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農大生の俺に、異世界の食料問題を解決しろだって?  作者: 有田 陶磁
第二章 樹海の大炎 開拓の狼煙
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第七話【孤独を恐れる狼の少女】

 冷え切った身体が温められていく感覚。


 柔らかくて、フワフワで、それで少しだけこそばゆい。


 微かに聞こえるゆっくりとした吐息の音と、肌を撫でる暖かい風が意識を覚醒へと導いていく。


「······生きてる······のか?」


 暗い視界の中、霞む目を擦ろうと左腕を持ち上げようとするも、鋭い痛みを感じて反射的に動きを止めてしまう。


「っ······これ、折れてるな······」


 脳に響く痛みによって額に脂汗を浮かべながらそう呟いた時、背を預けていた何かが大きく動き、突然視界が明るくなる。


 強制的に背後に倒されたことで、空を見上げる体勢となった俺は視界に映る光景に絶句する。


 月の光を反射して白銀に輝く毛並みと、長く伸びた鼻先。そして怪しく輝く紅い瞳は、確実にこちらを見つめていた。


 目の前に巨大な狼の存在に気が付いて初めて、ようやくこの状況に陥った経緯を思い出す。


 互いに動きが無いまま長い沈黙が続く。しかし、その重圧に耐え切れず、気が付けば自ら口を開いていた。


「······食わねえのか?」

 

 目の前に居る狼に問いかけてみるも返答があるはずもなく、その替わりに時折高い音で喉を鳴らしながら、ゆっくりと鼻先をこちらに近づけられた。


 最初は食われるのかと身構えたが、どうやらそういう事ではないらしい。


 しきりにヒクヒクと動く鼻に、右手を伸ばして軽く触れてみる。手と鼻先が触れ合ったその瞬間、狼は驚いたように鼻を引っ込めたが、すぐに撫でろと言わんばかりに優しく押し付けてきた。


 希望通りに撫でてやると、狼は気持ちよさそうに目を細め、その巨体から力が抜けていくのが分かる。


 止めるに止められず、この状態で恐らく十分程が経過した頃、眠りについたのか目を瞑り、だらしなく垂れていた耳がピクリと動いたかと思うと、閉じていた瞳が再び開かれた。


 狼は下ろしていた頭を上げて周囲の匂いを頻りに嗅ぐと、気が済んだのか再び鼻先をこちらに押し付けてきたかと思うと、おもむろに白く鋭利な牙が並ぶ口が開き、いとも簡単に咥えて持ち上げられる。


「うぉっ······!」


 この巨大な狼と目が合った時点で、食われる覚悟はしていたが流石に怖い。目を開こうとしても瞼はそれをさせまいと固く閉じて動かない。


「······ん?」


 しかし、いくら待てども鋭い牙が肉を裂き、骨を砕く気配がない。


 このままでは埒が明かぬと覚悟を決め、恐々と目を開ける。するとやはり目の前には白く冷やかに輝く牙が突きつけられていた。


 間近に見る牙の恐ろしさに息を飲んだその時、狼の身体が大きく傾き、半開きになっている口の中からゆっくりと吐き出される。


「······?」


 吐き出された場所は木の根元にできた窪みで、無理のない体勢で座らされていた。


 狼は俺の表情を確認するように顔を覗き込み、問題ないと判断したのか鼻先を近づけてきたため撫で返してやると、優しい風が頬を擽った。


 温められていた身体が冷えた外気に当てられ、小さく身震いを起こす。


 それに何だか頭がボゥっとして、頬は火照っている。恐らく骨折のせいで発熱したのが原因だろう。


 ひとしきり撫で終えると、狼は顔を上げて遠くを見つめる。


「······行くのか?」


『······』


 その問いに返答は無い。だが否定されている気もしない。


「その、なんだ······驚いたけど、助かった······ありがとな」


 伝わらないと分かっていても、意思と関係なくこの口は、礼を述べずにはいられなかった。


 言葉の意味が伝わったのかは分からない。だが、狼は火照り切った頬を舌先で器用に舐めると、名残惜しそうに立ち上がり森の奥へと姿を消してしまった。


「······何だったんだ?」


 まるで白昼夢を見せられた感覚。しかし、今のが何だのかを考えようとしても頭は上手く回転しないどころか、酷い眠気に襲われる。


 どんなに意識を強く持とうと歯を食いしばっても、睡魔が許してくれることは無かった。


 溶けていく意識の中、遠くで鳴く犬の声が聞こえた気がした。


 必死に抵抗していた重たい瞼は、ゆっくりと下りていく。


 そして最後に目にしたのは、狭まっていく世界の中で灯る淡い赤色の光だった。







 次に目が覚めたのは三日後、カースド大森林の調査に出てから六日目の昼過ぎだった。


 起きて早々にチノに長々と説教され、そして最後には泣かれてしまった。


「その、心配かけてごめん」


「謝られたって······簡単に許せる訳なかやん······カズヒサの······ばかぁ······」


「······ごめん」


「もう······うちば一人にせんでっ······どこにも行かんでさ······!」


「······本当にごめん」


 必死に離すまいと胸にしがみ付くチノを見て、この少女を泣かせてしまったという事実に情けなくなり、もはや平謝りしかできなかった。


 結局、チノが泣き止むまでに三時間を要した。


 身体は、左前腕骨折、全身打撲を負ったが、脚に歩けない程の怪我で済んでいたのは幸いだった。


 骨折の手当は既に済んでいて、癒しの加護という能力を持つ治癒術師の老婆のおかげで、一週間程で完治するとの事だった。


 空腹は感じてなかったが、強制て······チノの勧めで消化に良い食事を取ることにした。


 チノが食事の介抱をすると言って聞かなかったが、利き腕は動くため半ば無理矢理にでも自分でどうにか食べた。


 食事の後、すぐに皆を集めて会議を開きたかったのだが、起きたばかりで心配だからとチノに却下されてしまい、今日は身体の具合を見て、問題が無ければ明日の朝に一族の皆を集めるとのことだった。


 食事の後は特に何もすることも無かったため、森の中での出来事をチノに話したが、白い狼の話はキツネに化かされたんじゃないのかと笑われてしまった。


 確かに、あれは夜に見た白昼夢だったのかもしれない。意識は朦朧として記憶も曖昧だし、血も結構流れていた気がする。


 だけど、あれほどリアルな白昼夢があるのだろうか? 釈然としない気持ちが残ったがそれ以降、白い狼の話題に触れることはしなかった。


 冬は日が沈むのが早く、光石の明かりだけがゲルの中を照らしている。


 チノは俺が安静にしているよう隣に座って監視していたが、ここ数日間まともに眠っていなかったのだろう、すぐに目を擦り始め、それほど長い時間が経過することなく寝床に倒れ込んできた。


「おいチノ、眠たいなら自分の寝床で寝ろよな?」


「······うぅん」


 暖房がのおかげでゲルの中が外気より暖かいとは言っても、このままでは風邪を引くかもしれない。


 だが肩を揺すろうとも声をかけようとも、チノが起きる気配は無い。


 だが、このまま放置しておく訳にもいかないため、強めに肩を揺すって声をかけ続けていると、寝ぼけ眼を擦りながらチノは頭を上げた。


「うぅーん······」


「やっと起きたか、こんな所で寝てたら風邪ひくだろ? 寝るんだった自分の寝床で寝るんだ。良いな?」


「うん······わかったぁ······」


 言葉が通じたのに安堵したのも束の間、チノはノソノソと立ち上がると、あろうことか俺の寝床に潜り込んできたのだ。


「ちょ、馬鹿、おま何やってんだ! お前の寝床はあっちだろうが!」


「······うぅ······ん······」


 怒鳴り声を上げても、もう返事すらない。どうやらチノの意識は手を伸ばそうとも届かない深い眠りの中に沈んでしまっているらしい。


「はぁ······ったく、しょうがねえな」

 

 このまま一緒に寝てしまうと明日の朝が怖い。流石の俺にも先が読める。


 ここは、緊急脱出する他ないだろう。一つのベッドの上で一緒に寝たという点で怒られるより、チノのベッドで寝たという方が弁明もしやすいはずだ。


「触らぬ神······ならぬチノに祟り無しだな」


 ベッドに座っていた状態から立ち上がろうとした時、服が引っかかったのか上手く立ち上がることが出来なかった。


 原因を見てみると、俺が身に着けている薄い綿で作った寝巻の腰の部分をチノが握っていた。


 服を掴んでいる掌を離そうと手を伸ばしたその時、チノは小さい声を発した。


「もう・・・・・・一人は・・・・・・いや・・・・・・」


 思わず伸ばしていた手が止まり、チノの寝顔を凝視してしまう。その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいるのが見て取れた。


 そのたった一言で、どんな夢を見ているのか容易に想像することができた。そして、チノと交わした他愛も無い会話が思い出される。


 それはチノと共に食事をしていた時、俺はこんな問いを投げかけた事があった。


「飯を食う時、いつもチノは笑顔だよな。毎日の事なのにそんなに楽しいか?」


 この問いに対してチノは首を傾げて答える。


「えっ? ······今、うち笑いよった?」 

 

「あぁ、笑ってたぜ。っていうか今もだけど」


 質問を質問で返してきた様子から、自分でも気が付いていなかったのだろう。 


 チノは自分で手を当てて口角の位置を確認すると、クスクスと笑いながら、その理由を自分なりに答えてきた。


「うち、長いこと一人でご飯ば食べよったけん、誰かと食べるとが楽しかし、嬉しかとよ。そうけん、顔に出てしまったとやろうね」


 この時、チノは笑いながら話していたこともあって深く考えることはしなかった。だが、今ならその言葉の意味が分かる気がする。


 今回の件で俺は、孤独から抜け出したことで、過剰なまでに孤独を怖れるようになってしまった少女を、結果的に再びその中へと突き落とそうとしていたのだ。


「そりゃあ怖ええし、怒るよな······」


 カースド大森林の調査は、必要な事であったとはいえ、自分の行いがチノにどれだけの恐怖を与えたかと思うと胸が締め付けられてしまう。


「······ごめんな」


 もう何度目か分からない謝罪の言葉と共に、瞼に溜まった涙を、人差し指の甲で優しく拭う。


「······んぅ」


「はぁ······よし、腹を括るか」


 俺はチノの掌を服から離させてベットから出た。


 そして部屋の中央に置かれた光石に触れて明かりを消し、意を決して再びチノの隣で横になる。


「明日、また説教されるんだろうなぁ······」


 でも、それで良い。今のチノを一人で眠らせるくらいなら、怒られた方がマシな気がしたのだからしかたがない。


 暗い部屋の中。隣からは小さな寝息が聞こえてくる。


 その吐息に釣られて、徐々に眠気が脳の活動を緩やかに停止させていく感覚が身体を包み込んでいく。


 微かに鼻孔を擽る甘い香りの中、纏まらない思考で俺は願った。


 いつか、隣で眠る君が安らかに夜を過ごせる、そんな日が来ますようにと。







 拝啓、家族のみんなへ


 朝夕の寒さが身にしみる季節となりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?


 こちらは森の中で大猪の魔獣に襲われましたが、どうにか食われずに重症で済んだ次第です。


 ですが色々な発見があり、決して未来は暗い物ではないと確信を得ました。


 魔獣は怖いですが、我々人類には知恵がありますので、どうにかなるでしょう。


 やはり銃が欲しい所ですが、罠師なりプライドを持って頑張りたいと思います。


 長くなりましたが、この辺で失礼したいと思います。どうかご自愛ください。



                      敬具

                   山口 和久


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