へと去っていった。


 俺は泣き疲れて眠っているチノを腕の中に抱え、その小さくなっていく荷馬車を見送った。

 用意されていたゲルの中に入ると、やはり簡易用のためか暖房器具の類は準備されておらず、その替わりに何枚もの毛布がベットの上に用意されていた。


 チノをベットの上に降ろし、寝苦しくないよう上着を脱がせて、用意されていた分の毛布を全て、寒くないように上から被せる。


 小さな寝息が鼓膜を擽る。きっと、何度も擦ったのだろう。目の下は白い頬とは対照的に紅く染まっていて、これ以上チノの寝顔など見て居られるはずもなかった俺は、床に置かれていた籠の中から馬乳酒と干し肉を手に外へ出た。


 見慣れてしまった大きな月。初めてこの世界で目覚めたあの日も、今日と変わらない満月だった。

 あの日から変わってしまったのは、広大な草原の海が、地平線まで続く麦畑になったことと、泣いているチノに声をかけれなくなった自分だけだった。


「はぁ······どうすりゃ良かったんだよ······」


 あの場でチノを優しく窘めていたところで、フランツは俺の話に耳を傾ける気にはならなかっただろう。

 だからと言って、流石にあの言葉はチノに投げつけるべきではなかったのだ。


「獣人風情······か······」


 だが、その言葉がなければ今頃、この拠点に居るモングールは帝国の軍に皆殺しにされていたのだ。

 俺はゲルからそう離れていない場所で、地面にそのまま腰を下ろし、空に昇ろうとしている月を眺めて考える。

 あの紅い瞳は何だったのだろうか。あの瞳を見た瞬間、俺の背筋は恐怖に凍り付き、本能的に止めなければと思った。


「ボルテ・チノア······」


 チノの話によると、モングールの始祖とされる神話上の狼の名が、代々族長に引き継がれてきたとの事だった。


「こうなるんだったら、市場で強い酒でも買っておけば良かったな······」


 手に握る革袋の中に入った馬乳酒を飲み干したところで、ほろ酔いにすらならないだろう。

 そう思いつつも、器に馬乳酒を注ぎ入れて、一気に飲み干さずにはいられない。


 酔って忘れたい。脳裏に焼き付いてしまった、絶望に満ちたチノの泣き顔から逃げたくて仕方がなかったのだ。


 満ちていた器を何度空にしただろうか。口の中が甘ったるくなる度に、薄い塩味がする干し肉を齧り、さらに器を煽る。

 そして更に何度か器を空にした時、背後から声をかけられた。


「カズヒサ······?」


 心臓が止まりかけた。背後に居る少女にどんな顔を向ければ良いのか分からないからだ。


「······チノか······もう起きて大丈夫なのか?」


「うん、もう大丈夫やけん······心配ばかけて······ごめんね」


 すぐに途切れてしまう、ぎこちない会話。


 それは、顔を見る勇気すら無い俺が、チノに背を向けたまま話しているのだから、当然の結果だった。


 だが、俺はチノに酷い言葉を言ったことを謝らなければならないのだ。これはこの世界で生きていくには絶対に避けては通れないし、何よりも、チノをあの絶望に満ちた表情をこれ以上見たくなかった。


「チノ······」


 俺は、意を決して立ち上がりチノの方へと振り返る。


「俺、あの時お前に―――」


「ごめんなさいっ!」


 俺の言葉を遮る謝罪の声。


「えっ······?」


 目の前にある、深々と下げられた頭が上げられる様子はない。

 いったい俺は、何を謝られているのだろうか? 俺の言葉を聞き入れる気は無いという意味なのだろうかと考え始めた時、ポツリ、ポツリ、とチノは話し始めた。


「あの時······うちば止めてくれんやったら今頃、一族の皆は誰も生きとらんやった······うちは族長失格たい······」


 チノは顔を上げて俺を見つめる。その瞳には涙を溜め、月明りに照らされて歪な輝きを放っていた。


「うちは、帝国に父さんと母さんば異端審問にかけられて、皆の前で見せしめに殺された時に誓ったとよ······」


 必死に溢れないように耐えていた瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「簡単に人ば殺す帝国の人間のごとならんって······それでも、うちは······帝国の人間ば皆殺しにしてやろうって思ってしまった······!」


 チノは耐え切れずに両足を折り、両目に手を当てて地面に座り込んでしまう。


「同じ人間にはなりたくないと思っとった······でも結局うちは、簡単に人ば殺す帝国の人間達と、同類やったとよっ!」


 チノは息を切らしながら叫ぶと、零れ続ける涙を、袖で強く拭った。


「何よりうちが許せんとは······信じるって決めたカズヒサば疑ってしまった自分自信たい! カズヒサはうちば黙らせるために、獣人は喋るなって言った······その時のカズヒサの顔が辛そうやったとはうちも分かっとる······それでも、うちは怖かったとよ······」


「······ごめん」


「違う、カズヒサが謝ることじゃなか! 謝るとはうちの方たい······うちはカズヒサが帝国の人間になるっちゃなかとかって······カズヒサはやっぱり普通の人間の方が良くて、うちら亜人は嫌いなんじゃなかろうかって······うちは見捨てられたとやろうかって、疑ってしまった自分が情けなくてしかたなか······」


 何度も、何度も、何度も、何度も、チノは袖で涙を拭う。それでも一向に、瞳から溢れてくる涙は止まる気配は無かった。


「······」


 目の前で震えて泣いている少女に、俺はなんと声をかけるべきなんだろうか。

 なんとなく生きてきた俺とは違って、チノの両肩には凄まじい重圧が掛けられている。そんな俺達の間には、世界という大きな壁が立ちはだかっているのだ。


「情けねえのは俺の方じゃねえか······」 


 生きてきた世界が違い過ぎる? 俺はいつからそんなカッコつけたこと考える人間になったんだ。

 その涙に理由があるのなら、それを全て否定してしまえば良いだけじゃないか。


 酒を飲んで上機嫌になった祖父さんが言っていただろ。泣いている女がいたらつべこべ言わず抱きしめてやれって。


―――何を······何をビビってるんだ俺はっ······!


 一歩目を踏み出す勇気を捻り出すには時間が掛かった。だが、二歩目はすぐだった。三歩、四歩と続き、そして俺は泣き崩れているチノを勢いのままに抱きしめた。


「お前は帝国の人間とは違う! ボルテ・チノアは、仲間を守るために戦おうとしたんだろうが!」


 俺の言葉に、その長く白い髪の毛が微かに逆立った。細い腕は背中に回され、俺の上着を強く握り締める。


「でも、でもっ······!」


「でもがあるか! 権力を振りかざすために殺すのと、仲間を守るために殺そうとすることが、お前は一緒だって言う気かよっ!」


「そんなの······うちには、分からんよ······!」


「なら、俺が教えてやる! お前は間違ってない、仲間を守りたいと思うのは普通の事だろ!」


 チノは俺の胸に額を押し当てる力を強め、震えながら反論する。


「でも、うちは誓いば破った······それだけじゃなか、うちは······カズヒサば疑ってしまったとばい······? それは······それだけは、許される事じゃなかろうもん!」


「誓いを破った? それなら、また誓い直せば良い話だろ! 俺を疑った? それならまた、俺を信じてくれれば良いだけだろうが!」


 俺は深く息を吸い、チノを叱りつける決意を固めて口を開く。


「お前が間違っていたのはたった一つ。俺を、疑われたくらいで、お前らのことを嫌いになるような器の小せえ男だと、勝手に値踏みしていたことだ!」


 たったそれだけの事を言いきっただけで、息は切れ切れになってしまっていた。


「ごめん······なさい······!」


 俺の息切れの中に、チノの声が微かに混じる。


「······いや、疑われるようなことを言った俺も悪かったんだ。もっと俺の頭が良かったら、きっとチノを泣かせずにすんだんだ」


「違う······そんなことはなかっ!」


「違わないさ。俺はチノと顔を合わせるのが怖かった。もう話してはくれないんじゃないかと思ってた。だから俺も、チノを一度疑ってるんだよ。つまり、お互いさまだ」


 あの時からずっと言いたかった気持ちを、やっとチノに伝えることができる。


「チノ、酷いこと言って本当にごめん······」


 泣かずに言うことが、俺にできる精一杯だった。


「何で······カズヒサが謝るとよ······うちが、うちが全部悪かとけ······」


 俺の服を握る手の力が強まり、チノはさらに身体を密着させ、押し殺していた泣き声を上げて一心不乱に泣き始めた。


 時折混じる、ごめんさい、という謝罪の声。その度にチノの身体を抱きしめる、腕の力が強まってしまう。


「怒ってねえから、そんなに謝るなよ······俺の方こそ、怖い思いさせてごめんな、チノ」


 以前に抱きしめた時にも思ったが、やはりチノの身体は華奢で今にも壊れそうな儚さを感じずにはいられなかった。


 過呼吸になりかけて苦しそうに息をするチノの背中を、一定の間隔で軽く叩き、もう片方の手で月明りに照らされて輝く銀色の髪を撫でる。


「もう大丈夫だから落ち着けよ······な?」


「······」


 チノは無言で頷くが、結局のところ呼吸が落ちついて喋れるようになるまで、月が動くほどの時間を要したのだった。


「もう大丈夫か?」


「うん、ごめんなさい······」


「だから、もう謝るなって言ってるだろ?」


「······ごめんなさい」


 この様子だと何度言っても同じ結果になると思った俺は、これ以上追及することを止めた。


「ったく······明日の朝は早い。寝坊したくなかったら、さっさと寝るんだな」


 俺はチノの頭を軽く数回叩き、離れるように促す。しかし、首は横に振られ、回していた腕の力を、チノは強めたのだった。


「······うちは、もう少しだけ、こがんしときたかとばってん······駄目やろうか?」


 上目遣いで向けられる潤んだ瞳。

 そんなことをされて、俺が断れるはずがない。


「しょうがねえな······」


「カズヒサなら、そがん言ってくれると思っとったばい?」


 チノは嬉しそうに頬を埋め、負けを認めた俺は、諦めたようにその小さな背中を摩ったのだった。


「また誰かに抱きしめて貰えると、うちは思っとらんやった······」


「何言ってんだよ。頼めば誰でもやってくれるだろ?」


 俺の問いにチノは、シュンと耳を折り畳み、再び首を横に振った。


「皆は、うちの事ば怖がっとるけん、こがん事は誰もしてくれんよ······」


「そうか······」


 その理由を聞きたかった。だが、その質問をしてしまえばきっと、チノは悲しい顔をしてしまうだろう。俺はこれ以上この少女の悲しげな表情を見たくはなかった。


「······理由ば聞かんでくれるカズヒサは優しかね。でも······これだけは、もう少し待ってくれんやろうか?」


 そこまで言ったチノは、顔を上げて俺と目を合わせる。


「ちゃんと話す勇気ができたら······カズヒサに教えるけん······それでよか?」


 確信犯なんだろうかと疑いつつも、俺は縦に首を振る他に選択肢は用意されてはいない。

「······俺もチノも人間なんだ。人に言えない秘密の一つや、二つ、誰にでもあるだろ? だから、俺は待つよ。チノから話してくれるその時まで」


「ありがとう、カズヒサ······」


 チノは何度目か分からない強い抱擁をし、頬を胸に押し付ける。


「カズヒサの腕の中は落ち着くばい······」


「そうかい、そいつは良かった」


「うん······お父さんのごた······小さか頃はよく、眠るまでこがんして貰ったとよ」


 そこはかとなく釈然としない【お父さん】という単語が胸に突き刺さる。


「お父さんって······俺とチノは六つしか変わらんだろうが」


「そう······やねぇ······」


 気が付くと、俺の衣服を掴んでいた掌は力無くずり下がり、頭はユラユラと揺れていた。


「ったく、お前を寝床まで運ぶのは、これでいったい何度目だ?」


 これではまるで、本当に父親のようではないかと、呆れながらそう呟いたが、自然と俺の口元は笑ってしまっていた。


「まぁ、これはこれで悪くないのかもしれねえな······」


 完全に眠ってしまったチノを見て、俺は柄にもなくクスクスと笑ってしまう。

 なぜならそこには、族長だ、皆を守るんだ、と常に気を張っているチノが見せる、今日一日の疲れに襲われて眠るその寝顔が、そこらに居る少女となんら変わりは無いのだから、笑うなと言う方が無理な話だ。


 人を抱きかかえて立ち上がることに慣れてしまった俺は、その一連の動作をスムーズにこなして、腕の中で眠る少女をゲルの中にあるベットに横たわらせる。


「世話の焼ける奴だな······こいつは」


 寒くないように毛布を被せて、眠っているチノの頬を一度だけ撫でる。


 娘ができたらこんな感じなんだろうかと軽く想像してみるが、人生で一度も恋人ができたことのない俺は、すぐに無駄なことだと気が付いて、逃げるようにゲルの外へ出た。


「明日は、忙しくなるな······」


 育てる野菜の種、農具、食料、その他諸々と買い揃えるべき必要な物は大量にある。それに、耳を気にして市場を歩いていたチノに買ってあげたい物もあった。


 残り僅かになった馬乳酒の革袋を拾い上げ、残りを直接口に付けて一気に飲み干した。


「ふぅ······俺もそろそろ、寝るとするかねぇ」


 置いていた器を拾い上げてた時、この目に入った美しい月に俺は祈らずには居られなかった。


「明日は、チノが笑えますように」 


 短い祈りの言葉を捧げて、俺はゲルの中に入り、風が入らないように入り口の幕を降ろし、簡素な敷物が敷かれただけの床に寝転って、余った毛皮を適当に被る。


 チノと同様に俺も相当疲れていたらしい。横になった途端に猛烈な眠気が襲い掛かってきた。

 そんな睡魔と戦いながら寝返りを打ち、暗がりで見えないが、そこに確かに眠る少女に目を向ける。


「もう······泣かせない······からな······」


 口から零れ落ちる誓いの言葉は、虚空へと消えていく。

 それと同時に、俺の意識も睡魔に負けてしまい、夢の中へと飛び立ってしまったのだった。




 拝啓、家族のみんなへ


 こっちの世界は税金が高くて困ってます。


 どれくらい高いのかと言うと、一度の取り立てで一つの民族が滅びかねないくらい高いです。


 それと、女の子を泣かせてしまいましたが、祖父さんの格言のおかげで、どうにか現状を打破することができました。


 釈然とはしませんが、一応礼を言っておこうと思います。


 こちらはまだ寒い冬ですが、そちらは実りの秋ですね。まったくもって羨ましい物です。


 皆さんはもう若くないので、調子に乗って食べ過ぎて、糖尿にならないよう気を付けてください。


                          敬具

                        山口 和久


 P.S.

 祖父さん、密造酒がばれたら一大事なのでそろそろ止めてください。いやマジで!!

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