第十一話【宴とドーナツ】
豪快に肉を喰らい、なみなみと器に注がれた酒を一気に飲み干し、笑い、歌い、この場はもはや何でも有りの状態だった。
焼畑作業を終えてから一夜が明けた今でも、依然として濛々と煙が蒼天へと昇っていく。
それを尻目に俺達は、作業に追われてできていなかった新年の祝いと焼畑作業の終了を祝しての宴を開いていた。
しかし、何故か俺は並んでいる料理にありつくことすらできずに、熱々の油で満たされた鉄鍋の前で、既に数時間も立ちっぱなしである。
周囲からは子供達の熱視線が向けられていて、チビッ子達に混じって一際強い眼差しを向けてくるチノの姿もその中にあった。
そんな待望の眼差しを向けてくる彼等を一瞥して、鉄鍋の方に視線を戻すと熱い油の中にいくつも浮かんでいる球形の塊が、良い感じに黄金色に染まってきていた。
「そろそろか······」
清潔な布の切れ端を敷いた大皿に、油で揚げていた物を盛り付けていくと、周囲からは息を飲む音が聞こえてくる。
油の中から一つ取り出す度に強くなっていく甘く芳ばしい香りに、ギャラリーは待ちきれないと言わんばかりの表情だ。
そんな彼等を魅了しているのは至ってシンプルな料理だ。
小麦粉、砂糖、ウルム(バター)、卵、を目分量で混ぜ合わせ、出来上がった生地を球形に丸めてオリーブ油で揚げた、所謂ドーナツだ。
形状からしてサーターアンダギーなのであろうが、彼等への説明が面倒なので、ここは形式的にドーナツと呼んでおくとしよう。
ドーナツが揚がるのを待ちわびていた子供達の尻尾は、柔らかでモフモフとした毛並みを靡かせ、一定のリズムを刻みながら左右に振られていている。
そんなものを見せられては、意地悪で焦らしプレイをしたくなる衝動に駆られるのは当然のことなのだが、それをグッと堪え、湯気が立っている大皿を、食事や休憩をするために広げられた絨毯の上に置く。
「うっし、食べて良いぞ! 熱いから火傷すんなよ!」
「「「うわあぁぁぁあぁぁぁ!」」」
「いただきまーす!」
「うまかー!」
「おいしかねぇ!」
「ねぇー!」
一斉に大皿に群がる子供達。すでに数回見た光景なのだが、その勢いは収まる事を知らない。
「ケンカしたらもう作らねーぞ!」
「「「はーい!」」」
返事だけは良いのだが、目の前では明らかにおかわり組のドーナツ争奪戦が始まっていた。
「で、お前はあの中に混ざらないのか?」
「うっ······流石に族長としての立場っていうのがあるけんねぇ······」
力なくダラリと耳を垂れさせているチノは、大皿からあっという間に姿を消していくドーナツを、残念そうな表情で眺めている。
「まぁ、落ち込むなよ。お前の分は今、個別に揚げてるところだからさ」
「えっ! そいは本当?」
俺がそう声をかけると、一瞬にして倒れていた耳がピンッと跳ねた。そして、パチリと開いた大きな瞳を輝かせて、聞き返してくる。
「あぁ、こうなるのは分かりきってたからな、タイミングをずらして生地を油に入れておいたんだよ。そろそろ揚がるだろうから行こうぜ」
「うん!」
「っておい、危ないからそんなに押すなよっ」
「ふふっ。よかやん、早う行こうさ!」
チノは大きく頷くと、火にかけたままにしている鉄鍋の方へ向かおうとした時、楽しそうな笑い声と共に急かすように背中を少女が押してきた。
普段は族長だと気を張って、大人びた印象を受けるが、時折見え隠れする少女の面影は、やはりチノは十四歳の女の子なのだと再認識させられる。
自分が十四歳の時は学校に行って、部活や友達と遊んで、責任や重圧なんて感じたことなかったし、未来の事など漠然としか考えていなかった。
それが悪い事だとは一切思わないし、むしろそれが本来あるべきの子供の姿だと思う。
「ん? うちの顔ば見てどがんした? なんか付いとる?」
「いや悪い、何でもないよ」
いつの間にか足を止めて、自分がその笑顔を見つめていたということに、チノの発した言葉で気が付く。
ずっとこの穏やかな笑顔を見ていたいと思わずにいられない。
妹の事を溺愛していた親父は、きっと同じことを考えていたに違いない。
何も言わずに悩みを一人で抱え込んで、今にも壊れてしまいそうなあの横顔を、俺はもう見たくない。
だから、この移住は俺が絶対に成功させるんだと、意気込んだその時、ふと横に出て並んで歩くチノの顔が目に入った。
「ふっ······」
「ん? どがんかした?」
「いや、絶対に皆で移住を成功させような?」
「当たり前たい! でも、カズヒサと皆が居るけん心配なか!」
そう、これは俺一人でやってる事じゃない。皆が力を合わせて初めて成功するのだ。
自惚れていた自分にそう釘を刺して、俺とチノはドーナツを取りに戻ったのだった。
昼頃に始まった宴。俺がようやく鉄鍋の前から解放された頃には、太陽が西の空に沈んだ後で、準備されていた松明の灯がこの場を照らしていた。
しかし、宴は今なお続いていて、寧ろ時間が過ぎて行く度にその盛り上がりは強まっているように感じる。
「ふぅ、ようやく終わったな」
誰も座っていない絨毯の上に腰を下ろし、そのまま後ろに倒れて寝転がる。
「はぁ······冷えて来たな」
この絨毯は端の方にあるためか松明が無いため、散り散りに楽しんでいた者達も松明のある中央の方へと密集していた。
だが、そのおかげで空を見上げると満天の星空が目に飛び込んできた。
「もうすぐ新月だな······ということは、こっちに来て三ヶ月以上たったのか······はえぇ」
ここまでの道中で、何も調べなかったわけではない。町や村、集落に着いた時には必ず言い伝えの類の話を聞くようにしていた。
確かに、モングール族の稀人伝説のような存在の言い伝えは各地で確認することができた。だが、その先の進展。つまり、彼らが元の世界に帰れたのかという情報が欠如していたのだ。
帰る、帰らないの心配はもちろんあるのだが、一番気がかりなのは残して来た家族の事だ。
俺がいなくなったせいで、うちの家族にどのような変化があったのだろうかと想像するだけでも怖い。最悪の事態になりませんようにと祈るのが日課になってしまっている。
そんな物思いにふけっていると、不意に声を掛けられた。
「もう、こがん所に居ったとね。ずっとカズヒサの事ば探しよった」
「そうだったのか、それは悪かったな」
足元に転がっている石を踏む音が近づいてきて、音がすぐ傍で止むと、寝転がって星を眺め続けている俺の隣に、チノは静かに腰を下ろした。
「いや、謝らせるつもりは無かったとばってん······その、着替えに行って、カズヒサば見失ったうちが悪かとよ」
「着替え?」
眺めていた星達から目を離し、チノの方を見る。
「その狼の毛皮、久しぶりに見たな」
「え、こっちば見とらんやったと? それに感想がそこだけって、もう······」
俺の感想に不服そうな表情を見せるチノさんは、小さく可愛らしい溜息を吐いて、口を開いた。
「これ、懐かしかやろ? 狼の毛皮ば被る時は儀式か、他所から来た訪問者と謁見する時ぐらいやけんね」
「そうなのか。だから初めて会った時、それを被ってたんだな」
「そうばい。今から皆の前で新年の挨拶ばせんぎいかんけん、着替えて被って来たとよ」
そう言ってチノは身体を捻ってこちらを向き、俺の髪を撫でながら問いかけてきた。
「暗か表情ばしてどがんしたね? 何か悩み事でもあると?」
「······チノお前、俺の心が読めるのか?」
「ふふっ······あはは、カズヒサは自分が思っとる以上に顔に出とる思うよ?」
「えぇ、マジか······いや、元の世界に居る家族が気がかりでさ······心配させて悪いなとか、元気かなって」
「······家族」
その単語が出た途端に、チノの表情が微かに暗くなった気がした。
「悪い、家族の話とか嫌だったよな」
「え、ううん! そがんことなかばい! カズヒサは気にし過ぎったい!」
分かりやすい程に気丈に振舞おうとするチノに、こちらからこれ以上話すことなど、できるはずがなかった。
「でも、カズヒサの気持ちも分かるなぁ、うちもお父さんとお母さんが恋しくて、寂しゅうなるぎ、よう一人で星ば眺めよったもん」
「俺は別に寂しくなんて―――」
何故、ここで見栄を張ったのかは分からない。だが、それをいとも簡単に見透かした少女は、人差し指で俺の唇を優しく押さえてきた。
「さっきも言うたやろ? カズヒサは自分が思っとる以上に表情に出とるって」
微かな月明りに照らされて、意地悪にクスクスと笑う少女は、先程までとは違い、自分より年上なのではないかと錯覚を覚えずにはいられない。
「ったく······寂しいさ。そりゃあ家族とは仲が良かったからな。たけど、寂しいのはいくらでも我慢できる。ただ、心配なんだよ。俺がいなくなったせいで、祖父さんが肩身の狭い思いをしてないかってさ······」
「······」
「悪いな、暗い話を聞かせちまって。皆の前で新年の挨拶するんだろ? 聞きに行くから皆の所に行こうぜ?」
「あっ······」
身体を起こして立ち上がる時、少しだけチノがシュンとした表情を見せた気がしたが、こんな話を聞かされては仕方がないだろう。
「ほら、立ちな」
「う、うん」
まだ座っているチノを立ち上がらせるために手を差し出すと、少しだけ驚いた様子でこちらの顔を伺うと、オズオズと掌を握ってきた。
小さい。何度かこの少女の掌を握ったことがあるが、その度にそう感じてしまう。
チノの腕を引っ張り上げて立たせると、ぼーっとした表情をしていた。
「おいどうした、立ち眩みか?」
「えっ? ううん違う、大丈夫」
「そうか、じゃあ行こうぜ」
「うん······」
チノの頭の上で掌を軽く二度弾ませ、明るく松明が燃えている方を向いて、歩こうとしたその時、後ろに居るチノから呼び止められた。
「······ねえ、カズヒサ」
「なんだ?」
「いや、その······うち、カズヒサが······」
振り返ると、俯いたチノが言葉を詰まらせながらも、必死に何かを言おうとしている。
そして、少しだけ大きな呼吸を二回して、意を決したように顔が上げられ、それと同時に目と目が合った。
「うちは、カズヒサが、す、す······すぐに家族に会えるごと、元の世界に帰る方法ば一緒に探すけんっ!」
「お、おう。そいつは心強いな······」
いきなりチノはどうしたのだろうか? ······そうか、チノは帰る方法が見つかればすぐに帰ってしまうと不安なのだ。そりゃあ開拓を指導する人間が突然居なくなったらと考えると、怖くて言葉も詰るだろう。
「おいおい、どうした? 俺が居なくなるのが寂しいのか?」
「え、あ、あ、当たり前たい! カズヒサはうちらモングール族の一員ばい? 居らんごとなるぎ、皆も寂がるに決まっとるよ!」
「そうか。でも安心しろ、帰る方法が見つかってもお前らの開拓が終わるまでは、ちゃんと見届けるつもりだからさ」
「······見届け終ったら?」
「うーん、そうだなぁ。その時は、開拓を手伝ったお礼にチノから使わなくなった荷馬車を貰って、行商人でもしながら旅をして、帰る方法を探すさ」
「そう······ばいね。ここに居っても帰る方法は分からんもんね」
「まぁ、最低でも二、三年は先の話だけどな」
「うん······って、え? 二、三年?」
「あぁ、一から肥料を作るのは時間が掛かるからな。その他にも農業は教えることが多いし、その上時間がかかるんだよ。だから、すぐに居なくなったりしないから、そんな顔すんなって。今から皆の前で新年の挨拶をするんだろ?」
「本当? いきなり居らんごとなったりせん?」
「おぅ、なんたって俺は、一度始めたことはキッチリと終わらせる派だからな」
「······ふふっ、何それ?」
自信満々に、敢てオーバーなジェスチャーを加えながら言い切ると、チノは笑みを溢した。
「おっ! やっと笑ったか。これで皆の前に立てそうだな」
「うん、ありがとう······じゃあ行ってくるけん。あ、うちの話ちゃんと聞いとってよ?」
「はいはい、分かってるって。聞き洩らさないように聞いてるから行ってこい」
「もう。そいぎ、行ってくるね」
はにかんだ笑顔でチノはそう言うと、皆の方へ小走りで向かった。
頭から被る毛皮を、パタパタと躍らせながら駆けて行く少女の後ろ姿を見て、分不相応にも俺は思う。
今だけでも、チノが感じている孤独を忘れさせられる存在でありたいと。




