第二話【継承者争い】
二人が露台で別れて半刻が過ぎようとしていた。
先に集合場所である厩に到着したのは、巨大な布包みを背負ったバルサルクだ。
荷を下ろしてすぐに乗馬の準備に取り掛かり、慣れた手つきで馬の口に轡を食ませ、背中に鞍を乗せて固定する。
準備が終えようとしたとき、厩の入り口から聞き慣れた足音が鼓膜を擽った。
「待たせたのう、先に来ておったか」
「いえ、私もただ今。馬車に馬を付けますので今しばらくお待ちください」
ウルスラに一度跪いたバルサルクは、すぐに立ち上がり作業に戻ろうとする。
「待て、馬車はいらぬ。馬車は目立つうえ、魔法の奇襲に対処しにくいからの。其方と二人で乗る」
「しかし、風が冷とうございます」
「構わぬ。妾は外で待っておるからな、早くその馬を連れて参れ」
「はっ、かしこまりました」
ウルスラは、それ以上の申言を断ち切る声色で話を終わらせると、踵を返して厩の外へと歩いて行った。
装備の点検を手早く済ませ、馬の手綱を引いて外に出ると、月を眺めていたウルスラがバルサルクの方へと振り向いた。
「どうじゃ、何か妾に言う事は無いか?」
そう問いかけたウルスラは、わざとらしくロングスカートを指先で摘まみ、軽く持ち上げて見せた。
「それほどまでに、死ぬ気がない死装束を見るのは初めてです」
暗い厩の中では分からなかったが、月明りに垂らされた今、バルサルクの瞳には艶やかな漆黒のドレスを身に纏うウルスラの姿が映し出されていた。
「ふふん、そうであろう?」
その答えにウルスラは、満足そうに悪戯な微笑みを浮かべたのだった。
非常事態にもかかわらず、暢気な主に溜息が出そうになるのを耐えたバルサルクは、馬に跨った。
「では、参りましょう。お手を······」
バルサルクが差し出した手を小さな掌が掴むと、息の合った動きで少女の身体が馬上へと引き上げられ、巨躯の騎士の前にその華奢な身体が収まる。
「目的地はお決まりですか?」
「うむ、コロッセウムに向かう」
「コロッセウム······ですか」
目的地を聞いたバルサルクの表情と声が、ほんの微かに強張る。
「其方には悪いと思っておる。だが王都を出ず、尚且つ被害を出さずに済む場所が他に思いつかなかった。我慢してくれぬか?」
「そんな、我慢などと······かしこまりました。馬を走らせます、私の腕にお掴まりください」
バルサルクは前に座るウルスラの腹部を腕で軽く押さえると、手綱を振るい馬を動かした。
城門を抜け、街道を真っ直ぐ進むこと十分足らずで、この帝都の中で二番目に大きい建物に到着する。
馬から降りた二人は、コロッセウムの入り口である巨大な木の扉の前に立つと、バルサルクは拳を握り締めて数度殴った。
激しい衝撃と、音が周囲に轟くと、数秒後に扉の中に取り付けられた小さな扉が勢いよく開き、中から男が飛び出して来た。
「ノッカーも使わずに扉を叩いたのはどこの誰だ! 今日は見世物やって、ねぇ······ぞ?」
中から出て怒鳴ってきた男は、二人の身なりを目の当たりにして声色が変化する。
「夜分にすまぬな。見張り番は其方だけか?」
「い、いえ、中にあと一人······」
「では、この馬を貸す。金をくれてやるから、死にたくなければ明日の朝まで飲み屋街で飲み食いするが良い」
そう言うとバルサルクは腰に付けていた革袋を取り、中から銀貨を数枚取り出した。
「い、いきなり何ですかい? 一体あんた達は何者なんだ!」
「消されたくなければ聞かぬ方が良い。なに、今晩この場を借りるだけだ。上役には妾から話しておいてやる」
「ひっ······わ、わかりました」
恐怖に顔を引き攣らせながら男は返事をすると、バルサルクから銀貨を受け取った。
「剣闘士奴隷達はどうしておる?」
「ち、地下牢で寝ております!」
「うむ、上出来じゃ。ではさっさと仲間を連れて消えるが良い。決して日が昇るまで戻るでないぞ?」
「はっ、はいぃぃぃっ!」
男は一度扉の中に入り、仲間の腕を引いて出てくると。受け取った馬に足をもつれさせながら跨って、一目散に駆け抜けていった。
ウルスラはそんな二人に目もくれず競技場の中に入り、その後にバルサルクも続く。
暗く、長い通路を数度曲がった先に、月明りが差し込んでいる終着点を見つける。
そして通路を抜けた二人は、綺麗に土が慣らされた競技場内に足を踏み入れた。
普段は歓声と、罵声と、絶叫が響き、そして断末魔の悲鳴が反響しているとは思えぬほど、そこは静かだった。
辺りを見回すも、観客席には誰も居ない。
そして二人は中心付近まで歩くと足を止め、ウルスラが口を開く。
「祭典で度々訪れてはおるが、いつもは貴賓席じゃからのう、場内に入るのは久しい」
ウルスラはスカートをはためかせて振り返り、バルサルクと目を合わせた。
「バル、其方と出会ったのは、ここじゃったな······」
「はい······貴女様に手を取って貰った日の事は、今でも覚えています。確か、殿下は泣いていらっしゃいましたね」
「そ、そんな事、いつまでも覚えておらずともよい!」
ウルスラは目つきを鋭くして叱りつけるが、当のバルサルクは微かに口角が上がっている。
「しかし······ゆっくりと昔話に興じる暇も与えてくれぬとは、妾の兄弟達は些かせっかちじゃのう」
「仕方がありません殿下、我々は王城を出た時から監視されていましたので」
二人は全方位の内で唯一、観客席が無く、周囲より高くなっている貴賓席の方へと身体ごと向く。
「兄上、そこにいらっしゃるのでしょう? 隠れておらずに姿を見せてはいかがです?」
静かな場内に凛とした良く通る声が響く。そして再び無音に戻ったその時、貴賓席に人影が現れ、月明りに照らされた。
「はっは、隠れているとは心外だ。我は、これから死にゆく二人に気を使ってやったつもりだったのだが、まあ良い。久しいな、ウルスラ」
貴賓席に現れたのは、帝国第一王子アレックス・ヴォルグスト・ビサンティオン、その人だった。
「これは大変な失礼を。聡明なアレックス兄様のご配慮であると気が及ばず、誠に申し訳ございません」
ウルスラの返答に、アレックスは拳を強く握り締める。
「ふん······化物の分際で、相変わらず口は達者なようだな······行け、レオ! 王座を狙う不届き者を、排除しろ!」
「はっ!」
命令に対して、短く返答すると同時に貴賓席から場内へと飛び降り、軽やかに着地する。
「やはり出て来たか。帝国十二聖騎士筆頭、業炎のレオナルド・アロルド・ヴァネッティ······」
ウルスラに名を呼ばれた初老の男は、深々と頭を下げる。
「お久しゅうございます、ウルスラ殿下。我が名を覚えて頂き光栄の至り」
「ふん、其方はまだ妾に刃を向けておらんからのう、今なら咎めずにおいてやるが、引く気にはならぬか?」
「申し訳ありませぬウルスラ殿下。この身この心は、アレックス殿下に捧げた物。殿下が是と言えば是なのです」
その表情には微かな悲しみの感情が籠っていた。
「そうか、ならば妾に刃を向けて振るうが良い。だがそれは、妾の盾を砕くことができればの話じゃがのう······バルよ、相手は帝国最高の騎士じゃ。相手に不足はなかろう?」
「はぁ······不足どころか超過気味ですけとね」
「その軽口を見るに大丈夫そうじゃのう、では行ってくるがよい。だがあの者を殺すでないぞ?」
「また無茶を······かしこまりました」
二人の会話が終るのを待っていたレオナルドが口を開く。
「茶番はよろしいですか? 十二聖騎士ですらない一介の騎士に、聖騎士を殺さずに倒せなどと、少々我を甘く見過ぎでは?」
凄まじい威圧感と、大気が焦げるような殺気が二人を襲う。しかし、ウルスラは動じることなく口を開く。
「あまり妾の騎士を舐めないで欲しいものじゃな。別に、その観客席に姿を隠して居る十二聖騎士とやら全員でかかって来ても良いのじゃぞ? その場合はもちろん、この妾も参戦するがな?」
ウルスラは髪を微かに逆立たせ、十二の少女とは思えぬ殺気を以ってレオナルドに答えた。
しかし、対峙するウルスラとレオナルドの間にバルサルクが手を伸ばして遮り、二人の会話を制止させた。
「まったく、これ以上面倒ごとを増やされるのは御免です。殿下は下がっていてください」
「ふん、わかっておる」
意外にもウルスラは、不貞腐れながらもすんなりと引き下がり、踵を返してその場から離れて行った。
小さな溜息を吐いたバルサルクは、自分の肩に結びつけて背負っていた巨大な布包みを下ろすと、一気にその布を剥いだ。
それを見たレオナルドは、眉を顰めて問いかける。
「聖騎士を相手に刃を使わないつもりか?」
「えぇ、今のところはそのつもりです。私が国王に持たされているのはこれだけですから」
いつの間にか隠れていた月が雲から出て、二人を優しく照らしだす。
バルサルクの手に握られているのは、剣や槍の類ではなく、黒く鈍い輝きを放つ巨大な盾だった。




