第8章ー11
中華民族主義のいい例が、孫文であった。
孫文は、辛亥革命直後は五族共和を受け入れていたが、その後、袁世凱やその後継者の北京政府と対立する中で、中華民族主義を唱え、全ての民族の同化を唱えている。
更に、話が少し先走るが、同年11月、北京政府に迎えられる途中、孫文は日本に立ち寄り、神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。
この演説で、日本に対して、西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか、と孫文は問いかけた、というのは有名な話だ。
だが、実はその中で、孫文は、ソ連を王道の守護者として称え、更に東洋の古来の中華への朝貢体制を称えてもいるのである。
このことは、日本国内ではまだ好意的に受け取る人がいたが、ソ連と領土が直接に接することで、ソ連の脅威にさらされている韓国内では激怒をもたらした。
更に孫文は明言していないが、中華民族主義と相まって、朝鮮民族も中華民族の一員であるという論理や古来、朝鮮は中国の朝貢国であったという理由で、中国に韓国を併合しようとしているのではないか、という中国国民党への疑惑が韓国内に広まる一因にもなった。
このことも、満州事変の遠因となって行くのである。
話がそれすぎた。
話を閣議に戻す。
「皇帝溥儀を紫禁城から追放して、清室優待条件を破棄するというのは、五族共和を北京政府は放棄するという意思表示に他なりません。北京政府も今後は中華民族主義を取ることになるでしょう」
幣原喜重郎外相は、その言葉で長い話を締めくくった。
閣議は暫くの間、重い沈黙に包まれた。
沈黙を破ったのは、財部彪海相だった。
「幣原外相としては、今後の対中政策について、どう考えている」
「当面は、厳正中立を保ち、日本の利権を直接侵害しない限りは動かないのが得策だと考えています」
幣原外相はよどみなく答えた。
宇垣陸相が次に発言した。
「それでは、皇帝溥儀をどうするのが最上と、幣原外相は考えている。天津にいる支那駐屯軍司令官の小泉六一中将からは、皇帝溥儀を保護すべきと言う意見具申があるが」
「悩ましいところです。人道的見地からは、皇帝溥儀を保護したい。しかし、皇帝溥儀は余りにも政治的な扱いが難しい。英国でさえ、受け入れを我が国に依頼してくる有様です」
幣原外相は、声に少し苦悩をにじませた。
財部海相が更に発言した。
実は、閣議の前に鈴木貫太郎海兵本部長から皇帝溥儀の件について、財部海相は入れ知恵をされていた。
「奉天派は、満州を地盤としており、米国からも大幅な支援を受けている。奉天派としては、皇帝溥儀をそれなりに処遇すべきだと考えているでしょう。皇帝溥儀を保護するために、日英共同で、米国政府に申し入れをし、奉天派を動かしましょう」
「確かにそれは一案と思います」
幣原外相は肯いた。
「そして、皇帝溥儀を護衛して天津へ連れてくるために、北京へ海兵隊を赴かせましょう」
続けて、財部海相は何でもない事のように言ったが、閣議内に一瞬のうちに緊張が走った。
「待ちたまえ、海兵隊を北京へ派遣するのか。馮将軍と戦うつもりか」
加藤高明首相が、財部海相を叱責した。
「戦うつもりはありません。事前に皇帝溥儀を護衛するために海兵隊を派遣するときちんと通告しておきます。中国の関係各方面に」
財部海相は弁明した。
「しかし」
幣原外相までも難色を示したが、宇垣陸相が財部海相の援護に入った。
「事実上の同盟国である英国からも、皇帝溥儀の保護を図るように依頼があるのです。英国の依頼を断るというのですか」
「それに、1個小隊を北京に送り込むだけです。馮将軍も脅威と見なしますまい」
財部海相は更に言葉をつなぎ、終に閣議で海兵隊の北京派遣を認めさせた。
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