第六話【狂戦士と六道の少女】
この場に居る、ウルスラ以外の者達が想像すらしなかった結末。
帝国が誇る最高の騎士は脆くも地に倒れ、騎士であることを捨てた者が、その亡骸の前で仁王立ちしていた。
「けっ、まぁ良い······まだ遊べそうな奴らが幾らか居るようだしなぁ······!」
苛立ちの感情を浮かべる狂戦士は、動かなくなった屍を一瞥すると、観客席の方をぐるりと見渡した。
再びその口元に笑みが浮かぶ。
「居るのは分かってんだ! コソコソと隠れてねえで出て来い! 何なら、まとめて遊んでやっても良いんだぜぇ?」
狂戦士は挑発するように斧を振るい、観客席に向かって刃を見せつける。
その時だった。
「飲み込め!アクア・ウォール!」
「あぁ?」
突然発生した大量の水が、狂戦士を中心に四方を壁のように取り囲み、瞬きする暇すら与えずに飲み込んだ。
「氷結せよっ、アイス・プリズン!」
その声と同時に、狂戦士を襲った大量の水は鈍い音を立てながら、一気に氷塊へと姿を変えたのである。
「ふん······しばらく其方は、そこで大人しくしておるがいい」
ふぅ、という溜息と共にウルスラは踵を返すと、貴賓席の方へと鋭い視線を向けた。
「兄上、帝国最強の騎士は、妾の騎士の前に倒れました。今なら後を追いませぬ。どうか今日の所は、妾の命を諦めてお引き取り願いとうございます」
「······」
貴賓席からの返答は無い。それでもウルスラは続けた。
「今や妾の騎士は、野に放たれし獣と変わりませぬ。辛うじて封じてはおりますが、それも長くはもたぬでしょう······」
ウルスラの背後にある氷塊からは、ミシミシと軋む音が発せられている。
「この戒めを破られた時、妾はもう止めませぬ。故にどうかご決断ください。このまま我が騎士と聖騎士達をぶつけ合い、無益な屍の山を作るか······それとも、聖騎士レオナルドの首一つを置いて、妾の前から立ち去るか・・・・・賢明な兄上にはどちらを選ぶべきか、お分かりなはずです」
ウルスラがその言葉を発っして、数秒間の沈黙が続いた。
「······よくも」
微かに貴賓席の方から声が発せられる。その声は徐々に大きくなっていった。
「よくも、レオを······必ず······必ずや、レオナルドの首は返してもらう······!」
その声には酷く憎しみの感情が乗せられていた。
「皆の者······一旦引く。散れ!」
その一声が掛けられたと同時に、観客席から向けられていた殺気が消失した。
気配が一斉に散り散りになり、闘技場内に残っているのが自分と氷塊の中に居る怪物だけだと理解する。
氷が砕ける甲高い音に、固い氷が地面に落ちる鈍い音が。
「やはり長くはもたぬか······」
「ち、邪魔しやがって······あぁ? 得物が全部逃げてるじゃねえか!」
狂戦士は周囲を見渡して、自身に向けられていた殺気と視線が消失したことを本能的に感じ取った。
「子供をぶった切る趣味はねえ······が、お前と殺りあうのは面白そうだ······!」
新しい玩具を見つけたと言わんばかりの表情で、ウルスラを見つめた。
「その人格と笑み······あの日、観客席から初めてバルを目にした時の人格は、其方であったか······つまり、バルの精神が狂戦士の加護によって浸食された結果が、其方というわけじゃな」
「あぁ? 何をゴチャゴチャ喚いているのか知らねえがよぉ······聞きてえことがあんなら、俺を殺してからにするんだなぁっ!」
狂戦士は素早く戦斧を天高く掲げると、ウルスラに目がけて一直線に振り下ろす。
まるで火薬が爆発したかのように土煙が舞い上がり、その中からウルスラが飛び出した。
「全く······強引に女子をダンスに誘う男は、好かれぬと教えたであろう?」
土煙を突き破り、追撃を繰り出そうとする狂戦士に向け、ウルスラは左手の人差し指を突きだした。
「貫け、サンダー・ショット!」
その瞬間、少女の細い指先は眩く輝き、空気を破裂させたかのような炸裂音と共に雷が放たれた。
放たれた雷は刹那の間に駆け抜け、狂戦士に襲い掛かる。しかし―――
「ふんっ!」
狂戦士は、凄まじい反射速度で雷に向けて戦斧を振るい、迫りくる雷を弾き返した。
「ぬるいんだよ、このチビがっ!」
「そうであろうな、妾とてあの程度が当たるとは思うておらぬ」
放った雷を弾き返されたにもかかわらず、ウルスラは表情一つ変えることなく、強い輝きを放つ右掌を狂戦士に向けた。
「二発の魔法を同時に発動させていただと······面白れぇ、それで俺を殺してみせろ!」
迫り来る狂戦士の口角は、さらに吊り上がる。
ウルスラは目を細め、強く食いしばっていた口を開いた。
「アクア・ラピッドストリーム!」
放たれる水の奔流に、狂戦士は盾で防ごうとするも圧倒的水量の前に全身が飲み込まれる。しかし、それでも前へと突き進む脚を止めることはできなかった。
「これならば防げまい、サンダー・ショット!」
ウルスラは水を放ち続ける右手に、雷の宿る左手を重ねた。
「ぬおっ······!」
雷は水を伝い、狂戦士の身体を駆け抜けた。
「悪くねえ痛みだ······だが、まだ甘ぇ!」
狂戦士は、筋肉の緊張で拘縮する肉体を無理やり動かし、高く持ち上げた斧を一気に振り下ろす。
「なっ―――」
振り下ろされた斧の衝撃は、流水を真っ二つに斬り裂き、拘縮から解放された狂戦士は、瞬く間に距離を詰めた狂戦士は、左手に持つ盾でウルスラを殴りつけた。
『バキンッ!』
「うぐっ······!」
ウルスラと盾が触れ触れ合おうとした瞬間、何かが砕ける音が響く。それと同時にウルスラの身体は大きく吹き飛ばされてしまった。
小さな悲鳴と共に地を跳ねるウルスラは素早く手を地面に付け、体勢を立て直して起き上がる。しかし、その表情には痛みによる微かな苦悶が見えた。
「風の障壁か。良いぜぇ、簡単に死なれたらつまんねぇからなぁっ!」
立ち上がったウルスラの方へと一直線に向かう狂戦士は、叫びながら斧を振り上げる。
「くっ······アース・ウォール!」
襲い来る斧に向かって、ウルスラは宙を掌で掬うように振り上げた。すると、手の動きに連動して地面が盛り上がり、土の壁が出現する。
「邪魔だっ!」
だがそれは、振り下ろされた斧によって、いとも簡単に崩壊してしまう。
「封じられた俺は、ずっと見てきた、ずっと戦いたくて悶えていた! 待ちわびたぞ······六道の加護を持つお前と殺り合えるこの時を!」
「なっ······!」
その言葉にウルスラは驚愕の表情を見せた。
出現と崩壊を繰り返す、土の壁を挿んだ攻防の中で二人は言葉を交わす。
「ようやく、気が付いたか?」
狂戦士の問いが、ウルスラの中で疑念が確信へと変わった。
「まさか其方は、バルの精神が加護によって浸食された人格では無いと言うのか?」
「知った事かっ! 俺は元より、俺という個でしかないっ!」
「ならば何故、其方は妾の命を狙う?」
ウルスラの問いに対し、狂戦士は即答した。
「決まっている、お前が俺よりも強いからだ!」
「ならば最後に一つ問おう。妾を殺した後、其方はどうするつもりなのじゃ?」
「······ヴォルグストの糞野郎を殺し、オリハルティアの地をこの手に取り戻す」
「なぜ父上を······それにオリハルティアの地は、聖光教会が直接統治しておるはずじゃぞ?」
ウルスラが言葉を発し終えると同時に、これまでに無い衝撃と共に土の壁は、木っ端みじんに消し飛んだ。
「いつまで喋るつもりだ? そんなに話がしたいなら、この俺を力で屈服してみせろっ!」
「それもそうじゃな······捕えろ、アース・ドーム!」
これ以上の情報を聞き出すことが不可能であると判断したウルスラは、対象を捕えるための魔法を繰り出した。
狂戦士を中心に地面が盛り上がり、半球状に形成されていく。だがそれも怪物染みた力の前に、土煙を上げて崩壊してしまう。
しかし、ドームを破壊するために生じたタイムラグの間に、ウルスラは距離を取って構えを取っていた。
「風よ、雷よ、迸れっ―――」
狂戦士に向けて出した掌には紫電が走り、強い輝きを発している。
「そうだっ! それで良い! この俺を楽しませろぉぉぉぉぉっ!」
上位の魔法が放たれる事を察した狂戦士は、歓喜の声を上げる。
「サンダー・スト······」
だが、そこで言葉は途切れ、魔法が発動する事は無かった。
「妾には······できぬ」
魔法を放とうとしたその瞬間、脳裏には変わり果てる前の従者との記憶が過り、その白く小さな掌は、瞳から零れる涙と共に力なく下ろされた。
少女の肩は震え、膝が折れるのを狂戦士は茫然とした表情で見つめる。そして、その表情は鬼の形相へと変わった。
「な······き、貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
激昂した狂戦士は咆哮のように叫びながらウルスラの下へと駆け寄ると、力任せに斧を振り上げる。
「何故、魔法を打たなかった?」
「······打てば、バルが死んでしまうやもしれぬ······そんな事、妾にはできぬ」
涙を流す少女は項垂れたまま、そう答えた。
「この期待はずれが······戦えないのなら、死ねぇっ!」
その言葉と共に、月の光を鈍く輝く漆黒の戦斧は、少女に向かって振り下ろされたのだった。




