第10章ー6
1927年3月下旬当時、中国国民党軍の北伐に伴い、長江流域の情勢が緊迫していたこともあり、英米本国は自国民を保護しようとして、事前に中国に駐屯していた部隊のみならず、それぞれ増援の部隊を送りこんだこともあり、上海に展開していた英軍は独立海兵大隊7個(6個とする資料もある)、米海兵隊は3個大隊に達していた。
また、仏伊等の欧米諸国も同様の事情から、海兵隊や艦隊の水兵から編制した臨時海軍陸戦隊を派遣しており、集成すれば上海にいる兵力は2個大隊規模に達していたが、これらは個別には小規模なことから防衛にしか遣えなかった。
一方、当時、上海にいた日本海兵隊の呉鎮守府隊は、規模としては3個海兵大隊(1個中隊が南京にいたために欠)、1個砲兵大隊、1個戦車中隊を基幹とする部隊だったことから、兵員数としては英軍以下だったが、その質は、英米を筆頭に欧米諸国の軍が畏怖するレベルに達していた。
「あれが、サムライですか」
英軍の海兵隊所属の下士官が、羨望の眼差しを呉鎮守府海兵隊に向けながら、ため息を吐きながら、上官にこぼした。
「海兵隊ではなく、サムライと呼べ、とあなたが言うのが当然の質ですな」
「そうだろう」
上官の海兵隊中尉も、同意の言葉を言いながら、羨望の眼差しを向けていた。
「独皇太子から、ヴェルダン要塞攻防戦当時、独近衛師団よりも、日本海兵師団が自分の増援として欲しいと言わせただけのことはある」
世界大戦終結後、日本海兵隊は戦訓を踏まえて、装備を改編して、兵の訓練等全てを鍛え直した。
呉鎮守府海兵隊は、戦車18両を装備した戦車中隊を先頭に、自動車牽引される野砲16門を装備した砲兵大隊に支援され、完全自動車化された1個海兵連隊で敵を攻撃できる部隊となっていたのだ。
完全に兵站を自動車に任せられる部隊が、この当時の世界の陸軍でさえ、どれくらいあるだろうか。
そして、戦車まで保有している。
英米の海兵隊でさえ、そのレベルに当然達していない。
一方、日本海兵隊は、そのレベルに達している。
英米の海兵隊の面々でさえ、羨むのも当然のレベルだった。
もっとも、そのことについて、当時、上海にいた呉鎮守府海兵隊司令官の長谷川清少将は、内心で苦笑いしていた。
「本当は、テンプラなのだがな」
実際、完全自動車化されているのは、海兵隊の常備部隊だけだった。
鎮守府海兵隊が完全動員され、海兵師団になった際には、多くの部隊が徒歩で移動し、兵站を馬に頼ることになる。
だが、物事にはハッタリを利かせないといけないことがある。
今は、その時だった。
「とりあえず、南京から日英米等、日本と欧米諸国の居留民を脱出させるか。各国の駆逐艦、砲艦をフル回転させる必要がありそうだな」
長谷川少将は更につぶやいた。
上海にいる日本と欧米諸国の軍人で最上位なのは、長谷川少将だった。
規模的には英軍の方が上だが、最先任の士官は大佐に過ぎない。
そして、質を加味すれば、最大の軍事力を上海で保持しているのは日本だった。
このために、上海にいる各国の軍司令官が協議した結果、長谷川少将が事実上、上海の日欧米連合軍の総指揮官になっている。
指揮系統が一本化されているというのは、長谷川少将にとってありがたいことだった。
「まずは、南京にいる日本や欧米諸国の居留民を、上海にいる軍隊の総力を挙げて上海へと脱出させよう。そして、彼らを本国へと帰還させていこう。これによって、南京近郊の憂いを無くした上で、南京へと進撃する。日本等からの増援が到着した上で、反撃開始だ」
長谷川少将は、手厚い策を執ることにした。
そして、それは蒋介石にとって、有利にも不利にもなる諸刃の刃となる作戦であった。
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