第八話【さぁ、開拓を始めよう!!】
東の空が今日の始まりを告げようとする薄明時。
吸い込む空気は冷たく喉と鼻粘膜を冷やし、吐き出す息は白い靄を孕んでは消えていく。
火を起こそうにも左手は添え木で固められ、火石を使おうにも一つは森の奥深くに有り、残りはゲルの中だ。
要約すると、なぜ病み上がりにもかかわらず、こんな日の出前の一番寒い時間帯に外に居るのかと言うとだ。
目を覚ましたチノに悲鳴を上げられ、昨晩の予想通りに怒られたため、
「神に誓って、チノの身体に指一本触れてない!」
と、力強く弁明した。
それなのに何故か、チノは紅くなっていた頬を、さらに茹でダコのように赤く染め上げて烈火のごとく怒ると、毛皮のコートと共に外に追い出されたのであった。
「あ······そういえば、指一本は触れたな。もしかして、それで怒ってんのか?」
あぁでもない、こうでもないと寒空の下で考えて居たら、不意に聞き慣れた野太い声で名前を呼ばれた。
「おう、カズヒサ」
「なんだ、ゲレルのおっさんか」
「なんだとは失礼かぞ······まぁ良か、口が悪かとは今に始まった事じゃなかしの。そいで、外に居るって事はもう身体の具合は良かとか?」
掛けた声の返答に呆れた様子のゲレルは、添え木の当てられた左腕を一瞥し、顎髭を撫でながら問いかけてきた。
「あぁ、おかげさまでね。危険な森の中を分け入って助けて貰ったんだ、寝込んでたら罰が当たっちまう」
「まぁ、働いて貰わんぎいかんばってん、無理せん程度で頼むぞ?」
「分かってるって、その辺は任してくれ。それで、何か用があって来たんじゃないのか? まさか、心配で俺の顔でも見に来てくれたとかか?」
「おぉ、そうやった。昨日の夕方、チノに来るよう言われとったとやった」
そう言ってゲレルは、チノが居るゲルの方へと歩き出したため、慌てて肩を掴んで足を止めさせる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今はそのなんだ、タイミングが悪い。出直した方が良いと思うぞ?」
「タイミングって何や? 食いもんや?」
「あぁクソ、面倒だな······間が悪いって意味だよ。考えてもみてくれ、どうして病み上がりの俺が外に居ると思う?」
そう問いかけたことで、事情を察した様子の人生経験豊富そうな中年のおっさんは、口元を大いに歪ませて肩を組んできた。
「何だ? チノと痴話喧嘩でもしたとか? ちょっと、経緯ば聞かしてみろ、おいちゃんが仲直りさせてやっけん!」
この中年のおっさん、完全に新しい玩具を見つけた顔をしている。
「うわっ、おい近いから離れろ! 分かった話すって! だから、さり気なく左腕を掴むのはやめろっ!」
そんな問答がしばらく続き、ようやくゲレルの拘束から解かれた俺は、渋々チノとの喧嘩の概要を話した。
「はぁ、その喧嘩の原因が分からんけん、お前はいつまで経っても童貞っちゃろうもん」
「だ·か·ら、その原因ってなんだよ? 仲直りさせてくれるんだろ? 勿体ぶってねえで早く教えろっつーの!」
「ったく、近頃の若者はせっかちでいかん。だが流石にこいはなぁ······チノの名誉もあるし、おいの口からは言えんぞ」
そう言うとゲレルは、困ったように人差し指で蟀谷を軽く掻いた。
「おいおい、何だよそれ。それじゃ話し損じゃないか」
「まぁ、そがん言うなさ。仲直りの方法やぎ、おいちゃんが教えてやぁけん安心してよかばい」
「本当か? いや、それはマジで助かる。それで、俺は何をすれば良いんだ?」
「何をすれば良いって、そりゃあお前、ナニば擦れば良いに決まっとるやろうもん?」
ゲレルは言ってやったという自信満々の笑みを浮かべているが、残念ながら言葉の意味が分からない。
おそらく、何か意味があるのだろうが、俺には同じ言葉を二度繰り返しただけにしか聞こえなかった。
「······ん?」
「ん? ってお前なぁ······これやけんニブチンは好かん」
俺の反応を見たゲレルは、呆れたように深く溜息を吐くとナチュラルにディスられてしまう。
「その年で初心なお前さんに分かりやすく説明してやるたい。ようするに、チノといっぱ―――」
そこまで言ったところで、ゲルの入り口の幕が勢いよく上がり、チノの大声がゲレルの言葉を遮った。
「朝っぱらから何の話ばしよっとねっ!」
それに対してゲレルは素早く振り向き、何事も無いように答える。
「何って、そりゃあナ―――」
「そがんこと言わんで良かっ!」
ゲレルの声は悉くチノに遮られ、まったく話の流れが読めなかった。
「もう、来たとやっぎ早う中に入ってきんしゃいさ!」
「いや、そがん言うばってん、カズヒサがお前さんと仲直りばしたかって言うけん、おいは、その方法ば教えよったとぞ?」
「よう言うばい! うちはあんたのせいで、お父さんとお母さんにどれだけ怒られたと思っとっとね?」
「いや、あの時は、あいつらが喧嘩したってお前さんが泣きよったけん、仲直りする方法ば教えただけとぞ。実際に次の日には仲直りしとったやろ?」
「そうばってん、あれは子供に教えて良かことじゃなかばい!」
「いや、まさか二人にそのまま言うとは思わんやろうて。事故たい、事故」
どうやら、昔の禍根に火が付いたようだ。
チノは攻め立てるが、ゲレル自身もその時の事を少し悪いと思っているのか、どうもタジタジである。
何故チノが激怒しているのかは分からないが、このままでは集会の開催も危ういと思い、十四歳の少女に怒られ、頭の上がらないゲレルに助け船を出すことにした。
「おいチノ、そんなに怒らなくても良いじゃないか。ゲレルのおっさんは、本当に俺達を仲直りさせようと、知恵を貸そうとしてくれてたんだぞ?」
「そいが一番いかんとたい!」
この言葉に対し、チノは覇気の籠った声で一喝し、気が付けば俺は無抵抗の証として両腕を上げていた。
「お、おい、ゲレルのおっさん、早くその方法って奴を教えろよ、すぐに実行するから!」
「お前そいは本気や? こういうのは雰囲気が大事やし、絶対おすすめせんぞ?」
「あぁ、それで良い。これ以上チノに怒られるのは御免だからな」
「お前さんは本物の漢ばい。そいぎチノといっぱ―――モブッ」
「分かった! 分かったけん! もうさっきのことは許すし、外に出したとも謝るけん、ゲレルの話ば聞くとはやめんしゃい!」
顔を真っ赤にしたチノが、話そうとしたゲレルの口を物理的に塞ぐと、良く分からないまま、許された上に謝られた。
その後、本気で呼吸を遮っているように見えるチノと、顔色が悪くなっていくゲレルの攻防が落ち着くまでに数分の時間を要したのだった。
結局ゲレルは、外でチノと立ち話をして一族の皆を集めるよう指示を受けると、不機嫌そうなチノを恐れてか、そそくさと皆の所へ向かった。
「結局、方法って何だったんだ······?」
「もう、あの事は許したって言うたやろ? そうけん、その話は盛り返さんで良かと。ほら、そがん恰好じゃ皆の前に立てんけん着替えるばい」
微かに頬を膨らませるチノは、釘を刺すように俺の疑問に抗議すると、ゲルの幕を上げて中に入るように促した。
「いや、着替えくらい一人で······」
「使えん腕で帯ば結べるとね?」
「う、すみません、お願いします」
チノに介助してもらい、着替えを済ませて外に出ると、家畜の柵の向こう側には人が集まりかけているのが見て取れた。
「足の痛みは無かね?」
「あぁ、大丈夫だ。何日も寝てたから少しふらつくけど問題無いぜ」
「立って話すとに疲れたら、ちゃんと言いんしゃいよ?」
「分かってるって、ったく、チノは心配性だな。でも、ありがとな」
「もう······馬鹿」
こちらに向けていた顔を背けて、チノは微かな声で呟いた。
その声はしっかりと耳に入っていたが、悪い気はしなかったため、触れるなどという野暮な事はしなかった。
一族の子供から老人の全てが集まり、個々それぞれが騒めきの中でこちらに注目している。
「流石に一族総出となると緊張するな。漏らしそうだ」
「ふざける余裕があるだけでも十分たい」
そう言ってチノは、慣れた様子で一歩前に出ると穏やかでありながら、良く通る声で話し始めた。
「朝の早か時間から集まってくれて、ありがとう。今日はうちらモングール族にとって大事か話のあるけん、心して聞いて欲しか」
そこまで言い終えると、チノは無言で目配せをしてきた。つまり、前に出て話せということだろう。
その辺を察し、緊張しながら前に出る。すると、後ろで見ていた時よりも一層、彼等の表情が重圧となって押し寄せてくる。
「······上等だ」
水分が失われていく口で呟き、右掌を固く握り締めると、間接の乾いた音が鳴る。そして空気を肺一杯に取り込み、意を決して俺は口を開いた。
「こんな見た目してる事だし、皆が一番心配していることから話そうと思う。想像通り、この怪我は魔獣にやられた物だ。見た目からして、あれが砕猪とか言う奴だと思う」
この発言によって、騒めきはより強くなる。それは予想で来ていた。
横に居たゲレルが騒めきを鎮めるために前に出ようとしたが、このままで良いとそれを止める。
「まぁ、皆が不安になるのはしょうがない。実際、俺は食われるとこだったし、酷い怪我も負った。細心の注意を払いながら森に入った結果がこれだ」
そう言って、添え木が当てられた左腕を前に掲げると、多くの溜息が耳に入った。
「まぁ、皆が落胆するのは分かる。だけど俺達には、魔獣が闊歩するカースド大森林以外に住める土地は他にないんだ!
魔獣を恐れ、逃げだしたところで帝国がそれを許さないだろう。俺達がこの地を離れ、逃げ出した事が他の亜人族に知れ渡れば、帝国の脅威になりかねないからな。
帝国の数千、数万の軍に追いかけられ、見せしめとして殺されるくらいだったら、この森に住まう魔獣と戦う方がまだ勝機はある!
確かに魔獣は恐ろしい。戦い方を良く知っているし、魔法も使う。だがな、俺達には獣に持ち合わせていない武器を持っているんだ。
それは知恵だ!刃を磨き、 鏃を尖らせ、撓る木に弦を張るその知恵が俺達にはある!
魔獣が獣の戦いをするのなら、こちらは人として知恵を絞った戦いで挑めば良いだけだの事だ!」
そこまで言った所で、彼らの中から疑問の声が投げかけられる。
「おい達にどうやって魔獣とやり合えって言うんだよ!」
「そうだ、そうだ! 無茶を言うな!」
その声は同調を集め、徐々に大きくなっていく。それに溜まらず俺は―――
「くっ······ふふっ、あっはっはは!あぁ、くっははは······」
「何を笑ってんだ!」
思わず笑いが止まらなくなり、不気味に感じた者達は一斉に静まり帰る。
「ふぅ······ったく、考え方がなっちゃいねえんだよ。俺達はこの森に住まう獣達を皆殺しにしに来たわけじゃねえんだぜ。
こっちから殺すんじゃなく、襲ってきたり、その可能性がある奴らだけを迎え撃って排除すれば良い話だ」
「だから、魔法ばつかうバケモン相手に、どがん戦えって言うとや!」
「そんなの簡単さ、罠を仕掛ければ良い。獣の習性を調べて利用し、罠にかけて殺す。幸い、おれの故郷じゃ猪に対する熱い思いがあってね、俺は奴らの習性を大まかに知っている。
それに、森を歩いていた時に使える植物も見つけた。
それを上手く使えれば魔獣にも十分対抗できる!
だから諦めずに希望を持ってくれ。
俺は皆の力があれば、この呪われた大森林を誰一人死ぬ事無く、開拓できるって確信してるんだからよ!」
話し終える頃には騒めきは消え、誰一人として喋っている者は居なかった。
「さぁ、始めるとしようぜ! モングール族の全ての命運を賭けた大開拓を!」
太陽が、海側にある山脈の切れ目から顔を覗かせると同時に、右腕を振り上げた。
その瞬間、男達は同じように拳を振り上げて雄叫びが上がる。
「男どもは斧を持って木を切って斬って切り倒せ! 女性陣と子供達にはその手伝いをしてもらう。だから、子供から大人まで一丸となって頑張ろう!」
「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」」」」」
今度は男衆だけではなく、女性陣も混じって拳を振り上げ雄叫びが上がった。
こうして将来、帝国史に記される事となるモングール族によるカースド大森林の開拓が始まった。
これが世界を大きく揺るがし、救いへと導く出来事の発端になるなど、この時、誰一人として知るよしも無かったのは言うまでもない。
拝啓、家族のみんなへ
落ち葉散りしく時節、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
こちらは魔法があり、骨折が早く治るので驚いています。
今後しばらくは木を切って運んでの作業が続くと思いますが、人数は居るので大丈夫だと思います。
ここに来るまではそれほど働いてはいませんでしたが、どうやら年貢の納め時ですね。
まぁ、僕が倒木の下敷きにならないように祈っていただけると幸いです。
長くなりましたが、この辺で失礼したいと思います。どうかご自愛ください。
敬具
山口 和久




