第10章ー5
「リメンバー・ナンキン」
米本国で発行されている新聞は軒並み上記を表題とする記事を一面トップに掲げて、南京に居住している米国民が中国国民党軍の兵士に襲撃されて死傷者を出し、米国領事館にまで被害が出たことを憤り、報復を叫んだ。
その中には、人種差別も相まって南京にカルタゴと同じ運命を辿らせるべきという主張まであった。
英本国や英連邦構成国内でも、中国国民党軍に対する報復が叫ばれた。
無辜の英国市民が南京で多数死傷し、英国領事館にまで被害が出たのが確実という情報が新聞で流れ、英連邦諸国の国民の間で報復が声高に叫ばれたのだ。
だが、最も問題だったのは、国民党左派が当時は主導していた中国国民党政府が、南京市民を日本海兵隊が意図的に虐殺したとして、3月27日に日本に宣戦布告したことだった。
当然、日英同盟に基づき、英国も参戦するし、米国も国内世論から日本に味方して参戦する。
「しまった。共産党にしてやられた」
蒋介石は、絶望的な想いに駆られた。
自分の配下は一部を除き、対日英米開戦の熱狂に駆られており、自分が停戦命令を現段階で出しても、それには決して従うまい。
そして、上海や南京周囲にいるのは。
国民党右派を形成する蒋介石の子飼いの部下が主力を成している国民党軍だった。
日英米軍は容赦なく国民党軍を叩きのめすだろう。
更にその結果は。
「わしは対日英米戦の敗戦責任を取らされて死刑が確実だ。かといって、何とか生き長らえようにも、軍事力を日英米の攻撃で失った自分を中国国内で庇ってくれるもの等、いるわけがない」
蒋介石は、将来に昏い見通ししか立てられなかった。
似たような見通しを日本の幣原喜重郎外相も抱いた。
「蒋介石を懐柔して、国民党右派による中国統一が今となっては、日英米にとっては最善と見ていたのに。今やどうにもならないか」
幣原外相の見通しは次のようなものだった。
そもそも現在の中国の正統政府と言える北京政府を担っている奉天派は満州を基盤とする軍閥であり、中国全土統一と言う考えや力を持っていない。
では、どうするのが日英米にとって最善だろうか。
大雑把に言って、万里の長城以北は奉天派が抑え、それ以外は国民党右派によって中国を統一させる。
国民党右派はこれまでの経緯から言って、共産党と手を組んでいる独ソと何れは敵対せざるを得ない。
従って。
「蒋介石率いる国民党右派は、北京に入城した後は、日英米に好意的中立と言う態度を執るだろう。そうしないと世界の孤児として世界中から袋叩きにされてしまうだろうからな。そして、日本は蒋介石率いる国民党右派と英米の仲介役を務め、中国に平和をもたらす。そうしたいと願っていたのだが」
幣原外相は、日(英米対)中戦争勃発を前に、肩を落とした。
同じ頃、武漢市の一角では、歓声が上がっていた。
思い通りに事が運び、蒋介石率いる国民党右派と日英米軍が潰しあう事態が起きたのだ。
「これでよし。国民党右派に勝算は無い。かといって武漢にまで日英米軍は来られない。蒋介石率いる国民党右派の軍隊が叩きのめされたところで、自然停戦に持ち込めばよい」
共産党幹部の一人は満足気に言った。
「しかし、南京や上海で多くの市民が亡くなるでしょうな」
別の幹部が物憂げに言ったが、最初に発言した幹部は言った。
「彼らは、中国統一と共産党革命のために自ら命を投げ出したのです。その彼らの犠牲的精神は、褒め称えられねばなりません。あなたは、それを褒められないのですか」
その言葉の裏に、彼が市民の犠牲を何とも思っていないことに気づいた幹部は慌てて追従した。
「おっしゃる通り、私の考えが足りませんでした」
その答えを聞き、その幹部は笑った。
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