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農大生の俺に、異世界の食料問題を解決しろだって?  作者: 有田 陶磁
第二章 樹海の大炎 開拓の狼煙
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第六話【砕猪の黒き角、白狼の鋭牙 下 】




『ガサッ、ガササッ、カサッ・・・・・・』


 何者かが落ち葉を踏みしめる音。それによって意識はゆっくりと覚醒へ向かっていく。


 目を開けば奴が居る事は分かっている。だが、姿を見る恐怖よりも、姿が見えないという恐怖の方が上回り、脳が送った信号によって強制的に両瞼は持ち上げられる。


「・・・・・・よう、また会ったな」


「グルルルルゥゥゥ・・・・・・」


 月明りに照らされる砕猪さいちょの白い毛並みは、より一層冷たく輝いている印象を受けた。


 一歩、また一歩と近寄ってくる砕猪。その動きは余裕に溢れていて、手負いである俺を簡単に食えるとでも思っているのだろう。


 正直言って怖い。死にたくないし、手は震える。荒かった呼吸は過呼吸の域へと引き上げられていた。


 元の世界では、何年も祖父さんと狩りのために山に入っていた。


 高校三年で罠師の免許を取得し、初めて仕掛けた罠に掛かった獲物は雄のイノシシで、体重が百六十キロを超える大物だった。


 とどめは祖父さんが猟銃でやってくれるものだと思っていたが、銃口から火が噴くことは無かった。


 その替わりに祖父さんは、竹竿の先端に包丁を固定しただけの簡易な槍を渡して、こう言った。


『カズヒサ、お前は命ば奪って糧にするために山の中に入った。ばってん、そいは命ば奪う覚悟と奪われる覚悟の両方ば持っとかんぎいかん。そうけん、お前が殺せ』


 有無を言わせてくれる程、優しい祖父さんじゃない。


 槍を受け取った俺が、暴れ続けるイノシシに止めを刺さすまでに、二時間の時を要した。


 一つの命の灯をこの手で消し去った時、俺の息は切れ切れで、身体は泥だらけになっていた。 


 その時、ようやく肉を食べるということの意味を知った気がした。


 山に入れば命の奪い合いが始まる。当然、カースド大森林に入る時もその覚悟をしていた。


 山の中でイノシシと遭遇したことは何度もある。基本的に彼等は臆病な性格で害を加えない限り勝手に逃げ出してくれる。


 もちろん、突進してくる個体もいるのだが、木を壁にすればどうってことは無い。


 勝算があってカースド大森林に入ったつもりだった。だけどそれが甘い判断だったと、現在進行形で身に染みている真っ最中だ。


 はっきり言って、このままだと死ぬ。それは避けることが出来ない確定事項と言っても過言ではないだろう。だが、あくまでも【このまま】ではだ。

 

「五十五億円。お前にこれが何だか分かるか?」


 こちらへと迫りくる砕猪に向かって問いかけるが、答えが返ってくるなど始めから期待していない。


「お前らイノシシが、日本の農家に与えている被害額だ・・・・・・」


 歯を食いしばり、傍らにある杖を強く握り締める。


「畑だろうが山の中だろうが、食うか食われるかの関係は変わらねえ。だけどな、収穫を守るためだったら面倒な電気柵の設置だろうが、危険な狩りだろうが何だってやってやる!」


 砕猪の脚は既に止まり、この身体を噛み砕かんとする大顎がゆっくりと開かれる。

 

「お前は動けねえ俺を簡単に食えると思ってんだろうな・・・・・・だがよ、俺の諦めの悪さと、農家の執念深さを・・・・・・あまり舐めるなよっ!」


 痛みが走る腕を持ち上げ、火石の付いた杖の先を砕猪の口の中へと向けた。


「火よ来たれ! オル・ファイアー!」


 次の瞬間、火石は紅く煌き、激しく炎を噴出させた。


『フギィィィィィィィィィッ!』


 口内に火炎を放たれた砕猪は叫び声を上げて大きく後ろへと飛び退いた。


「ったく、今が冬で助かったぜ・・・・・・」


 火石が宿す魔力を全て使い果たす前に、周囲の落ち葉に火を広げて砕猪との壁を作り出す。


「ぐあっ・・・・・・!」


 火石が全ての魔力を使い果たし、その輝きを失うと同時に痛みに耐えかねた腕は、重力に抗えずに力無く地面に落ちた。


 乾燥した落ち葉に勢い良く燃え上がる炎。その明かりに砕猪の姿が照らし出される。


「ったく、さっきので諦めて・・・・・・帰ってくれれば良かったってのによ・・・・・・」


 既に興奮した様子の砕猪は息を荒くし、天に向けてその額の角を勢いのままに振り上げた。


『プギィィィィィィィィィッッ!』


 耳を劈く咆哮。闇夜を貫く声を皮切りに、尖った角はもちろん、顔全体を黒く染め上ていく。


「突っ込む気かよ・・・・・・くそ、煙を吸ったか・・・・・・」


 炎の壁の向こう側からは前足で地面を蹴り、落ち葉が擦れる音が聞こえる。もうすぐこちらへ突進するつもりなのだろう。


 炎によって周囲の酸素を奪われ、朦朧としていく意識。痛みで動くこともままならぬ身体。正に絶体絶命とはこの事だった。


「ごめん、チノ・・・・・・助けてやれそうに・・・・・・ない」


 凄まじい加速と共にこちらへと駆け出した砕猪は、一発の砲弾となって炎の壁を突破する。


 その巨大な口が開かれ、猛き牙と肉体が触れ合いそうになったその瞬間、猛烈な風と共に砕猪の姿は、突然現れた白い影によって吹き飛ばされた。


 突風によって炎は完全に消し去られ、月明りだけが照らす薄暗い世界に引き戻される。


「オオ・・・・・・カミ?」


 月の光を浴びて銀色に輝く巨大な四足獣。鼻先は長く伸び、微かに開かれた口からは鋭利な牙が見え隠れしている。


 白銀の狼は紅い瞳でこちらを一瞥すると、すぐに立ち上がった砕猪の方へと目を向けた。


『プギィィィィィィィィィッッ!』


 黒き鎧を纏う砕猪は、咆哮と共に乱入者である巨大な狼に突進を繰り出した。


『グロァアァ!』


 それに対して狼は白銀の毛並みを逆立たせ、低い響く唸り声を上げる。すると突然、身体を斬り裂かれたと錯覚するほどの激しい突風が吹き荒れた。


 その強烈な風を受けた砕猪の鎧は、まるで砂埃のように舞い上げられて霧散する。それでも砕猪は狼への突進を止めることは無い。


 強風を巻き起こした狼は跳ねるように駆け出して、迫りくる砕猪と接触すると、牙を立てて喉笛に喰らい付き甲高い断末魔の悲鳴を最後に砕猪の動き止めたのだった。


『グルルルル・・・・・・』


 砕猪の喉に喰らい付き、地面に押さえ付けていた狼はゆっくりと立ち上がると、こちらへと歩いてきた。


 白銀の毛並みは赤く染まり、血で汚れた鼻先をこちらへと向けられ、その大きな鼻孔で数回匂いを嗅がれる。


 煙を吸い過ぎて回らない頭でも、流石に死を感じることはできた。


「チ・・・・・・ノ・・・・・・」


 死を前に、不意に口から零れ落ちる少女の名前。俺の声に耳をピクリと動かした狼は。こちらに向けていた鼻先を勢いよく引っ込め、後退りしながらこちらを凝視している。


 まだ息があったことに驚いたのだろうか。だが、もうすでに限界は近づいていた。視界は端の方から暗くなっていき、繋ぎ止めていた意識は色の無い虚空の中へと零れ落ちてしまった。







 湖を見下ろす斜面に腰を下ろしている少女は、地平線の彼方にまで広がる大森林の果てを見つめている。その表情は険しく、これまでに何度も溜息を繰り返していた。


「おーいチノ! カズヒサの狼煙は見えたやー?」


 湖の畔から手を振っている者の野太い声に対し、チノと呼ばれた少女は首を横に振るだけだった。


 カズヒサが上げると約束した狼煙は、今日の朝に上がったものが最後だった。二日目の夕方に上がった煙が地平線の先から登っていたため、今日の朝からチノは少し高いこの場所に座っていた。  


 既に日は大きく傾き、白い輝きは橙色に変化している。ここ数日はこの時刻になると決まって狼煙が上がっていた。


「なんかあったとやろうか・・・・・・?」


 チノは再び溜息を吐き、小さく呟く。


 狼煙を待ち続けているうちに、正面に沈んでいく太陽が地平線に並ぶ木々に触れ始めたその時、森の方から犬の鳴き声が聞こえた気がした。


 聞き間違いかと思いながらも、チノは耳を澄ませ、森の方へと目を凝らす。すると、やはりその声は願望などではなく本物で、それと間髪置かずに森から飛び出して来た犬は斜面を駆け登り始めた。


「コロマル!」


 チノは飛び跳ねるように立ち上がると、湖の方へと駆け出した。


 斜面を下り湖の畔に着いた頃には、すでにコロ丸の周りには人だかりが出来ていた。しかし、どこを探してもカズヒサの姿は見当たらない。


 チノは彼らの中に割って入りコロ丸の前で膝をついた。


「こがんボロボロになって・・・・・・」


 純白に近いコロ丸の身体は土や泥などで酷く汚れ、その姿にチノは絶句しそうになるがどうにか口を開く。


「カズヒサは一緒じゃなかとね?」


 チノの問いかけに、コロ丸は一度大きく吠えてチノの袖に噛みつき、強く引っ張り始めた。その足は斜面を降り森へと向かおうとしているようだった。


 そのコロ丸の行動に、脈打つ鼓動が激しくなり、呼吸が荒くなっていくのをチノは感じていた。


 チノはコロ丸の頭を撫でると、ゆっくりと立ち上がって深く息を吸い込んだ。そして、穏やかな声でこう言い放ったのだった。


「今から山狩りばする。ここに居るもん達は、ゲレルと弓の腕が立つ男衆ば三十人ばっかし集めて、コロマルの後ば追うように伝えんしゃい」


 その言葉に、近くに居た若い男が問いかけてきた。


「ぞ、族長は・・・・・・どがんすっとですか?」


「うちは先に出る。時間の無か、うちのことはどがんでも良かけん早う散りんしゃい」


「は、はいっ!」


 普段とは違う冷たい声色。そして妖しい輝きを放つ紅い瞳に睨まれた男は、たじろきながら返事をすると、周囲に居た者達を引き連れて駆け出していった。


「コロマル、後から来るもん達の道案内ば頼んだばい?」


 その言葉を理解したように加えていた袖を離し、一度だけ吠えた。


「お利口さんやね・・・・・・」


 チノはお座りするコロマルの頭を撫で、耳元でそっと囁いた。


「安心しんしゃい、あんたの飼い主はうちが絶対に連れ戻すけん・・・・・・!」


 曲げていた体勢を元に戻すと、チノは森の方へと全速力で走り出した。


 斜面を下り、川に沿って悪路をただひたすらに走り続ける。


「カズヒサッ・・・・・・!」


 足よ、もっと速く。脚よ、もっと倢く。走りながらチノはひたすらそう念じ続ける。


「遅い・・・・・・二本足じゃ間に合わんっ・・・・・・!」


 目を固く瞑ったチノは覚悟を決め、再びその瞳を開眼する。


「風の王よ、この身に宿りし草原の覇者よ! その権能をこの身をもって今こそ体現せよ! ボルテ・チノア!」


 高らかとその名を呼んだ次の瞬間、身に纏っていた衣服は無惨にも引き裂かれ、だらしなく地に落ちた。


『ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオン!』


 放たれる遠吠えに、葉が無いにも関わらず周囲の木々はざわつきを見せる。


 もはやその姿は人の物ではなく、四足で駆け抜ける狼そのものだった。


 白銀の毛並みを持つ巨大な狼は空を切り、風よりも疾く森を駆け抜けていったのだった。






 日は完全に落ち、月明りが森を照らしている。


 すでに四つの狼煙の痕を確認し、そう離れた場所に居ないとチノは確信を得ていた。


 ひたすら目標の匂いを追い続けるボルテ・チノアの鼻は、その匂いが段々と濃くなっていくと同時に、只ならぬ獣の気配と臭気が強くなっていくのを感じ取っていた。


 微かに血の匂いが鼻腔を擽ることから、その脳裏に災厄の結末が過らずには居られない。


『お願いやけん、生きとってよ・・・・・・カズヒサッ!』


 だが、脳が描き出す酷い幻影が心を襲おうとも、チノはその脚を止めることはなかった。


『―――な・・・よっ!』


 不意に声が聞こえた気がしたのと同時に、植物の焼け焦げる匂いが鼻を突いた。


『まだ・・・・・・生きてる!』


 チノは全力で走り続ける。生えている木々とぶつかろうとも、枝が目に入ろうとも、その匂いに向かってただひたすらに、真っ直ぐに。


 すると前方に赤い光が見え、チノは確信する。そこに和久が居ると。


『風よ!』


 その身に風を纏い、崖の下へと身を投げた。


『・・・・・・居た!』

 

 その紅き瞳に映るのは炎の中に力なく倒れる和久を、今にも圧し潰さんと襲い掛かる異形の猪の姿だった。

 

 チノは文字通り空を蹴って身体の方向を転換させると、勢いに身をまかせて砕猪に体当たりを食らわせた。


『・・・・・・』


 間に合った。そうチノは安堵して和久の方へと目を向ける。すると、横たわるカズヒサの力の無い瞳と目が合った。


 何があっても見せたくなかった姿。

 だがチノは、何があっても瞳の中に居る和久を守りたかった。


 和久に向けていた視線を、吹き飛ばした砕猪の方へと向ける。


 そこには既に立ち上がり、こちらに威嚇する砕猪がの姿があった。


『プギィィィィィィィィィッッ!』


 砕猪が纏う黒い鎧の正体をチノは知っていた。それが大地の加護の系譜に連なる、砂鉄の加護であることを。


 細かい砂鉄の粒子を拘束で振動させ、振れるものを全てをズタズタにして粉砕する。だが、吹き飛ばしてしまえば意味は無い。


『グロァアァ!』


 突進してくる砕猪に向けて風を放ち、その身に纏う鎧を剥ぎ取る。そしてチノは鎧を失った砕猪に飛び掛かり、喉笛に喰らい付いて噛み砕くと、頸動脈ごと肉を引き千切った。


 しばらく暴れていたため押さえていたが、チノは動かなくなった砕猪の首から白く輝く牙を抜いた。


『・・・・・・』


 喋ることは許されない。この姿を見られようとも正体を知られる訳にはいかないからだ。


 それであっても、チノは和久へと歩み寄らずにはいられなかった。


 こちらを見つめて居ようと我慢などできはしない。チノは鼻を近づけ、探し求めていた和久の匂いを思い切り吸い込んだ。


 まだ息がある。それを確認すると同時に安堵感で倒れ込みそうになったその時だった。


「チ・・・・・・ノ・・・・・・」


 バレた。自分の名を呼ぶその声をチノはそう解釈し、思わず鼻を引っ込めて後退りする。


「・・・・・・」


 だが、その後に続く声は無い。先程まで開いていた瞳は閉じられ、荒く感じた呼吸は寝息のように穏やかな物へと変化していた。


 チノはしばらく様子を伺い、和久が気を失っていると判断した。


 一度その頬を恐々と舐めるてみるが、一切の反応が見られなかったため、チノは今のうちに和久にの傷の応急処置をすることにした。


『癒しの風よ、傷を瘡蓋に変え、苦痛を風化させ拭いさりたまえ・・・・・・』


 その鼻先をカズヒサの胸に軽く当てると、優しい風がカズヒサを包み込み、胸や、頬、手足といった部位に生じた傷を瞬く間に塞いでいく。


 この場でやれることを済ませたチノは覚悟を決め、和久の身体を牙で傷つけぬよう優しく加え込み、皆の下へと連れ帰ることにした。 


 行きと違い、月明りが照らす森の中をチノはゆっくりと歩きだす。


 血生臭い舌の上で眠る彼が、目を覚まさぬようにと祈りながら。



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