第9章ー8
昭和金融恐慌が何故起こったか、後世で大議論になったが、21世紀になる頃には、議論はほぼ収束し、結論は出ていた。
1、三井財閥の幹部達が、自らの大きさに胡坐をかき、三井は大丈夫と思い込んでいた。
2、山本権兵衛や伏見宮博恭王ら、軍部の大幹部が怒りの余り、自らの影響を過小に見積もっていた。
3、三井財閥の鈴木商店潰しが、米財界を過剰に刺激してしまった。
4、枢密院が、憲法上、緊急勅令が許されるのは、天災で議会招集が出来ないときに限られるとずっと公言しており(皮肉にも、そう公言したのは、鈴木商店が緊急勅令で救済されないようにと、三井財閥が買収工作をしており、枢密院顧問官の多くがそれに応じていたためとされる。)、緊急勅令が出せなかった。
以上、4点のために、三井騒動は起こり、三井財閥は崩壊し、世界三大倒産の一つ、三井銀行の倒産が起こり、昭和金融恐慌に至ることになる。
そして、昭和金融恐慌の渦中の中で、日(英米)対中(限定)戦争を日本は戦うという悲喜劇が起こるのである。
ともかく、発端は、三井銀行が、皇族の伏見宮家の預金の払い戻し請求を拒んだことだった。
この時点では、誰もがここまでの大騒動になるとは思わず、三井財閥の当時の重鎮、池田成彬は、後世の回想録で、この時は双方の行き違いでしたと、私が頭を下げて終わると考えていた、と書いたほどだった。
しかし、この事が新聞報道され、更に軍部が三井銀行との取引を信用不安から取り止めると発表すると、日本中に大騒動が起こった。
三井銀行が破たん寸前だ、と国民の多くが思い、三井銀行に対して、預金の引き出しが殺到、更に三井関連企業に対し、取引先からの三井銀行の単名手形の受け取り拒否が多発したからである。
三井財閥の幹部、池田らは真っ青になった。
ここまでの大騒動になるとは思っておらず、ずっと広告料等で飼いならしてきた多くの新聞社が、三井に不利になることは報道しないと考えていたのに、新聞の多くが三井を裏切り、報道したからである。
池田に至っては、何人かの新聞社の大幹部を呼びつけて詰問したが、その返答は池田をへこませた。
「勘弁してください。三井は皇族の払い戻しを拒否し、軍部から事実上の取引停止の扱いを受けているのです。どう見てもダメです。それなのに三井擁護の報道をしては、わが社が潰されます」
更に海の向こうからも、三井財閥を追い詰める嵐が襲来した。
鈴木商店はGMと提携関係にあり、その関連からデュポン財閥等の米財界と深い関係にあった。
そういったことから米財界は鈴木商店の動向を秘かに窺っていたのだが、その成り行きから、日本の三井銀行が苦境に陥ったのを見て、今こそ三井銀行を買収等することで、日本の財界に食い込む絶好機とうごめいたのである。
池田ら三井財閥の幹部は、立憲政友会の代議士や枢密院顧問官等、政界の知己に三井救済を訴えたが、皆、動くに動けないと頭を振った。
「私の古巣の軍部が、三井は許せないと言っています。勘弁してください」
田中義一立憲政友会総裁は、そう言ってひたすら頭を下げた。
「散々、池田さんの頼みに応じて、一企業の救済は許されない、憲法違反だと私は言ってきたのに。今更、緊急勅令で三井を救済しろ、と一言でも私が言った瞬間、私の政治生命は断たれます」
枢密院顧問官の伊東巳代治に至っては、自らを守るために平然と言う有様だった。
池田らは、コール市場から資金を引き揚げて資金を確保することで、何とか三井銀行を存続させようとしたが、そのことは三井銀行に対する信用を落とすばかりで、三井銀行に預金をしていた多くの三井財閥関連企業の取引先が、三井銀行から預金を引き出した。
三井銀行に対する信用不安をきっかけに昭和金融恐慌が本格勃発。
皇族の預金払戻請さえ拒否し、政府機関から信用不安を宣告された金融機関に安心して自分の預金を預けられるのか?
この当時の三井財閥の金融機関、天下の三井銀行といえども預金者等はパニックになると思うのですが、小説的に過ぎるでしょうか?
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