第8章ー10
米内光政少将は、海兵隊士官への訓示を終え、海兵隊士官を解散させた。
その後、その中の1人、本来の部隊に戻ろうとする土方歳一大尉を呼びとめ、声を掛けた。
「ちょっと危険な任務に当たってくれんか」
米内少将のその言葉に、土方大尉は引き留められた。
米内少将は、自らの副官と土方大尉の3人で、別室に籠り、土方大尉にある指示を与えた。
土方大尉は、その内容に驚愕しつつも、得心せざるを得なかった。
一方、同じ頃、東京では「北京政変」を受けて、緊急閣議が開かれていた。
馮玉祥将軍の寝返りによって、奉天派が勝利を収めたことは、本来、日本政府も喜ぶべきだった。
だが、馮将軍が、旧安徽派のみならず、孫文率いる中国国民党も北京政権に引き込もうとしていること、更に、皇帝溥儀を紫禁城から追放し、清室優待条件を廃止したことは、日本政府に大きな困惑を引き起こしていた。
幣原喜重郎外相が、外務省が取りまとめた「北京政変」の現状を閣議で報告した。
「北京で、奉天派、馮将軍、旧安徽派、中国国民党の大連合政権が樹立される見込みです。そして、皇帝溥儀が紫禁城から追放され、日本に保護を求めています。なお、皇帝溥儀については、英米も関心を寄せており、日本に対して皇帝溥儀を保護するように両国政府から極秘の依頼がありました」
閣議内に参加している閣僚の多くが密やかにため息を吐きながら思った。
本当に厄介なことになった。
宇垣一成陸相が、幣原外相に尋ねた。
「中国国民党も北京政権に加わるということだが、それによって北京政権が反日英米に染まるということは無いだろうか」
「それは無いと考えます。奉天派は米国の支援を受けていますし、旧安徽派も日本のみならず英米を敵に回した場合のリスクが分かっています。むしろ、中国国民党が現実を見すえないと奉天派や旧安徽派が、中国国民党を北京から追い出すでしょう」
幣原外相は力説した。
財部彪海相が、次に発言した。
「皇帝溥儀の保護をどのように考える。そもそも、何故、馮将軍は清室優待条件を破棄し、皇帝溥儀を紫禁城から追い出したのだ。外務省の見解をうかがいたい」
幣原外相は答えた。
「辛亥革命時に提唱された五族共和を、漢民族を中心とする勢力、中国国民党や一部の軍閥が受け入れられなくなった結果だと考えます」
五族共和、辛亥革命時の中華民国が唱えた理念である。
漢民族、満州族、モンゴル族、ウイグル族、チベット族の五族の協調を唱えた。
だが、これは元々、清帝国を擁護していた勢力が唱えていたものであり、中華民国建国の主体となった漢民族内では極めて受けが悪い理念だった。
それなのに中華民国建国の際に、何故、五族共和を辛亥革命の立役者たちは受け入れたのか。
それは、清帝国を倒した後、各民族国家の建国を認めると、新生中華民国の領土は大分裂を起こすのが明らかだったからだった。
清帝国の支配層として漢民族と癒着が進んでいる満州族はともかく、モンゴル族、ウイグル族、チベット族の多くが、それぞれ実際に民族国家樹立に奔っている。
それ故に五族共和という理念を唱えることで、清帝国の領土をそのまま中華民国が引き継ごうとしたのである。
辛亥革命時の大国、英露等もそれを黙認することで受け入れた。
だが、それから10年以上が経ち、国際情勢は激変した。
第一次世界大戦が起こり、ロシア革命が発生し、ソ連が成立した。
ヴェルサイユ条約により、中国の独利権を日米が分け取りするという事態も起こった。
更にモンゴルが独立し、ウイグル、チベットも半独立状態となった。
こういった状況から、中華民国内の全ての民族は、中華民族であるという中華民族主義が唱えられるようになったのである。
長くなったので、次話に続きます。
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