第七話【狂戦士は騎士の誓いを立てる】
戦斧の武骨な刃が迫っていることを悟ったウルスラは、瞼を強く瞑り、きつく歯を食いしばった。
死を覚悟し、それを待つ一瞬は音が消え、時が引き延ばされている感覚に陥る。
しかし、幾ら待とうが戦斧が頭を砕く衝撃は襲ってこない。
「······?」
ゆっくりと感覚が戻っていく。最初に五感を刺激してきたのは聴覚だった。
苦しそうな唸り声が鼓膜を擽る。
ウルスラは、恐る恐ると瞼を開き、ゆっくりと顔を上げた。
瞳に映し出されたのは、指一本分先にまで迫り、制止している巨大な戦斧の刃。
狂戦士の息遣いは荒く、噛み締めた歯を剥き出しにして、酷く顰めた瞳がこちらを見つめていた。
「はぁ、はぁ······これは一体、どう······いうおつもりですか殿下?」
「バル······? バルなのか?」
大粒の涙を溢す少女の問いかけに、狂戦士は苦しそうに返答する。
「えぇ、私です。それよりも······貴女様の求めていた······未来は! 大義は! この程度で折れてしまうものだと言うつもりかっ! 答えろ、ウルスラ・ヴォルグスト・ビサンティオン!」
苦しみの表情を浮かべているにも関わらず、ウルスラはバルサルクの気迫に気圧されてしまう。
「私が······いや、俺が······心から仕えていたのは、己が信念のためならばどんな困難でも乗り越えて行く、誇り高き少女だっ!」
バルサルクは言う事を聞かない右腕を無理やり動かし、今にもウルスラを両断しようと鈍く輝いていた戦斧を引いた。
「それなのに、今のお前は何だ! 駒を一つ失おうとしただけで全てを諦め······膝を折り、項垂れる······ただの小娘じゃないか!」
涙を溢し続ける主に、従僕は必死に訴え続ける。
「違うだろ······お前は信頼していた従僕が死のうとも······散って行った者達のために······毅然と振舞える人間のはずだ······だからこそ立て、ウルスラ! お前を信じた俺の······ため······に······」
バルサルクの声が途切れると同時に、狂戦士が目を覚ます。
「ちぃっ、しぶてぇ奴だ······だが、茶番は終わりだぁ!」
狂戦士は、ウルスラに向けて持ち上げた戦斧を勢い良く振り下ろす。
ウルスラは微動だにする事無く、戦斧を見つめるその瞳から、零れ落ちる涙はもう無かった。
「アクア・ガイザァァーッ!」
戦斧とウルスラが身に付けているティアラが触れ合おうとした瞬間、足元から大量の水が噴出し、戦斧と触れ合うよりも一刹那速く狂戦士を吹き飛ばした。
「ぬおっ!」
壁に叩きつけられた狂戦士は、受け身を取って素早く体勢を立て直し、戦斧を引きずりながらウルスラ目がけて走り出す。
「生ぬるい魔法ばかりだったが、今のは良かったぜぇ! ようやくその気になったかっ?」
「そうじゃな······あれほどまでに従僕に叱咤されては、主としての沽券にかかわる」
ウルスラは猛烈な勢いで迫る狂戦士に向けて両手を伸ばした。
「風よ、氷雪を纏いし嵐となれ、アイス・ストーム!」
発せられた魔法に対し、狂戦士は盾を構えて応戦する。
「威力指定破棄で、この威力······悪くねえ!」
氷雪の嵐を受ける盾を中心に、雪は堆積していく。
「だが、筋力こそが全てだ!」
身の丈以上に降り積もった雪を戦斧で斬り裂き、盾で押し退け、魔法から逃げずに真っ向から受けながら、狂戦士は前へ前へと進んでいく。
「其方ならばそうすると確信しておったぞ」
ウルスラは嵐の中を一歩、一歩突き進む狂戦士を見てそう呟いた。
左手を対象から外し、無詠唱で風の魔法を発動させる。
すると、両側に積み上がっていた大量の雪が崩壊し、狂戦士を飲み込んだ。
「仕舞じゃ······万年雪の氷牢!」
魔法が発動すると同時に、水が雪の周囲を走り氷結していく。そしてついには全体を分厚い氷が完全に覆ってしまった。
氷牢の中からは何も音が発せられる事は無かった。
ウルスラは氷牢に近づき、右掌を当てる。
「砕けよ」
そう言葉が発せられると同時に、当てられた掌を中心に一メートル四方の氷壁が、中に詰まっている雪ごと抉られるように砕け散った。
「どれほど力に物を言わせ亀裂が生じようとも、雪解け水が隙間を埋め、氷結し、牢を修復し続ける。其方にこの氷牢から抜け出す術はあるか?」
「······ねぇよ」
狂戦士は投げかけられた問いに対し、悔しそうではありながらも素直に自らの敗北を認めた。
「本来であれば、妾に手を掛けた従僕を生かしておくわけにはいかぬのだが、一つ提案がある」
「······」
返答は無いが、構わずウルスラは続けた。
「其方、妾の騎士にならぬか?」
「あぁっ?」
突拍子の無い提案に、狂戦士は思わず声を上げる。
「もちろんタダでとは言わぬ。其方が望むオリハルティアの地を与えても良いと妾は考えておる」
「······どういうつもりだ?」
「妾の野望が成就するためには、聖光教の支配力を削ぎ落さねばならぬ。そのためには其方の力が必要なのじゃ」
「······はっ、必要なのは俺の方じゃねえだろ?」
図星を付かれたウルスラは身体を微かに強張らせたが、素直にそれを認めた。
「其方の事を不要とは思っておらぬ。じゃが、バルは······バルは、妾にとって最も大切な存在なんじゃ······全てが終り、オリハルティアの地を其方に授けるまででも構わぬ。だからどうか、バルを返してはくれぬだろうか?」
今にも溢れそうな程に涙を瞳いっぱいに溜めて少女は懇願する。
「お前に従えば、本当にオリハルティアを俺にくれるんだろうな?」
「もちろんじゃ、約束しよう」
「······良いだろう。お前の騎士になってやる。だが、約束を違えた時、お前の首が跳ぶことを努々(ゆめゆめ)忘れるな」
「うむ、その時は其方が振るう刃を甘んじて受け入れると誓おう」
狂戦士の忠告に頷き、誓いを立てたウルスラは深く息を吸った。
「まだ居るのであろう、姿を見せよファントム」
その名を呼んだ数秒後、気配を消して観客席に残っていた何者かが場内に飛び降りた。
「お呼びですか、ウルスラ殿下?」
姿を現したのは顔に舞踏会用の仮面をつけた、細身のまだ若い騎士だった。
「さっきは、ご苦労だったな」
ウルスラは、ファントムの脇に抱えられている物を見ながらそう言った。
「まったく、本当ですよ。状況を見て剣闘士の死体と入れ替えろだなんて無茶な要求にも程があります」
「幻影の騎士という名を与えられた其方ならば、必ずやってみせると確信しておったからのう。信頼の証とでも思うがよい」
「僕を近衛騎士から外したくせに、都合の良い時だけ頼りにするんですから、たまったもんじゃないですよー」
ファントムは溜息を吐き出しながら講義するも、どこか諦めた様子だった。
依然として拘束されている狂戦士も、ウルスラと会話している騎士が抱えている物が目に入り、口を開いた。
「へっ······違和感は感じていたが、やはり邪魔が入っていたか」
「あー、やっぱり効きが悪かったみたいですね。かなり高度な幻覚魔法をかけたつもりだったんですけどねぇ、僕もまだまだです」
本当に落ち込んでいるのか分からない表情で、ファントムはわざとらしく肩を落とす。
「あの時、そいつが間合いを測り損ねたのもお前の仕業か?」
「ご名答、あれを受けて居たら君は死んでいたかもしれませんからねぇ」
「余計な事をしやがって······ここを出たらお前と殺り合うのも悪くねえかもなぁ!」
「へぇ、僕に勝てると······?」
狂戦士の挑発に答える、ファントムの口調にはこれまでの軽さは微塵も残っていなかった。
「やめよ、これ以上言い争うのであれば妾自ら罰を下すぞ?」
「おーと、それは怖いですねぇ」
「へっ!」
王女の一声に、二人は跋が悪そうに会話を中断した。
「ふん、まったく······」
ウルスラは双方が黙ったのを確認し、指を弾いた。
乾いた音が発せられると同時に、狂戦士を取られていた氷牢が砕け散る。
「ファントム、略式ではあるが騎士の誓いの儀をここで行う。腰に差したその剣を貸せ」
「はっ、少々お待ちを」
ウルスラの指示で腰に差した剣を鞘ごと外そうとしたその時。
「要らねえよ、この先俺が握るのはこいつだけだ」
立ち上がった狂戦士はそれを拒否し、戦斧と盾を見せつけた。
「ならば妾の前に跪き、約束を違わぬ限りその刃を妾のために使うと誓い、納めるが良い」
狂戦士は意外にもウルスラの言葉に素直に応じて片膝を付いた。
「この手にオリハルティアの地が戻るその日まで、お前に従うと誓おう」
そう誓った狂戦士は、縦と戦斧を地面と平行に持ち上げ、勢いのまま盾の中に戦斧を納める。
「其方は一体何者なのだ?」
「ふん、答える義理はねえよ。知りたきゃ、ヴォルグストの糞野郎か、人狼の小娘にでも聞くんだな」
そう言って盾を地面に突き刺すと同時に、狂戦士は一瞬だけ俯いた。
「う······く、はっ! はぁ、はぁ······」
突然に息を荒くしたかと思うと、次は周囲をキョロキョロと見渡し始める。
その様子を見たウルスラは思わず問いかけた。
「バル······なのか?」
「殿······下?」
互いに死人を見つめるような瞳で見つめ合う二人。
「バルッ!」
しかし、それも束の間。すぐにウルスラがバルサルクに跳びついた。
「殿下、ご無事で······ご無事で良かった······!」
跳びついてきた主を受け止め、抱きしめたバルサルクは静かに力強く安堵の言葉を漏らした。
「しかし、どうして私は?」
「言ったであろう、必ず妾が其方を人に戻して見せると!」
感極まり泣きじゃくっている主の、答えになっていない返答にバルサルクはそれ以上の言及はしなかった。
ウルスラが泣き止んだその時、ずっとファントムの腕に抱えられていたレオナルドが目を覚ました。
「ここは······?」
「おぉ、目を覚ましたかレオナルドよ」
「レオナルド様おはよーございまーす」
目元の涙を拭いながら声を掛ける第三王女と、己の身体を抱える第四聖騎士の顔を交互に見る、レオナルド表情は困惑しきっていた。
「状況が掴めておらぬようじゃな。妾が端的に説明してやろう」
ウルスラはレオナルドに事の顛末を説明し、現在自身が死人として扱われている現状を伝えた。
そして、敗北し戻る場所が無いと嘆くレオナルドに、ある問いを投げかけた。
「其方は、主である兄上があのままで良いと思っておるのか?」
「······それは」
「賢き兄上は、歴代のどの王よりも賢王になる素質はある。じゃが、妾への憎しみに駆られた兄上のままでは聖光教の傀儡となり、過去類を見ない愚王へとなり下がるだろう」
「······」
ウルスラはレオナルドの掌を取った。
「妾は兄上にそうなってほしくは無い。そのためには妾が一度王座に座る必要がある。だからこそレオナルド、死人となった其方の力を借りたいのだ」
レオナルドは熟考の後に口を開く。
「我はどうすれば······?」
「まずは身を隠すために、其方の元上官であるグレン辺境伯の下へ行ってもらう」
「えっ······!」
その名が出た瞬間、レオナルドの表情が強張る。
「何じゃ、嫌なのか?」
「い、いえ、そういう訳では······」
「では、決まりじゃな」
ウルスラは煮え切らぬレオナルドを笑顔で押し黙らせた。そして、一度溜息を吐き出して再び話は始める。
「東のエルシア同盟、極東の倭国、それに西にはサタルーン共和国にぺルシール、ムガトール帝国。果てには聖光教に聖闇教と来ておる。まったく、発狂しそうな程に問題は山積みじゃな」
乾いた笑みを浮かべる第三王女の言葉に、騎士たちは自然と片膝を付いて跪く。
「これより、ビサンティオン帝国は激動の時代に突入することは避けれぬだろう、故に妾はこの国を正しき方へと導かねばならん。しかし、叡智の加護を持つ妾とて選択を誤るかもしれぬ、その時は妾を正しき道へと導く杖となってくれることを······其方らには望む」
「「「はっ!」」」
「皆、頼りにしておるぞ」
三人の声が場内に反響し、ウルスラは一度だけ頷いてそう告げる。
頭を垂れる騎士達から目を離し、悠然と空に佇む月を見つめる少女。その瞳にはもう、一片の迷いも無かった。




