第一話【帝都の暗雲】
帝都の街並みを一望できる王城の露台。そこには、大理石造りの手すりの上に腰かける、一人の少女の姿があった。
口から漏れる吐息は白く、それを攫って行く優しい風が艶やかな金髪を靡かせる。
憂いの表情を浮かべる少女は、日没が過ぎてしばらく経った暗い青紫色の空と、淡い橙色に染まっていく城下を眺めていた。
緩やかに流れていた風が弱くなった時、聞き慣れた足音が耳に入った少女は、露台の出入り口である、細やかな彫刻と装飾が施された扉の方へと振り返る。
目線を向けるとほぼ同時に扉は開き、重厚な鎧を身に着けた背の高い男が数歩前に踏み出すと、片膝を付いて跪いた。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね」
「バルよ、妾を探しておったのか? それは済まぬことをしたのう。して、妾に何用か?」
「はっ! いくつか殿下に急ぎ、伝えねばならぬ事が有り、報告に参りました」
「ほう、その中に喜ばしい報告はあるか?」
「いえ、残念ながら」
バルサルクは二度だけ首を横に振り、ウルスラにそう答た。
「······良い、申してみよ」
「はっ、報告は三つ。一つ目が、先日申し上げた消息を絶った密偵の件ですが······本日の未明、殿下のバラ園にて庭師が遺体を発見しました」
「そうか、惜しい人材を亡くしたな······兄上に気が付かれてしまったか?」
「はい、それがほぼ確実かと」
「密偵の件は了解した。丁重に葬ってやってくれ。それで、他の二つは?」
「はい。二つ目は、第二王子カルロ様、第三王子フィリップ様。また、第一王女イレーネー様、第二王女マデリン様が、第一王子アレックス様と共に······挙兵の動き有りと」
「まぁ、妥当じゃな。あの辺は異母兄弟でありながら結束が強かったからのう······それで、妾の幼き妹君はどうなりそうじゃ?」
「当然ですが、第四王女アリーチェ様にも囲い込みがあったようで、幼き主に変わり、近衛騎士筆頭の判断で第一王子側に付いていると思われます。この件についてはどうされますか、ウルスラ様?」
バルサルクの問いにウルスラは、人差し指と中指で唇を撫でながら思考を巡らせる。
「はぁ、まさに四面楚歌じゃな······それらを迎え撃つ他にあるまい。それで最後は?」
「はい、三つ目ですが、王族近衛騎士による我々への襲撃は、今夜行われるとの事······私からの報告は以上です」
報告を聞き終えたウルスラは、手すりの方へ振り返ると、黒色に染まった空の下で輝く、城下に住まう人々の生活の光を眺めながら問いかけた。
「バルよ······今ならまだ、そなたを妾の手から解く事もできるが······どうする?」
「これはまた、貴女様には珍しく弱気ですね?」
「ふん、妾にも心細い時くらいある。それがたとえ、恐るに足らぬ事象であったとしてもだ」
ウルスラはバルサルクにムッとした表情をむけるも、すぐに暗く落ち込んでしまう。
「愚問ですね。この身はどこへだろうと殿下について参ります。たとえ行く先が地獄の底であろうとも、私は貴女様の憂いを払う騎士なのですから」
その言葉を聞いたウルスラは、悲しげに微笑む。
「······立つがよい」
「はっ······」
バルサルクは鎧の軋む音を微かに立てさせながら、静かに立ち上がる。
ウルスラは振り返り、バルサルクに歩み寄る。そして立ち止まる事無く、鎧の上から抱きしめた。
「······其方も珍しく説教をせぬのじゃな?」
「今日は特別です。それ我が主の震えている肩を黙って見ていられるほど、私は良くできた従者ではありません」
バルサルクは腕を広げて必死に抱きしめている小さな主を、包み込むように抱きしめた。
「殿下、鎧が冷たくありませんか?」
その問いにウルスラは首を小さく横に振り、否定する。
「いや······とても暖かい」
そう答えた少女は、とても穏やかな表情をしていた。
「······其方は人になれた。だが、妾と共にあればまた人でなくなるかもしれぬ。だから―――」
そこまで言いかけた所で、バルサルクが口を割り込んだ。
「私を人にしてくださったのは殿下です。貴女様のためならば、私は怪物と呼ばれたあの頃に戻ったとしても構いません。なぜなら、また殿下が私を······人にしてくださいますでしょうから······」
「······約束する。今夜、呪縛を解き怪物となる其方を必ず人に戻すと」
一度だけ強く主を抱き締めたバルサルクは、少女の華奢な肩に手を当てて密着していた身体を離すと、目を合わせて問いかけた。
「肩の震えは止まりましたか?」
「うむ、もう大丈夫じゃ······」
抱擁を解くと同時に、あどけなさが残るウルスラの表情から幼さが消えた。
「バル、明日の朝まで姿を隠すよう、妾付きの従者全員に伝えよ」
「かしこまりました。殿下はどうなさいますか?」
「妾は着替えてくる。死装束になるかもしれぬからのう」
ウルスラは悪戯っぽく笑みを受けべてそう告げると、それを見ていた騎士はクスリと笑う。
「御冗談を。そう言われると思いまして、既に殿下の自室の前に侍女を待たせております」
「うむ、相変わらず準備が良いのう。では行け、それらが終わり次第、厩で落ち合おうぞ」
「はっ!」
バルサルクは短く返事をすると立ち上がり、城の中へと入っていった。
その背中を見送ったウルスラは、名残惜しそうに城下の明かりを一瞥すると、露台を後にしたのだった。




