第十話【新緑の季節】
晴天の空に、燦然と輝く太陽の日差しは、一歩ずつ夏の気配が近づいてきていることを教えてくれる。
そんな汗が滲む陽気の中、一定のリズムを刻む乾いた音が森の中に響いていた。
結果として、俺達は岩熊の肉は食べていない。
赤身はタイヤのように固く、脂身は古いラードのような香りで食えたもんじゃなかった。
「にしても······ひっでえ臭いだった」
「だなぁ。あんだけ肉が取れたとけ、食えんって笑えんよなぁ」
「まぁ、使い道がある分まだ救いがあるさ」
「でも、肉は土に埋めたやんけ」
「腐る前に埋めないと伝染病の原因にもなるし、あれで良いんだよ」
隣で同じように、鑿のカツラを木槌で叩くハワルが手を止める。
「でもよ、本当にこがんとで寄り付かんごとなるとや?」
「岩熊の体毛は酷い匂いがするからな。まぁ、水洗いすれば取れちまうけど」
熊が雑食性とはいえ、動物性の食料は当然不可欠なはず。
しかし、匂いが強烈であれば獲物が近づかない。だが、体型を維持していたということは、匂いを抑える方法があると考えた。
岩熊から、岩の鎧を砕いて引き剥がそうとしたところ、意外にも絡んでいた体毛がスルリと抜け、その毛を水洗いすると気にならない程度に匂いも消えていた。
「まぁ、濡れんごと中に入れとけばよかさ······うし、一丁上がりっと!」
ハワルは額に滲む汗を手の甲で拭い、丸太に開けた穴の中の木屑を外に払う。
「俺が今やってる分で最後だし、もう終わるから昼飯食いに行こうぜ」
「お、もうそがん時間になっとったや」
「たまには上見ろよ、太陽があんな高く昇ってんだろ? それに手が空いてんなら、その辺を見回り行ってるコロ丸探して来てくれ」
「え、コロ丸近くに居らんやったとや?」
バリケードの外に居る俺達は、コロ丸に周囲の警戒に当たらせていたため、居なくなっていたことにハワルが驚く。
「あれは馬鹿じゃねえから、何かあったらすぐに吼えて教えてくれるさ。何回か名前を呼べば来るよ」
「そ、そうか。そいぎ行って来るけん、早う終わらせろよ」
「おう、分かってる」
ハワルはバリケードに立てかけてあった弓と矢筒を取り、森の中にコロ丸を探しに行った。
それから数分遅れて、俺の方も丸太に穴を開け終えたため、岩熊の体毛の入った布袋をその中に納める。
「うっし、これで終わりっと」
二日半かけて、バリケードの柱となっている丸太に穴を開け、岩熊の体毛を設置することができた。
これで、大抵の動物は寄り付かなくなることだろう。
最初は大人数でやっていたが、今日の残りは少なかったため、ハワルと二人でやることにした。
決して、大豆の種蒔きが面倒なわけでも、肥料作りの腐葉土集めが怠いわけでも、便所の土集めが嫌なわけでもない。
ただ、自ら危険なバリケードの外での仕事を志願しただけである。
「おーい見てくれ、カズヒサ!」
己の心の中で良い訳をしていたところ、丁度、森の方からハワルの声が近づいてきた。
「どうしたんだ?」
「コロ丸と仕留めて来たぜ!」
コロ丸と共に意気揚々と茂みから出てきたハワルの手には、矢で貫かれたデカい兎が握られていた。
額に枝が刺さっていると思ったら、それは左右対称な角である事に気が付き、思わず驚きの声を上げてしまう。
「おい、なんだそれ! ジャッカローブか?」
「なんやカズヒサ、兎角を見んの始めてやったや?」
ぐいぐいと見せつけてくる兎角と言う名の兔には切れ目が入っており、すでに血抜きも済んでいるようだった。
「兎角って言うのか······それ」
「焼いても煮ても美味かけん、食ってみっぎよかばい」
やだこの狩猟民族、頬に血痕が付着した笑顔が素敵である。
「へえ、じゃあそれ捌いて食おうぜ」
「おう!」
俺達は道具をまとめて、集落に戻ることにした。
一直線の帰り道を馬で歩く。何度も皆が往復したことで道は踏み固められ、今では馬が歩いても凹まなくなっている。
畑を見れば、一面が緑色に染まり麦の若葉が風に靡くまでに成長していた。
「だいぶ、麦が大きゅうなってきたな」
「そうだな。これから一気に伸びるぞ。そろそろ雑草取りもしないとな······」
「そいにしても······まさか、おい達が本当に農業やれるとは思わんやったばい······家畜の尻しか追いかけてこんかった、おい達が播いた種でもちゃんと育つったいな」
どこか感傷に浸っている様子のハワルは、力の抜けた笑い声を溢した。
「俺の世界でも言える事だったけどさ、世の中は全く平等にできてねえ。だけど、ちゃんと土を作って種を播けば、誰でも平等に芽は出るさ。遊牧民だろうが、帝都の王様だろうがそこは、そこだけは平等なんだ」
「そうか、平等か······それってよかな」
ニカッと笑顔をこちらに向けたハワルは、ゆっくりと歩いていた馬に鞭を入れ走らせると、照れくさそうに顔を背けた。
「さっさと昼飯食いに行くぞ! 遅かぎ、おいが全部食うけんな!」
「あ、おい待てって!」
馬に鞭を入れて走らせると、春とは違う暖かな風を全身に受ける。
青く幼い麦は、風を受けて波のように靡く。
そう言えば、以前チノと草原を馬車で走っていた頃に聞いたことがあった。
「狼が走る、か······」
凍てつくような日々が続いたあの頃から、いつの間にか半年以上の時が経過していた。
金が無かったり、魔物が出る僻地に行かされたり、魔物と戦ったり、終わりが見えない木こり生活を送ったりと、酷い毎日が続いたけど、いや本当に酷い日々だったけど、どうにかこの風景を見る事ができた。
夏になれば、まだまだ沢山仕事が増える事だろう。だが、憂鬱ではない。
この新緑の絨毯から発せられる、生命の息吹を、その躍動を、この目で見れるのだと思うと、無性にワクワクした。
「おかえりー! カズヒサ!」
その声に前を向くと、集落の入り口でチノが手を振っていた。
風に煽られる白く長い髪をもう片方の手で押さえると、こちらに向かってはにかむ。
それにつられて、俺も笑ってしまったのだった。
「おう、ただいま」




