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農大生の俺に、異世界の食料問題を解決しろだって?  作者: 有田 陶磁
第一章 草原の月 狼の少女
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第十二話【日の出】



 帝都内で必要な物の買い付けを終えてからの二日間は、移動に継ぐ移動の毎日からは考えられぬ程、穏やかな日々となった。


 買い付けた大量の物品を乗せるため、親戚同士で何世帯かの荷馬車を一つにまとめたのが二日前の朝。

 その後、続々と発注した商品が届けられ、あとはクリストファーが来るのを待つだけとなっていた。


 太陽の気配を感じさせる青白く染まった世界。


『―――シャリッ、シャリッ』


 この一定間隔で聞こえてくる、金属と何かが擦れ合う音の発生源は、紛れもなく目の前の少女である。


「で、日の出前から何やってるんですかチノさん?」


「何ばって、道具の手入れたい。七日に一度、包丁とまな板の手入ればせん女は、怠けもんって言われるけんね······包丁は······これで、良かごたね」


 そう言って砥いだばかりの包丁と砥石を手に、ゲルの中へ入って行ったかと思うと、すぐに(かんな)と分厚いまな板を持って戻ってきた。


「それは?」


「うちらは肉ば切る時、包丁で骨ごと叩き切るけん、すぐにまな板も傷だらけになっとよ。そうけん、うちら一族のしきたりで包丁ば砥いだら、まな板を鉋で削らんばいかん」


 歩きながら説明するチノは、台の上にまな板を置いて、慣れた手つきで鉋を引き始めた。


 鉋をまな板に押し付けて手前へと引く度、薄く削がれた木の皮膜が吐き出されていく。


「へぇ、上手いもんだな」


「そうやろうか? まぁ、三年もやってれば誰でも上手くもなるばい」


 明るく答えてきたチノの言葉に、継続は力なりは本当なんだなと、素直に感心していたとき、その言葉に含まれた意味に気が付いた。


「その、ごめん······辛いこと思い出させたよな······」


「ふふっ、こがんことで謝るぎ切りの無かばい。カズヒサは話を深いとこまで考え過ぎるけん、生きるとには難儀するやろうね」


 チノは鉋を動かす手を止めることなくそう言って、笑って許してくれた。

 そこからは会話も途切れてしまい、その場を離れるわけでもなく、目の前で削られていくまな板をただ見つめていた。


「ふぅ、これで良かかな?」


 チノは乱れた前髪を整えて、削り出したまな板の表面に指を滑らせると、微かに口元を綻ばせる。


「その顔は、どうやら上出来みたいだな」


「もう、人の顔ばジロジロと見るもんじゃなかばい? 罰として、よかって言うまで外におりんしゃい」


 チノは恥ずかしそうに抗議すると、まな板と鉋を持ち上げて、そそくさとゲルの中に入っていった。


 寒空の中で一人取り残されて数分もしないうちに、関所へと続く道から、荷を積んだ馬に跨がった人物がこちらへと近づいてきた。


「おはようございます。えーと、カズヒサさんでよろしかったでしょうか?」


「はい、カズヒサで合ってますよ。おはようございます、クリストファーさん」


「あはは、名前を覚えて頂き光栄です。ですが、呼ぶには少し長いのでクリスで構いませんよ」


 馬から降りたクリストファー・クルスは、頭を一度下げて再び上げると爽やかに笑って、そう提案してきた。


「そ、それじゃあ、お言葉に甘えさせて貰います」


 背丈が低めとはいえ、それを差し引いてもこの爽やかイケメンっぷりには目を見張るものがあった。


 こんなイケメンと会話したことが無いため、何を話して良いのか全く検討がつかない。

 こういうときは、族長に丸投げにするに限る。


「とりあえず俺じゃあれなんで、チノ······じゃない、族長を呼んできましょうか?」


「それは助かります。着いたらすぐに挨拶をしなければと思っていたので」


「じゃあ、ここで少しお待ちください」


 分かりましたと、爽やかスマイルに背中を押されて、一旦俺はチノが居るゲルの中に戦術的撤退を敢行した


「おいチノ、クリストファーさんが来た······ぞ······って、えっ?」


 入り口の幕を上げてゲルの中に入ったその瞬間、この世界に流れる時間が停止したかのような錯覚に襲われる。


「え、な、何で入って······」


 長い銀色の髪と、ぴんと立った獣の耳。普段はその姿を見せない、ふわふわとした尻尾。

 無垢に近い白い肌とは対象的に、目の前に居る一糸纏わぬ少女は、瞬く間に頬を紅く染め上げていく。


「いや、その、これは、わざとじゃなくて······」


「う、うぅ······待っとってって、言うたやん······」


 チノの性格からして怒鳴りながら周囲の物を手あたりしだい投げつけてくると思い、すぐに身構える。

 しかし、その予想は外れ、静寂の中で少女は瞳に涙を溜め、その雫を必死に溢すまいと堪えている。


「も、もう、クリストファーさんが······らしたと?」


「そ、そうだ······だから呼びに来たんだ」


「うん、わかった。そいぎ、すぐに行くけん、外で待っとってくれんやろうか?」


「わ、分かった······」


 涙を溢すことなく、普段通りに毅然と振る舞うチノに促されて外に出た俺は、待っていたクリスにもう少しだけ時間がかかると伝えた。


 腕時計の針が五分と進むことなく、チノは昨日まで身に着けていた物とはまた別の、他所行きの服に身うを包んでゲルから出てきた。


 チノは何事も無かったかのよう振る舞い、談笑を交えながらクリスとの挨拶を済ませた。


 挨拶を終えると、チノは出発を一族の皆に伝えに行くと言ってこの場から離れて行った。

 

 こうして再びイケメンと取り残されてしまったが、今はチノと二人になるのも地獄に変わりはない。

 ここは、場を持たせるためにも何か話さなければ。これからの事で聞かなければならないことなどいくらでもあるのだから、それを今聞いてしまおう。


「そ、そういえばクリスさん、帝都からカースド大森林までの日数は、どれくらい掛かるんですか?」


「そうですねぇ、グレン辺境伯の屋敷まででしたら早馬で四日の距離なので、これだけの家畜を連れて行くとなると三週間は必要でしょう。そこからカースド大森林までは、更に数日と考えた方が良いでしょうね」


「三週間······わかりました。ありがとうございます」


「いえいえ。道中、何か分からないことがあれば、いつでも僕に聞いてください」


 流石、税務署の若きエースとフランツに言われるだけあって、受け答えも的確で隙きがない。その上イケメンと来ているのだから、二物を与えないという神はどんな手違いをしたのだろうか。

 できることなら砂利の上で正座させて、小一時間ほど問い詰めてやりたいものだ。


 そんなことを考えて居ると、柵を越えた向こう側でゲルが畳まれ始めたのが目に入った。

 チノの指示を受けたのだろう、家畜達を囲っていた柵も男衆が解体に取り掛かっている。


「クリスさん、ゲルを解体して馬車に積み込むので、出発まで少し待ってもらえますか?」


「えぇ、構いませんよ」


 クリスは即快諾してくれたので、ゲルの解体に取り掛かることにした。

 帝都に滞在していた間は簡易のゲルに寝泊まりしていため、それほど時間はかからないだろう。

 チノも作業をしている間に返ってくるだろうし、先に解体を始めることにした。


 しかし、屋根の役割を果たす被膜を剥がして畳み終えても、骨組みを解体しても、それらと家財道具を荷馬車に積み込み終っても、チノがここに戻ってくることは無かった。


「ったく、いい加減帰ってこいっての、気にしてんのはお前だけじゃねえんだぞ······」


 帰ってくる気配の無いチノに痺れを切らした俺は、衣装ケースの中から先程までチノが着ていたであろう服を手に取り、肺の中に限界まで空気を吸い込むと、腹の底からその名を叫んだ。


「コォォォロォォォまぁぁぁるぅぅぅ!」


 突然、女物の衣服を取り出して愛犬の名前を叫んだ俺に、クリスは驚いた顔でこちらを見ているのを感じるが、今はそんなことどうでも良い。


 その名を叫んでから、十秒足らずで白い弾丸はその姿を表した。


「お座り!」


 丁度良いタイミングを見計らって指示を受けたコロ丸は、俺の目の前で急停止して座る。


「コロ丸、この匂いを追ってくれ」


 手に持つ衣服をコロ丸の鼻腔の前に差し出して、その匂いを嗅がせる。


「探せるか?」


『ワン!』


 俺の問いに、コロ丸は一度だけ吼えると、すぐさま駆け出したため俺は急いでその後を追った。




 コロ丸が止まったのは、チーズを保管する数台の荷馬車の内の一台だった。この荷馬車は雨よけが付いただけの普通の物とは違い、荷馬車の上に木製の小屋を作って、中に湿気や埃が入らないように密閉されている。確かに隠れるなら打ってつけの場所だった。


「ここか······サンキュなコロ丸。今晩のエサは俺が頼み込んで、奮発して貰うから期待してろ」


 礼の言葉と共に、コロ丸の頭を撫でて背中を軽く叩くと、もう行って良いと判断したのか、羊の群れの方へと風のように走り去っていった。


 その背中を見送り、俺は高鳴る鼓動と共に小屋の木戸を引いた。


「チノ、ここに居るんだろ?」


 日中に比べて光量が少ない時間ということもあり、小屋の中は薄暗くて何も見えなかったが、微かに布がが擦れる音が鼓膜を擽る。


「······何で、ここが分かったと?」


「コロ丸に教えて貰ったんだよ」


「そう······やっぱりあの子は頭の良かね······」


 再び訪れる沈黙。中に足を踏み入れると、両目は少し時間をかけてこの薄暗さに慣れていき、小屋の奥でチノは顔を伏せ、両膝を抱えて座り込んでいた。


「さっきは······本当にごめん。覗くつもりなんて無かったんだ」


「······そんくらい、うちも分かっとる。ただ······」


「ただ······?」


「ただ、うちはあの時······カズヒサが怖くなってしもうた」


 おそらくチノは泣いているのだろう。声は震え、所々で嗚咽が混じっている。


「いや、そりゃそうだろ。素っ裸の時に男が入ってくれば誰でも怖いに決まってる」


「違う、そうじゃなか······」


 チノは俺の言葉を否定すると、しばらくの沈黙の後、ポツリ、ポツリと話し始めた。


「ハルツァガ山の川で、倒れとるカズヒサば見つけたあの日、うちは濡れた身体ば乾かすために服ば脱がしたけん、カズヒサの裸ば見とる」


「お、おう······」


 突然の告白に、どう反応して良いのか分からなかったため、適当な相槌を打っておく他無い。


「カズヒサにはうちらみたいな耳も尻尾も無かったし、すぐに人だと分かった······皆には起きる前に殺した方が良いって言われたけど、帝国の役人やったら立場の悪くなるけんって、うちは皆ば説得した」


 どうやら今の話を聞く限り、俺がこの世界に来てからの最も過激な修羅場はこの世界で目覚める前だったらしい。


「カズヒサが起きるとが怖かった。人間とは違う、この耳ば見たらきっと怖がるやろうなって思ったけん······でも、違った。カズヒサはこの耳ば見ても、怖がったりせんやった」


「······」


「耳は人にもある。でも、うちらと違って人に尻尾は無か。そうけん、尻尾ば見られたら今度こそ嫌われるって思った。湯ば浴びる時もカズヒサが寝とる時に浴びよったし、着替える時もカズヒサの後に寝て、先に起きよった······帝国の者が言うように、カズヒサもこがん耳と尻尾ば持っとるうちのことば、化物って思ったやろ?」


 そう、これは始めから勘違いしていたのだ。


「えーとチノさんは、裸を見られて怒ってるんじゃないんですか?」


「······そりゃあ見られて恥ずかしかったけど、着替えるって言ってなかったうちも悪かもん」


 その答えに、思わず溜息を吐き出しそうになる。


「じゃあ、お前は俺に嫌われたと思って、こんなとこに隠れてたのか?」


 この問に、チノは恐る恐るといった様子で顔を上げると、一度だけコクリと頷いた。


「チノ、お前さぁ······馬鹿なの?」


「え?」


「あのなぁ、俺の居た世界じゃ、獣耳子に尻尾は標準装備なんだよ。それに尻尾があるのは、だいぶ前から知ってた。嬉しいことがあると結構動いてたぞ、それ」


「えぇっ! カズヒサは知っとったと?」

 

 なんとなく尻尾を隠している雰囲気があったから、ここまでの道中、ずっと触れて来なかったが、まさか隠し通せているつもりでいたのには驚きである。


「ったく、こんなことで嫌いになったりしねーよ。ふわふわしてて可愛いし、むしろその尻尾を触らせて欲しいくらいだ」


「さ、さ、さ、触る!? い、いきなり何ば言い出すとね!」


 チノは驚きの声に違和感を覚え、考えてもよく分からなかったため、素直に聞いてみる。


「ん? 何か俺、変なこと言ったか?」


「あ、当たり前やろ! そ、そういうとは、もっと段階ば踏んでから、こう······って、言わせんでさ!」


「え、モングール的に、尻尾を触るってそういう感覚なの?」


「他にどんな感覚があるって言うとさ!」


 どうやら、これ以上の詮索はモングール製の地雷を踏み抜くことになりそうなので、止めておいた方が身のためだと判断した。


「はぁ、俺はてっきり、チノに嫌われたとばかり思ったぜ?」


「う、うちが、カズヒサば嫌いになるわけなかろうもん!」


 そういう意図がチノに無いと分かっていても、これほどまでのド直球を投げ込まれれば、勘違いしそうになる。


 落ち着け、相手はまだ十四歳の少女だ。大人の俺が惑わされてどうする。

 第一、俺はロリコンじゃないはずだ!


「お、おう。まぁ、今後は気をつけるようにするよ」


「うん、そがんしてくれるぎ助かる。でもあの時、もしカズヒサじゃなかったら、近くにあった包丁ば投げとったかもしれんね」


 さらりと語られる流血IFストーリーに背筋が凍り、思わず身震いを起こす。


「······そろそろ日の出だ。家畜の柵も解体が終わる頃だろうし、戻ろうぜ?」


「うん、そうやね」


 チノがそう答えると、俺は無意識に掌をチノに差し出していた。


「立てるか?」


「あ、ありがとう······」


 チノは短い礼の言葉と共に、掌を掴んで立ち上がった。


 小屋から出ると、東の空はオレンジ色に染まり、地平線のすぐそこにまで太陽が迫っているのが分かった。


「うち、昨日まで日が昇るのが怖くてしかたなかった」


「どうしてだ?」

 

「だって、日が昇ったら帝都に入って嫌な思いばせんぎいかんやったけん」


「······そうだな」


 確かに帝都の中で俺達は、ろくな目にあってない気がする。

 チノがそう思うのも当然だなと共感していた。


「でも······」


 チノの言葉が途切れたその瞬間、地平線上に隆起する名も知らぬ山の頂から、太陽が頭を出した。


「今日の日の出は、綺麗かねぇ」


 徐々に強くなっていく輝きを、チノは微かに紅く腫れた瞳で見つめていた。

 その穏やかに微笑む少女の横顔に見とれていると、不意にこちらを向いて首を傾げた。


「どがんした? うちの顔に何か付いとる?」


 その問いに、横顔に見とれていたなどと答えられる訳が無く、俺は咄嗟に思ったことを口にしていた。


「その服、よく似合ってるよ」


 この返答にチノは一瞬の硬直したと思ったら、耳の毛を強く逆立たせ、さっきまで隠したがっていた尻尾を服の上からでも分かるほどに跳ねさせた。


 そして、一瞬の静寂の後、顔を綻ばせてこう言ったのだ。


「ありがとう、カズヒサ!」


 その言葉と共に、じゃれるように抱きついて来た少女の笑顔の中に、俺は朝日に勝る輝きを確かに見たのだった。





 拝啓、家族のみんなへ


 日々、風が冷たくなっていく今日この頃、皆さんは如何お過ごしでしょうか?


 こちらは帝都を発ち、カースド大森林に向けて移動を開始したばかりです。


 なんだかんだ出発の際にも修羅場はありましたが、ここでは割愛させて頂きます。


 コロ丸は今日も元気に走りまわり、牧羊犬としての責務を果たしております。


 これから三週間ほど移動の日々が続きますが、その間は本でも読みながら過ごそうと思います。


 そちらも秋の夜長ですし、何か本を読んでみては如何でしょうか?

 

 そろそろインフルエンザの季節がやってきますので、ご自愛ください。


                           敬具

                        山口 和久


 

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