第九話【帝都での買い物Ⅳ ~身分高い系女子~】
第九話【帝都での買い物Ⅳ ~身分高い系女子~】
料理を扱う露店街の一角。
商品を購入した客がすぐに食べれるようにと並べられた十数の机と、それに見合った数の長椅子が設置されている。
昼食時を過ぎて、すでにガラガラになった机の内の一つに陣取り、俺達は購入してきた料理にありつくことにした。
「くぅー! やはり大衆の料理はたまらんのう! 繊細さが無い、力任せの味付けに妾は病み付きじゃあ!」
ウルスラは傍らに置いてあった木製のジョッキの柄を握って勢い良く持ち上げると、縁に口を付けて一気に煽った。
「んっ、んぐっ、ん、ぱっはー! 口の中に残るしつこい味に、井戸水で程良く冷やされた葡萄の果汁を流しこむのは最高じゃあ! これだから抜け出すのは止められぬ。はぁ~、妾は······実に満足じゃぁ~」
ウルスラはジョッキを置き、その長い溜息を吐く顔は、とても幸せそうな表情をしている。
「そりゃあ、一人で四百コパ分も食えば満足だろうさ」
満足なのは良いとして、小学生くらいの女児が四千円分の飯を果たして食うだろうか? いや、答えは否だ。
もはや溜息を通り越し、既に俺は呆れの境地に入っていた。
「まぁ、そう言うでない。妾と同じ食事をしている娘が隣に居るのだ。それを責めるのは酷というものじゃろう?」
「それは良いんだよ。こいつが大食いなのは知ってるし、何より今は成長期だ。こいつは小せえし、食わしとかねえとデカくならないからな」
「ムグッ! ケホッ、ケホッ······」
咽て咳を繰り返すチノは、葡萄の果汁で口に含んだ固形物を強引に流し込む
「カ、カズヒサは、昼間っから何ば言いよっとね! うちは同い年の中でも大きか方ばい!」
「いや、チノの同年代ならティメのおやっさんの所のウースの方が背は高いだろ。それにエム、トルゴ、ダラェもチノより身長が高い」
「背······身長?」
「あぁ、モングールには昼間に身長の話をしたらいけない風習でもあるのか?」
声を荒げていたチノは、俺の言葉を聞いてキョトンとした顔をすると、口元を震わせながら顔が一瞬にして紅く染まった。
「おい、どうしたんだ? 今日のチノ、ずっと顔が赤い気がするぞ······風邪か?」
「う······うちら一族にそがん風習は無かし、風邪も引いとらん! あと、うちは大食いじゃなかもん······それよりもカズヒサ、いつの間にあの子達にちょっかいば出したとね?」
ボソボソと話していた口調は、突然ドスの効いた声へと変化し、上目遣いで向けられる視線は、殺気を宿す眼光を放っていた。
「ち、違う! 俺は、ちょっかいなんて出してない! コロ丸と遊んでた時に話しかけられたんだよ!」
「本当に······それだけやろうね?」
「ほ、本当だって! っていうか、起きて寝るまでの時間は殆ど一緒に居たじゃねえか!」
「そうばいねぇ······ずっと一緒におったやったもんねぇ······?」
俺の答えに、どこか納得のいかない様子のチノは、依然として氷のような視線を向け続け、下手な事を喋れば今にも一触即発という雰囲気だった。
その時―――
「はぁ、お主ら······痴話喧嘩はその辺にしたらどうじゃ?」
呆れたように口を挿んだウルスラは、僅かにジョッキに残った果汁を飲み干す。
「な、何ば言いよっとウルスラちゃん! こ、これは痴話喧嘩じゃなかよ!」
「妾に違いなど分からぬ。夫婦喧嘩は竜も食わぬと言うしのう······むっチノよ、その皿の物を残すのであれば妾が代わりに食べてやろう!」
ウルスラの手が伸びる先には、残り一つとなった小麦粉、砂糖、油脂を練り合わせて作った揚げ菓子が皿の上に乗っていた。
「あっ駄目! それは最後の楽しみに取っとったとやけん!」
チノはウルスラの動きに素早く反応し、その手が届く前に皿を持ち上げた。
「そ、それに言っとくばってん······うちらは、ふ、夫婦じゃなかっ!」
「そうだぜウルスラ、俺達はどう見ても兄妹の方がしっくりくるだろ。俺としても妹か娘って感覚だしな」
「い、妹?······娘?」
微かにチノ声が聞こえた気が勘違いだろう。
「っていうかウルスラ、人の食べ物を勝手に取ろうとするな。流石にそれは行儀が悪いぞ?」
「ほう、この妾に行儀作法を説くのか······?」
「当たり前だ。子供が悪いことしたら注意するのが大人の役目だと、うちのジジイが言ってたからな」
「ふむ、まあ良い。奴以外に窘められたのは久しいからのう、悪い気分ではない。だが、一つだけ言っておこう。この帝国の中で最も礼儀作法を重んじておるのはこの妾じゃとな」
幼い少女とは思えない憂いを含んだ妖艶な笑みに気圧され、喉は空気を多く含んだ唾を反射的に飲み込んでしまっていた。
「な、何言ってんのか分らんが、飯も食い終わったしそろそろ出ようぜ。そういえばお前は迷子なんだろ? 心配だし家まで送ってやるよ」
「うむ、ありがたい提案じゃのう。しかし、どうもその必要は無さそうじゃ」
「え、どうしてだ?」
俺の問いかけに、ウルスラはクスリと鼻で笑うだけだった。
「バル、どうせ居るのであろう? 姿を現すがよい」
その言葉を言い終えるとほぼ同時に、建物の陰から重厚感のある鎧を身に着けた男が姿を現した。
「······ご用はお済になりましたか?」
「うむ、今回の散策は今までで最も実りがあったぞ」
「それは、大変よろしゅうございました。今後は城から脱走できぬよう、警備レベルを上げさせていただきます」
「望むところじゃ。だが、一つ教えておこう。一人の少女も監視できぬ其方ら兵が無能なのではない。妾が優秀すぎるだけなのじゃ。ゆえに、脱走されることは恥ではないと心得よ」
「これはまたお戯れを。私を含め、あまり家臣達を困らせないで頂きたい」
「その件は一度持ち帰り、前向きに審議してやろうぞ」
親しげに話す二人をポカンと見つめていると、こちらの様子に気が付いたのか、会話を中断してウルスラが話しかけてきた。
「いきなり驚かせて、すまなかったのう」
「い、いや、それよりもお前は一体何者なんだ?」
この発言に最も早く反応したのは、問いかけられたウルスラではなく、鎧を身に着けた男の方だった。
「お前だと? 誰に向かって―――」
「良い。この者達には許す」
「しかし······!」
「妾の言うことが聞けぬというのか?」
「いえ······」
ウルスラの言葉に、男は銀色のフレームの眼鏡を中指で押し上げながら黙り込んだ。
「うちの者が済まなかったな。名乗るつもりは無かったのだがな······馳走して貰った礼に名乗っておこう。妾はビサンティオン帝国、第三王女、ウルスラ・ヴォルグスト・ビサンティオンである!」
『ガタ、ガタッ』
ウルスラが名乗りきったその時、隣で慌ただしい物音が隣で響く。
「お、おい、いきなり何やってんだチノ?」
物音の方を見ると、正座し両手と頭を地面に付けるチノの姿があった。
「それはうちが聞きたか! 何ばしよっとカズヒサ! 王族の方ばい、暢気に座っとらんで、早う平伏しんしゃい!」
「え、そうなの?」
「当たり前たい! 王族に対して立礼で良かとは貴族と軍人だけたい!」
「頭を上げよチノ。妾はお忍びでここに来ておるのだ。そこまでする必要は無い」
「で、でも······」
すでに肩を震わせて怯えた様子のチノが、頭を上げる素振りを見せることはなかった。
チノの反応は当然のことだ。帝国側は帝国に住まう民のために、モングール族を利用して滅亡させようと画策している事実がある。
それを理解しているチノにとって、この国の王族は恐怖の対象でしかない。
「悪いなウルスラ、色々あってチノは頭を上げられそうにない。他の奴に見られたら大事だし、その辺まで見送らせて貰って良いか?」
「······そうじゃな。では行くとしよう」
この提案に対してウルスラは、どこか悲しげな表情で頷き、了承した。
ウルスラと俺がほぼ同時に立ち上がると、後ろで立っていた男が口を開いた。
「私は第三王女付き近衛騎士筆頭、バルサルク・ワイズマンと申します。姫がご迷惑をおかけしたお詫びとして、今回の食事の代金を払わせて頂きたい。して、おいくらだろうか?」
「飯代なんて良いよ。俺達も楽しかったしな」
「しかし、そういう訳には······」
そういって。バルサルクは懐から革袋を取り出して、明らかに食事代より多い枚数の銀貨を差し出そうとした。
「いや、本当に良いんだって。それに、そんなに受け取れねえよ」
「バル、良いと言っておるのだ。無理強いはやめよ」
「ですが······かしこまりました」
先ほどウルスラに窘められたのを思い出したのか、バルサルクは不服そうではありながらも、すんなりと皮袋を懐に仕舞った。
「じゃが、流石に手ぶらというのも悪いのう······そうじゃ、これをやるから受け取っておくが良い」
その白い掌から差し出されたのは竜と薔薇の紋章が刻まれた徽章だった。
「何だこれ? 帝国の紋章か?」
「違う。それは妾だけの紋章じゃ。それを持っておれば、そなたが第三王女直属の家臣であるという証明となる。困ったことがあれば使うが良い」
「姫、このような素性の知れぬ者達にそんな―――」
「安心せい、この者達の事はとうに調べておる。そこで平伏して動かぬ娘が、モングール族の族長、ボルテ・チノア。そしてこの者が記憶が失った旅人、カズヒサじゃ。昨日フランツの機嫌が良かったからのう、問い詰めて吐かせておいた」
ウルスラは再びあの妖艶な笑みをこちらに向ける。
「あの守銭奴が気に入った者が気になってのう、城を抜け出したのもカズヒサ達と話してみたかったからじゃ」
「じゃあ、道に迷ったというのは······?」
「無論、それは嘘じゃ。この辺は妾の庭だからのう、迷いようが無い。騙して悪かったとは思うが、そなたもフランツに記憶が無いと嘘を吐いておるのだからお互い様じゃな」
クツクツと笑う少女は、隣に立つバルサルクに目配せを送って跪かせると、その肩に飛び乗って腰かけた。
「ではカズヒサよ、見送って貰うとするかのう」
「あ、あぁ、そうだったな······チノ、すぐそこまで行ってくるから座って待っててくれ」
聞こえているか分からないが、依然として小刻みに震えているチノに声をかけてその場を後にした。
夕食時に備えて仕込みを始めた露店街を歩く人の数は疎らで、嵐の前の静けさに似た何かを感じる。
「カズヒサよ、もうこの辺で良い。今日は世話になったな」
「いや、別に俺は楽しかったから構わないんだが。チノに人の友達ができなかったのは残念だったけどな」
「そうじゃな······妾には友が居らぬからのう、其方達ならばと期待していたところもある。じゃが、あの娘の境遇に鑑みればあのような反応をするのは当然じゃ」
先程と同じ、どことなく悲しげな表情でウルスラはそう言葉を溢した。
「あぁ、そういえばこれ······」
受け取ってから、ずっと掌に握っていた徽章をウルスラに向けて掲げる。
「やっぱ俺、ウルスラの家臣にはなりたくねえや」
「貴様、それはどういうつもりだ······?」
「バル、其方が口を挿むでない······カズヒサよ、其方はそれを受け取れぬと申すか?」
顔には出さないが、怒りの感情を乗せた声で迫るバルサルクをウルスラが咎め、神妙な面持ちで問い直した。
「いや、これはありがたく頂戴しとくよ。だけど、家臣としてではなく、俺とチノがウルスラの友達である証としてだ。それでも良いだろうか?」
「良い······それで構わぬ」
返された答えにウルスラは、どこか安堵したように笑みを溢した。
「毎年という訳にはいかねえけど、何年かしたら会いに来てやるよ。こいつを使って堂々とな」
「うむ、二人で美味いもの沢山を持って、妾の下に馳せ参じるが良い。褒美を用意して待っておるぞ」
ウルスラは照れを隠すかのように、意味も無くバルサルクの髪を軽く撫でていた。
「その、なんじゃ······チノに怖い思いをさせて、すまなかったと伝えてくれぬだろうか?」
「あぁ良いぜ。チノにはそう言っとく。そんじゃ、俺はあいつが心配だから戻るけど、ウルスラも気を付けて帰れよ?」
「なーに、妾にはバルが居るからのう、その心配は無用じゃ。ではまたの、カズヒサ」
「おう! またな、ウルスラ」
こうして最後の言葉を交わした俺は、ウルスラと別れたのだった。
俺達が座っていた机に戻ると、流石に平伏はしていなかったものの、椅子に座った状態で放心しているチノの姿がそこにはあった。
「おいチノ、大丈夫か?」
「······ど、どがんしようカズヒサ。う、うち、ウルスラ様に失礼なことしてしまった!一体うちら一族はどがんなるとやろうか、まさか、根切りにされたりせんよね?」
声をかけると、チノはこちらへと顔を向け、泣き喚きながら縋りついてきた。
「お、おい、落ち着けってチノ!」
「これが落ち着いとる場合じゃなかろうもん!」
「だから大丈夫だって、ウルスラがチノに驚かせてごめんって謝ってたぞ」
「······ほ、ほんと?」
「あぁ、本当だ。あと、チノの事を友達だってもな」
意味が分からなかったのか、チノはキョトンとした表情だったが、その言葉を理解すると同時にヘタリと地面に座り込み、その瞳からはポロポロと涙が溢れ出す。
「よかった······よかったよぅ······本当によかったよぅ······」
安堵したせいで、今度は嬉し泣きを始めたチノの背を撫でてやる。
「怖かったな。でも、もう大丈夫だから······な?」
「うん怖かったぁ、でも······でも、だって私のこと······友達だって······」
「あぁそうだな、嬉しいよな」
俺はチノが泣き止むまで隣に座り、その小さな背中を摩り続けた。いつもなら泣き疲れて眠る少女であったが、今日はこれまでとは違い、泣き止んだその表情は寝顔ではなく、最高の笑顔に変わったのだった。
露店街を抜け、城門へと続く大きな街道を歩く重厚な鎧を来た男。その肩の上には、鼻歌を歌う少女の姿があった。
「姫、ご友人ができて良かったですね」
不意に掛けられたその言葉に、少女は鼻歌が止まる。
「そうじゃな······」
何かを思い出したかのように、少女の表情は暗く曇っていく。
「だが、生きねばならぬ理由ができてしまったのう······」
少女は今にも泣きそうな顔で口を開き、男に問いかけた。
「なぁ、バルよ。其方は何があろうと妾に忠誠を誓い、守ってくれるか?」
「当然です。貴女様に命と名前を捧げたあの日から、私は何があろうと貴女様を守り通すと誓っております」
その問いに対して男は、迷いや、躊躇など一切無くそう答えた。
「そうか、ならば妾に付き従うが良い······其方に真名を返す日はそう遠くはないだろう」
「初めからそのつもりです。それに、何度返されようと、その穢れた名は貴方様にお返し致します」
「うむ······良きに諮らえ」
それ以降、その肩から少女が降りるまで、二人が言葉を交わすことは無かった。




