第八話【目覚めし者】
その者は深い森の中で目覚めた。
ゆっくりと身体を起こしたそれは、酷い空腹感を原動力に、一冬を共にした塒から這い出ると、肺一杯に深く空気を吸い込む。
嗅ぎ慣れない匂い。だがそれは食べられる物から発せられるものだと確信する。
鼻孔を擽る香りを辿って、歩き出したその足には一片の迷いも無かった。
横幅七十センチメートル、深さ六十センチメートル。
そして、総延長十三キロメートルにも及ぶ木製用水路が完成した。
用水路の建設中に雨が降ったり、芽を出して苗となった麦の根張りを良くするために麦踏を行ったりと時間を取られたが、どうにか竣工に漕ぎつくことができた。
気が狂いそうなほど清々しい朝からやっているのは、その付属品となる貯水槽作りだ。
この作業は木枠を運ぶ必要もなく、掘り進める度に糸を張らなくても良いため、それほど苦痛な作業ではない。
二日かけて半径五メートルの縦穴を、約四メートルの所まで堀り進めることができた。
あと、一メートル程掘ったら作業は終了となる。
「カズヒサー! どこに居っとやー!」
穴の中で掘り出した土を降ろされた桶の中に入れていると、上からゲレルに呼ばれたので手を止めて返事をする。
「おーいゲレル、ここだぁー!」
「おぉ、穴の中に居ったや!」
穴の中から空の方を見上げていると、覗き込んできたゲレルの顔と目が合った。
「おい達の班は穴掘り終わったばってん、何か手伝う事はあっや?」
「いや、もうすぐ俺達も終わるから良いよ。それより、ちゃんと穴に蓋はしてきたんだろうな?」
「おう。言われとった通り、穴ば板でしっかり塞いできたけん、チビ共が落ちる事はなかやろうだい」
「そうか。じゃあ、今日はもう休んでくれて良い。お疲れさん」
「はっは、仕事が早くて悪かな。ありがたく休ませてもらうばい。そいぎ土入りと、空の荷馬車ば交換してやっけん、お前さん達も早う終わらせんばぞ。そいぎまたな!」
「助かる、またな」
丁度、土を積み込んでいた荷車が満載になりかけていたため、ゲレルの気遣いはかなりありがたい。
それから掘り進めること一時間、ようやく俺達が入っていた穴も目標の深さまで掘ることができた。
あとは、荷馬車に乗せた土を下ろして、穴を板で塞いで今日の仕事は終了である。
ゲレルが帰った後、穴を掘っている最中にチラホラと他の班から終了の報告が来て、残っているのは九班中、俺の班を含めた三班だけ。
俺達がやる残りの作業量的に昼前には終わりそうなので、他の班の皆も今日は、半日休ませることができそうだった。
上で土を運搬する係と、穴の中で土を掘る係の全員で土で満載になった荷馬車に乗り込み、土の集積場へと向かう。
この土は、後々使う大事な資源であるため、一カ所に集めている。
土を皆で降ろし終え、空になった荷馬車で木材の加工場へと板を取りに行く。
その途中で、残っていた二つの班とすれ違ったため、穴に蓋をしたら今日は休んで良いと伝えると、大喜びして手綱を振るって馬を走らせていた。
予想通り、俺達の班は昼前に全ての作業を終わらせる事ができた。
「ふぅ······ようやく一つ片付いたな。後はあれができるまで放置で良いか······」
予定していた作業が完了したことで、肉体労働が続いていた班の皆は、地面に座り込んで一休みしている。当然、俺もその一人だ。
頬を撫でる風が汗を撫でて、ひんやりと優しく涼ませてくれる。
だが、このままでは誰一人としてこの場から立ち上がりそうにないため、名残惜しくも立ち上がって指示を出す。
「おーい、道具を荷車に乗せて撤収すんぞー」
気が抜けた返事に遅れながら、のそのそと立ち上がった彼らは道具と共に荷車に乗り込む。
「俺が御者台に乗るから、皆はゆっくりしててくれ」
元々、爺さんが趣味で飼っている農耕馬には乗っていたため、元の世界でも嗜み程度には乗ることができた。
だが、この世界にきてからというものの、作業の見回りには馬は必須な移動手段であったため、食みを付けてさえいれば、ある程度の悪路だろうが、裸馬の背でも降り落とされずに走れるくらいには乗馬スキルが向上していた。
泥で汚れた男達を川の近くで下ろし、服と体を洗わせる。
すでに、溜め池には許容量の水が溜まっていたため、溢れる水によって川の水位は元に戻って、現在は作業中であったため用水路に水は流れていないが、所定の位置に板を嵌めさえすれば、川を塞ぐことができ、いつでも用水路に水を流せる状態だ。
既に衣替えを済ませた彼らが身に着けているのは、帝都で購入した綿の布でできた衣服であるため、気兼ねなく丸洗いができる。
カースド大森林までの移動中、女性陣に作って貰った物で、形は元の世界で来ていた俺のTシャツとズボンが原型だ。
もちろん下着は、俺のトランクスを紐で結ぶ形にして履いている。
股の圧迫感の無さから、モングールの男衆からの評判は上々だった。
服を洗い終えた後は、現地解散にした。
荷車と馬を所定の位置に返した俺は、家の裏に作った物干し竿に服をかけて、替えのシャツとズボンに着替える。
曇の少ない青空には、太陽が煌き暖かい。
この様子だと、すぐに服も乾いてくれることだろう。
「あぁー、良い天気だ。何か良い事でも起きそうだ」
丁度、昼飯時であるため、役場で書類整理をしているチノを誘って、食堂に行くとしようと思った矢先だった。
カンッ、カンッ、と、金属同士がぶつかり合う、甲高い音が耳に入った。
それと同時に冷や汗が背中を走り、素早く音が鳴った方へと目を凝らす。すると、それに遅れて空へと立ち昇る狼煙が目に入った。
この音を耳にした男衆が、血相を変えて次々と家の中から飛び出してくる。
その手には弓が握られ、腰には小刀が差されている。
それも当然だ。
なぜならこの音は、バリケードの外で見張りをしている者が、緊急事態に鳴らす音なのだから。




