幕間2-1
前章から2年ほどが経ち、この世界の、元号が大正から昭和に変わった直後、1927年初めの日本国内外の情勢説明を、幕間という形で5話程掛けて行います。
1927年1月下旬のある日、土方勇志提督は、久しぶりに東京の林忠崇予備役元帥の別宅を訪問していた。
昨年末に大正天皇が崩御されて、今上天皇が即位された。
そのためもあって、いろいろと世情が慌ただしかったが、さすがに1月程も経つとそれなりに世情も少しは落ち着く。
本当は、土方提督としては、1月初めに林元帥に対して年始の挨拶に伺いたかったところなのだが、それどころではない状況だったので断念して見送っていた。
とはいえ、2月7日には大正天皇の大喪の礼が予定されているし、年始の挨拶を2月の半ば以降にするわけにもいかない。
文字通り、ぎりぎりの日程調整の末に、土方提督は林元帥の私邸を訪問することになっていた。
林元帥は、別宅で寛いで土方提督を待っており、執事によって、土方提督は応接間へと案内された。
「よく来てくれたな。本当に長生きし過ぎたよ。戊辰の戦野で散る筈だったのに。孝明天皇の曾孫の即位をこの目で見られるとはな」
応接間で、土方提督を待っていた林元帥は、目を潤ませつつ、土方提督に懐旧の想いを込めた言葉を掛けた。
土方提督は、林元帥の姿を見て、声を聴きながら思った。
この人が戊辰の戦野を駆け巡っていた際、自分は生まれてもいなかった。
戊辰の戦野が終わりを告げて、60年が間もなく経とうとしている。
その時に、日本がこんな状況になると予想できた人がいるだろうか。
土方提督も、懐旧の想いに駆られ、目が潤むのを感じた。
「新年早々に、湿っぽい話をしてしまった。別の話をしよう」
林元帥は慌てて、話を切り替えようとしたが、今度は、土方提督の気が静まるまでに少し時が掛かった。
「では、思い切り話を変えさせてもらいます。世界大戦の回想録は極めて順調に英仏米でも売れていると聞きましたが、本当でしょうか」
「本当だ。老人の手慰みを買ってくれる物好きがこれほどいるとは思わなかった」
土方提督の問いかけに、林元帥は顔を綻ばせた。
関東大震災の前に、林元帥は侯爵としていろいろ物入りなこともあり、世界大戦を中心とした回想録を描こうと決意した。
それを土方提督に話したところ、鈴木貫太郎海兵本部長にまで話が行ってしまい、鈴木海兵本部長の肝いりで、海兵隊が協力することになった(鈴木海兵本部長としては、うっかり林元帥が機密情報を漏らすこと等を懸念して、海兵隊の力を挙げて協力しようと決意した。)。
ところが、こうなるとそれを聞きつけた周囲が放っておかなくなった。
英や仏、米等、欧米諸国の駐在武官は、海兵隊が協力して林元帥が世界大戦の回想録を執筆すると聞き、完成の暁には是非とも一読させてほしい、と海兵隊に要望した。
まさか、公刊予定の書籍を読んではいけないと拒否するわけにもいかず、海兵隊は完成した回想録を、要望を出してきた国の駐在武官それぞれに一部ずつ、寄贈した。
それを読んだ駐在武官の多くが驚嘆した。
海兵隊の協力(という名の監修)を受けた林元帥の回想録は、できる限り精確な情報、事実に基づくものであったが、その一方で林元帥による辛辣な批評もなされていた。
回想録の内容について、駐在武官の間で賛否両論が巻き起こり、その論争はそれぞれの駐在武官の本国にまで届き、更なる関心を呼んだ。
ところが、回想録は日本語で書かれている。
そのため、翻訳出版の要望が高まるようになり、まずは、英語版が英米で、仏語版が仏で出版された。
どうせ、軍人しか買わないと思われていたが、何といっても世界大戦の回想録である。
市民からも高い関心が寄せられて、購入希望が相次ぎ、大量に購入された。
このために、林元帥は老後の心配が無しに悠々自適の生活が送れるようになっていたのである。
少し長くなり情勢説明に入れませんでした。
本当にすみません。
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