第10章ー8
その一方、中国国民党政府からの宣戦布告以前から、上海にいる各国の海兵隊等は、南京在住の各国の居留民脱出に総力を挙げていた。
海兵隊等にとって幸いだったのは、指揮系統が日本の長谷川少将の下で一本化されていたことと、蒋介石が、表向きは上海からの日英米等の連合軍の攻勢に備えることを理由(本音は日英米等に対して自分は積極的に戦わないということを示す暗黙のサインとして)に、南京市街にいた国民党軍全てを引き抜いて上海方面へと移動させていたことだった。
そのため、居留民の脱出は基本的にスムーズに行われたが、共産党員に扇動された南京市民の暴動は完全には収まらず、脱出支援のために一時的に南京に送られた日英各1個海兵大隊は、不本意ながら武装して暴動を起こしている南京市民に発砲せざるを得なかった。
海兵中隊を率いて南京にいた山田勇助大尉は、増援として北白川宮中佐率いる海兵大隊が駆け付けてくれたことにほっとしていた。
国民党軍も南京市から完全に転進しつつあるようだ。
これで、南京にいる在留邦人全員を何とか上海へと無事に脱出させることが出来るのではないか。
また、南京近くには日英米の駆逐艦数隻が展開し、艦砲射撃による支援も随時、可能とのことだ。
しかし、それでも南京市民の暴動が完全には収まらない。
山田大尉は、胃にきりきりと痛みを覚えつつ指揮下の海兵中隊を率いて戦う羽目になった。
「しゃれにならんな。国粋主義と言うのは厄介なものだ」
肩を並べながら戦う海兵中隊を指揮する海兵同期の神重徳大尉が大声でぼやくのが聞こえてきた。
「ともかく、できる限りは過剰な攻撃は控えろ。相手は市民だ」
上官の北白川宮中佐の怒声にちかい大声が2人の耳にも聞こえてきた。
2人は無意識の内に揃って肩をすくめながら戦った。
10日余りの防衛戦の末、南京市街から日英米等の居留民全員の撤退は成功した。
上海に集結した日本をはじめとする各国の砲艦、駆逐艦は交替で南京にいた着の身着のまま(最も人命最優先という命令が出されていたことから、そもそも鞄1つしか居留民は携帯して乗艦できなかった)の居留民を、上海へとピストン輸送した。
最後に日本の海兵隊が殿を務め、全員が南京からの撤退に成功するまでに、日英米等の南京の居留民は10名余りが死亡乃至行方不明となり、100名近くが負傷、又は凌辱の被害に遭ったとされる。
また、日英の海兵隊員も数名が死傷した。
その一方で、日英の海兵隊の反撃と艦砲射撃により、南京市民は1000名以上が死傷したとされる。
(国民党軍の死傷者は不明。この後の日(英米対)中戦争の死傷者と合算されていることや、また、便衣兵として行動した国民党軍の兵も日英の海兵隊によるといるようだが、そのような兵は、中国国民党政府からは存在せず、日英の海兵隊が一般の南京市民を虐殺したのを隠蔽するためと主張されたためである。)
このことは、双方の非難合戦をもたらし、双方の国民世論を激昂させた。
4月10日、命からがら上海まで退いていた山田大尉と神大尉は、酒を酌み交わしていた。
2人がいるところは、日本海兵隊が租界内に設置した兵舎であり、周囲に警護兵もいるので、寛ぐことができていた。
最初は当たり障りのない会話を2人はしていたが、酒が回るにつれ、お互いの表情と会話は暗くなった。
「これからどうなるのかな」
山田大尉が、ぽつんと言った。
「とりあえずは、南京を目指すしかあるまい」
神大尉の答えも陰影を帯びていた。
「南京で戦った部下の何人かが、一般市民を射殺したことで心を痛めたようだ。自分もつらい」
「俺の部下もそうだ」
そして、山田大尉と神大尉は沈黙して、酒をひたすら呷った。
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