第八話【岩熊】
けたたましく響く金属音で、俺達は思い出す。
ここが、呪われた森であるということを。
周囲では、家の中から出てきた者達が神妙な面持ちで、こちらへと向かってくる騎馬を見つめていた。
「カズヒサ! いったい何があったと?」
その声に振り返ると、役場に居たチノがこちらに駆け寄って来ていた。
「分からない。だが、バリケードの外で何かあったんだと思う」
チノはこの返答に一度だけ頷くと、声を張り上げた。
「皆、こがんとこに居っても話にならんけん、役場前の広場に集まりんしゃい!」
チノの一声に、皆は一斉に役場の方へと走り出す。
「カズヒサも行くばい!」
「お、おう!」
肩を軽く叩かれた俺は、駆け出したチノの背中を追ったのだった。
騎馬が広場に到着した頃には、男衆はもちろん、食堂や作業場に居た女性陣も集まって来ていた。
全速力で馬を走らせてきたティメのおっさんは騎乗したまま、チノとゲレルの下へ歩み寄る。
「ティメ、こいは何事や?」
ゲレルの問いに、ティメは一度頷いて語り始める。
「バリケードの外に、かなりデカか熊が出た」
「かなりデカか熊?」
「おう、急に森から現れたけん、おいは矢ば射った。腕に当たったばってん、自分で抜いて森の奥に隠れてこっちの様子ば見よる」
「射られてそいつは逃げんとや?」
驚いたゲレルの問いに、ティメは渋そうな顔で再度頷く。
「毛も固そうやし、あのデカさじゃ矢なんて針で刺されたようなもんやろう」
「そいで、今はどがんなっとるとや?」
「今は、九人がかりで見張りよるばってん、徐々に近づいてきよる。あと、嗅いだこともなか変な匂いばあの熊は出しよったばい」
「変な匂い······? よう分からんばってん、男衆は武器ば持って馬で応援に行け!」
ゲレルは声を張り上げて指示を出す。
「チノは、女子供ば頼むぞ······そいと最悪の時は」
その言葉を遮るようにチノは答えた。
「分かっとる······そいぎ、うちは行くけん。そっちは任せたばい」
「あぁ。行くぞ、カズヒサ!」
「お、おう!」
チノと別れ、俺とゲレルは現場に向かった。
森とバリケードの間は、見晴らしを良くするために木々の無い空間を開けている。
現場に到着したゲレルと俺は、それぞれ馬に積んできた武器を下ろしていると、見張りに就いていた者が駆け寄ってきた。
「どうなってる?」
「ティメがそっちに行って、六回は森を出たり入ったりを繰り返してる。それと、どこにあったのか知らんが、体中を泥で汚しとったな」
その話を聞いたゲレルは、目を見開いた。
「まさか、岩熊······」
ゲレルの口からこぼれたのは、聞き覚えの無い言葉。
「お、おい、ガンユウって何だよ?」
「岩の熊と書いて岩熊。昔、エルシアの方にある村で聞いたことのある話たい。そいは異臭ば放ち、その身体には岩の鎧になる泥を纏う魔獣、それが岩熊。一度鎧を纏えば、町が一つ滅ぶって言いよったな」
「マジかよ。どうすんだ?」
「泥が乾く前に矢ば打ち込まんぎいかん―――」
「出たぞぉぉー!」
その時、バリケードに昇って見張っていた男が叫んだ。
それを耳にしたゲレルは、間髪入れずにバリケードをよじ登る。
ゲレルの後を追ってバリケードを登り切り、その向こう側を目にしたとき、俺は思わず息を飲んだ。
「なっ······でけぇ······!」
推定、体高二メートル以上、体長は四メートルを超えるであろうその巨大さに、思考が一瞬止まりかける。
すぐ傍で、弓の弦が跳ねる音で我に返る。
放たれた矢は、一直線に岩熊の脇腹目がけて飛んでいく。
しかし、その鏃の切っ先は岩熊を貫くことなく、微かな鈍い音と共に弾き返された。
「ちっ、遅かったか······」
ゲレルは再び弦を引き、弓を軋ませて矢を放つも結果は同じだった。
「ちっ······お前ら、目だ! 目を狙え!」
その一声に、男達は一斉に矢を放ち始める。
執拗に顔を狙われる岩熊は、怯んだ様子を見せた。
「ボサっとすんなカズヒサ、お前も早よう矢ば打たんか!」
「あ、あぁ! ······って、ゲレルのおっさんはどこに行くんだよっ?」
「おいは直接叩きに行く! お前は皆と打ちよけばよか!」
そう言ってゲレルはバリケードから降りて行った。
「直接ってマジかよ······」
矢を放ち続けること数分が経過した時、ゲレルは本当にやってきた。三人の巻き添えを連れて。
「いや、こいは本気ですっとですか、ゲレルさん!」
「冗談で外に出る訳がなかろうもん、行くぞゾン! 男ば見せろ!」
こちらへと疾走してくる二頭の馬。その背にのって騎馬を操るのは、ハワルと涙目になっているウウルゥだ。
しかし、馬に乗っているのは二人だけではない。それぞれの馬の尻に、金槌を持ったゲレルとゾンが、鞍を掴み中腰になって乗り込んでいた。
「打ち方止めえぇ!」
ゲレルの咆哮が轟くと同時に、降り注いでいた矢の雨が止んだ。
「行くぞっ!」
「おうっ!」
二頭の馬は岩熊を目前に急停止し、左右に旋回する。後ろに乗っていた二人は、遠心力で脚が宙に浮き、尻が跳ね上がった瞬間に高く跳躍した。
「「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」」
振り上げられる金槌。それは自由落下の速度と共に、岩熊の額へと振り下ろされる。
砕け散る岩。叩きこまれた衝撃に、唸り声を上げて岩熊は仰け反った。
「お前ら、打てぇ!」
着地の瞬間に、そう叫んで走り出したゲレルとゾン。
立ち上がった岩熊の顔面に目がけ、矢の雨が降り注ぐ。
命中した矢は突き刺さったかと思われた。だが······。
「な、何だ······?」
砕かれた岩の鎧から滴り落ちる、高粘質の黒い液体。
それと共に矢は地面へと落ちていく。
鼻を突く独特な異臭。それは嗅いだことがある香りだった。
「この匂い······そういう事か」
高校時代、祖父さんの知り合いの土建屋でバイトした時の事を思い出す。
「アスファルト······」
石油から揮発性成分を全て取り除いた後に残る物。それに似た物質を体内で作り出しているのだろう。
矢に対する恐怖心を失った岩熊は、四足を地面につけると同時にこちらへと駆け出した。
「来るぞ! 壁から降りろ!」
誰かが叫んだ次の瞬間、すぐ隣のバリケードが岩熊の体当たりで粉々に粉砕された。
「うわぁぁぁぁあぁあぁ!」
先程の一撃で怪我をしたのか、岩熊の目の前で動けなくなった男が悲鳴を上げる。
「ちぃっ!」
地面に跳び降り、傍に置いていた火石を装着した棒を手に取って走る。
岩熊が男の方へと顔を近づけ、その巨大な口を開いた。
矢を放たれようとも物ともしない頑強さ。
全速力で疾走し、滑り込んで男の肩を抱え、岩熊の口と鼻先の火石を向ける。
「うおぉぉおぉ! ファイアー!」
放出される炎は狙い通り、唯一露出している部位に当てる事ができた。
これまで、野生で経験したことのないであろう弱者からの反撃に、岩熊は悲鳴にも似た鳴き声を上げ、森の方へと逃げ込んでいった。
「はぁ、はぁ······大丈夫か?」
「あ、あぁ、助かっだ! ありがどぉう! ありがどうぅ!」
よっぽどの安堵感からか、二十代後半くらいの男は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして礼を言う。
湧き上がる男達の歓声と雄叫びの中、俺の服は男の涙と鼻水まみれになっていた。
「お、おい! 俺の服で拭うな! 皆も、喜ぶ暇があったら怪我人を運んでくれ!」
助けた男をどうにか引き剥がして立ち上がる。
「ったく······まぁ、洗濯するから良いけど」
そうボヤいていると、戻ってきたゲレル達に声をかけられる。
「はぁ、お前ら無茶し過ぎなんだよ」
「何ば言いよっか、よっぽどお前の方が無茶しよったろうが」
安堵したように溜息を吐くゲレルは、ゴツゴツした掌で俺の頭を雑に撫でる。
「まぁ、ようやったばってん、お前が死ぬぎ、おいがチノにがられるけん、そがん無茶せんでくいろな」
「わかったよ。だから、そんな顔しないでくれ」
まるで、父親のように心配そうな表情をするゲレルの顔を、俺はそれ以上見る事ができなかった。
「まぁ、あんだけやられれば、岩熊はもう来んやろうな。獣は火が苦手やし」
馬から降りたハワルは、能天気にそう言った。
「いや······あいつは、またすぐに来るよ」
「えぇ! な、なんでそがんこと、カズヒサに分かるとさ?」
俺の一言に、怯えた表情のウウルゥが過剰な反応を示す。
「俺の居た世界にも熊は居た。直接見たことはねえけど、友達の親父が趣味でマタギ······猟師をやってて、熊の話を聞いたことがある。とにかく熊は執念深いらしい。それに、好奇心旺盛な熊は火を恐れない。まぁ、あいつは痛い目にあったから多少警戒するだろうけど」
「矢も効かん、火も駄目じゃ、あいつがまた来たらどがんすっぎ良かとさ?」
「それは俺に考えがある。説明するから、とりあえず皆を集めてくれ」
こうして、俺達の熊 (?)狩りが始まったのだった。




