第九話【木って!切って!斬って!伐って!剪って!】
治癒術師のドーラフという名の老婆に、左腕の骨折が完治したという太鼓判を貰って一週間が経過した。
腕が治ってからはもちろん、斧を握って木を伐り続ける日々に入ったわけなのだが、俺の周囲では今、某大物演歌歌手の木こりを題材とした名曲が至る所で響き渡っている。
事の発端は、元の世界で炭焼に使用する木材の切り出しをしていた時を思い出して、斧を振るリズムに合わせて歌ってしまったのが始まりだった。
木を一本切り倒して振り向くと、そこにはギャラリーができていた。
話を聞いてみると、どうやらこの曲が気に入ったようだった。
この世界の住人が、せっかく日本文化に興味を持ってくれたので、久しぶりにスマートフォンの電源を入れ、祖父さんと農作業をする時のために作った演歌ファイルを解放した。
生ではないにしろ、本人の歌声を聞いた彼らに感想を問うと、その概念を教えた訳でもないのに、口を揃えてこう答えたのだった。
「染みる」と、
それからずっとこんな状態が続いているのだが、結論から言うと悪くない。
野生の動物の殆どは音や声に敏感で、よっぽどの縄張り意識と勝算がない限り、警戒してこちらに近寄ってこないからだ。
冬という季節柄もあるが、作業を開始してからの二週間は、獣の類と遭遇したという事案は一切発生していない。
元々は、一人百回斧を振るうたびにファイト―!と、雄叫びを上げさせていたが、今ではその必要が無くなってしまった訳だ。
ちなみに、何故ファイト―! かというと、その後に続いて一発!と他の者にも雄叫びを上げさせるためである。端的に言ってしまえば完全に俺の趣味だ。
「ん······そろそろだな」
既に百本以上の木を切り倒して来た経験から、あと数回ほど幹に斧を入れると木が倒れると分かる。
そこで一度、作業を止めて深く息を吸って周囲に向けて大声を上げた。
「倒れるぞー! 倒れるぞー! ハワル班は周囲を警戒し、点呼を取れ!」
すると、俺の声に木霊するように返答がすぐに返ってくる。
「一号警戒!」
「二号警戒!」
「三号警戒!」
「四号警戒!」
全員の返事が聞こえたことで、再び肺に空気を溜めて声を張り上げる。
「点呼確認完了! 倒ぼーく! 倒ぼーく!」
幹に斧を叩き込む度に、木はメキメキと悲鳴を上げながらゆっくりと傾いていく。
そして、ある角度まで傾くと根元が瞬く間に折れ、地響きを発生させながら木は一気に倒れた。
「倒木完了! 各自警戒を解き、作業に戻れ!」
「一号了解!」
「二号了解!」
「三号了解!」
「四号了解!」
返事が聞こえるとすぐに、木を叩く音が周囲から響いてくるのが分った。
なぜ、こんな面倒な事をしているのかというと、木を伐り始めた初日に倒木事故が起きそうになったからだ。
一応、木に予め切れ込みを入れ、倒れる方向を調節はしていたのだが、毎回必ず上手く行くわけではない。
実際に、事故が発生しそうになったため、本来の林業関係者のやり方は分からないが、自分たちになりに安全なやり方を考えて、今の形になったというわけだ。
斧を木に乱暴に突き刺し、腕時計を見ると針は正午の五分前を差していた。
「さーて、そろそろ休憩に行かせないとな」
この開拓を始めるに当たって、まず行ったのは部隊の編制だった。
皆で一斉に木を伐っても作業効率が悪いため、それぞれの作業に人を割り振って、同時進行で様々な作業に取り掛かることにした。
部隊編成の内訳は、こうなった。
木こりに男性を五十人。
倒木の運搬に男性を三十三人。
木の根の掘り出しに男性を二十五人。
石運びに男性を五人。
周囲の警戒に男性を十五人。
朝昼夕の炊き出しに女性を十人。
伐りだした木材の加工に女性を六十人。
斧砥ぎに女性を十人。
木の根の掘り出しに女性を十人。
裁縫に女性を十人。
家畜の世話に女性を十二人、子供が二十人。
その他の幼い子供の世話は、力仕事が難しい老人に見て貰っている。
正午は木こり部隊が昼食を取る時間であるため、ハワル達を集めて他の場所に散る、木こり部隊に昼食の時間であることを伝えに行かせる。
だが、まだ俺は昼飯にありつくことはできない。
あくまで午前中は森の中で時間が分からない木こり部隊に付き添い、これからは周囲の警戒に当たっている部隊に合流し、交代で昼食と休息に行かせなければならない。
それが終れば、木材の加工をいている女性たちの下に赴き、指示した仕様通りに製作されているかの確認をしなければならない。
その次は、家畜番たちの休憩を交代で行かせ、それが終ってからようやく昼飯を口にすることが出来る。
夜になれば、それぞれの責任者を集めて作業の進捗の確認する会議が開かれる。
当然だが、これだけの人数が同時に作業を行うと当然、問題や不平不満などが発生する。
それを、それぞれの現場に赴いた時に全て解決しなければならないので、結局は何も考えずに木を伐って肉体労働している時が一番楽なのだと気が付くのに、二日とかからなかった。
最初は、族長チノに問題が発生していないか、時間を分けてにそれぞれの作業場を回り、話を聞き取りをするようにと指示を出したのだが、何故か皆はチノに遠慮して物を言えないという事態が発生した。
そのため、現在チノは手先が器用な事もあって木材の加工部隊に行ってもらっている。
そんな訳で一人で何役もの仕事を行っているため、仕事終わりにはヘトヘトになってしまい、夜は食事を腹に詰め込み、お湯に浸した布で身体を拭いて寝るというだけの生活が続いた。
チノからは少し休んで欲しいと頼まれたが、冬の間にやらなければならない事がありすぎて、休む気持ちにはなれず、心配させないように「大丈夫」と笑って、その会話を無理やり終わらせた。
そして、開拓を開始してから三週間経過した頃、予定していたエリアに生える木々の伐採が全て完了した。
伐採するエリアは十カ所に分割しており、縦長で伐採したエリアとエリアの間に、今後のためにそれぞれ同面積の森林を残す形にした。
木こり部隊が必要無くなったことで、他の作業に人員を割り振る余裕ができ、作業効率は雪だるま式に向上していった。
だがその分、対応しなければならないことも増えて行き、日を跨ぐごとに、疲れから胃に食べ物が入らなくなって睡眠を欲するようになった。
だけどここで休む訳にはいかない。雪が降るまでに焼畑をしなければならないからだ。
それに、もし春までに開拓が間に合わなければ、モングール族を一人残らず飢え死にさせることになる。
その重圧が疲弊した身体を強制的に突き動かす。
そして過労に過労重ねて体力の限界に達した俺は、作業場から他の作業場に向かう途中で目の前が急に暗くなった。
掌に柔らかく暖かい感触を感じる。
「ん······あれ······?」
目を開けると、外に居たはずなのにゲルの中に居て、すぐ傍にはチノの姿があった。
掌を握る少女がこちらに向けるその表情は、酷く心配している様子だった。
「良かった······目が覚めたね。もう、心配したとばい?」
チノは溜息交じり話かけてきた。その声に安堵が含まれているのが嫌でも分かってしまう。
「どうして、俺は寝てるんだ?」
「覚えとらんと? うちらの作業場から、他の場所に行く途中で倒れたとたい。遊びよった子供たちが血相変えて、うちの所に飛び込んで来た時は冷や汗ばかいたとよ?」
「そうか······ごめん、心配かけた」
「働き詰めで疲れとったとやろう? もう今日は寝ときんしゃい」
「いや、もう大丈夫だ。皆も働いてるし、作業に戻るよ」
チノにそう断って寝台から起き上がろうとした時、肩をチノに押さえられ起き上がることが出来なかった。
「えっ······?」
思わず口から出た驚きの声。それはチノから押さえられて出た物ではない。
軽く力を加えているチノの細い腕を押し退けて、起き上がれなかった自らの身体に驚愕してしまったのだ。
「驚きよるばってん、当たり前たい。そがん身体じゃ力も入らんよ」
驚いた表情をしていたのだろう。チノは呆れた声でそう言いながら額から頭部の方へと小さな掌を滑らせて、優しく撫でてきた。
「最近、ちゃんとご飯ば食べとらんやったやろ?」
「······食ってたよ」
小さな意地のせいでこの口は、少女に小さな嘘を吐いてしまう。
だけど少女は見え透いた嘘に怒ることは無かった。
「カズヒサは仕事しよる皆の事ば、ちゃんと見れてすごかね」
「······そんなの誰にでもできるさ」
小さな意地のせいでこの口は、少女に小さな見栄を張ってしまう。
子供から老人まで、全てに仕事を割り振り、三百人近くを纏めて円滑に作業をさせるのはかなり体力的に辛いものがある。
だけど、弱音を吐くことなどできない。
何故なら、目の前いに居る少女が一人で何年も、草原の大地でやってきた事だからだ。
「何でもかんでも一人で背負って、無理せんで良かとばい?」
「べ、別に背負ってねえし、無理もしてねえよ······」
小さな意地のせいでこの口は、少女に小さな虚勢を張ってしまう。
「カズヒサが皆の事ば見よるごと、うちもカズヒサの事ば見よったけん、誰よりも頑張りよったって知っとるとよ?」
「······皆が頑張って働いてんだ······指示出してる俺が人一倍頑張るのは当たり前だろ」
チノは優しく微笑んで頭を撫で続ける。
「だいぶ痩せてしまったね。ご飯が入らんやった?」
「······」
何も答えれなかった。だが、チノは一度だけ頷くと、再び問いかけてくる。
「一人で無理ばさせてごめんね。うちも居るとやけん、頼ってくれても良かったとばい?」
「······」
「うちは、そがん頼りなかったやろうか?」
チノの漏らしたその言葉に、思わずハッとして口を開く。
「そんなことないって! 俺はただ、自分がやれることをしようと、してた、だけ、だからさ······」
チノに心配をかけないよう、良かれと思ってやっていた事で、チノにそんな思いをさせていた事に今更気が付いた。それもチノの口から言わせたも同然の形でだ。
その事実に気が付いた今、今まで張っていた小さな意地が如何に恥ずかしものだったかを実感してしまう。
「カズヒサは働き者やけん、疲れたやろう?」
「······ごめん、実はもう結構辛い」
チノはその言葉にただ頷く。
「ご飯、入らんやった?」
「最近······一口、二口食べたら飲み込めなくなってた」
チノの言葉の前では、もうこの口は小さな嘘を付き通すことなどできなかった。
「無理ばさせてしもうたね、今日はゆっくり休みんしゃい?」
「······でも、行かないと作業が」
「後の事はゲレルに任せとるけん、心配せんで良かよ?」
「·····そうか」
やはり、この少女は族長なのだと思い知らされる。しっかりと皆を見ていて、欠けた部分を補う方法も分かっている。
一歩身を引いて任せる事を、一人で抱え込まずに誰かに頼ることを、チノは知っているのだ。
それに引き換え、砕猪にやられた失敗を取り戻そうと無理をして、また迷惑と心配をかけている自分が酷く情けない。
「苦労ばかけたね、しっかり休んで元気になればまた働けるとやけん焦らんでよかたい。そうやろ?」
「あぁ、そうだな······じゃあ甘えさせて貰うよ」
その言葉を聞いたチノは、少しだけ嬉しそうに微笑む。
こうして、久しぶりに緩やかに流れる時間を、チノと過ごす事ができたのだった。
翌日には食事をしっかりと取る事ができるようになり、チノ曰く死人のようだった顔もマシになったという酷評も頂いた。
二日間の休息を取ったおかげで体調も回復し、作業場に戻ることができた。
あと数日もすれば、開拓の第一段階も終わるだろう。
だが、これはまだ始まりに過ぎないと肝に銘じ、まだ先の長い開拓の中で、同じ轍を踏まないと固く誓い、作業の日々に俺は戻ったのだった。




