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第8章ー7

「北京政変」は、極めて順調に進んだ。

 何しろ直隷派で実戦に投入できそうな部隊は全て奉天派との戦いに投入されている。

 北京に遺されていた直隷派の部隊は、後方警備をするのが手一杯の装備、練度共に低い部隊だけだったので、殆ど全ての部隊が、馮玉祥将軍の部隊に銃を向けられただけで、抗戦を断念し、投降の道を選んだ。

 僅かの部隊は抗戦を試みたが、圧倒的な兵力差と抗戦を始めてすぐに指揮下の多くの兵が逃亡を始めたことで、1時間も持たずに大抵、崩壊してしまった。

 馮将軍は、北京における圧倒的な武力を背景に、曹錕大総統を逮捕、監禁し、呉佩孚討逆軍総司令を解任してしまった。

 ここに、これまで北京政府を握っていた直隷派は、一度に崩壊の道を歩むことになる。

 そして、馮将軍は、中国国民党との密約から、紫禁城にも刃を向けた。


「3時間以内に紫禁城から全面退去せよだと、元皇帝の溥儀陛下に対して非礼極まりない物言い。清室優待条件を何と考えるのか」

 馮将軍が率いる部隊の一部が紫禁城を包囲して、理不尽極まりない要求を出してきたとき、数少ない皇帝溥儀の側近の一人が勇を振るって抗弁したが、馮将軍の部下はせせら笑った。

「元皇帝?そんなの知らぬ。さっさと出て行け」

 抵抗しようにも、溥儀には近衛兵や親衛隊に当たるものはない。

 皇帝溥儀は、紫禁城から退去する他なかった。


 しかし、どこかに身を寄せようにも、北京城を事実上制圧下に置いた馮将軍に睨まれている皇帝溥儀とその家族や側近を保護する者自体を探すのが困難を極めた。

 総理府内務大臣(というと大層な職務に思えるが、実際は清帝室の筆頭執事兼、皇帝溥儀の教育係)鄭孝胥や皇帝溥儀の帝師(家庭教師)レジナルド・ジョンストン等が奔走した末、一時的に皇帝溥儀の実父、醇親王の北京市内の邸宅に、皇帝溥儀達は身を寄せたが、そこがほんの一時の安住の地なのは火を見るよりも明らかだった。

 鄭やジョンストン等は、外国に助けを求めると共に、北京から皇帝溥儀達を脱出させようと考えた。


 だが、それは困難を極めた。

 ジョンストンの母国であり、欧米諸国の中では一、二を争う大国の筈の英国でさえ、皇帝溥儀達を保護しての北京からの脱出行を援助するのには躊躇いを示した。

 ジョンストンの回想録によると、皇帝溥儀達を保護して北京から脱出させてほしい、とジョンストンが北京駐在の英国公使に、直接、依頼したところ、

「内政干渉に当たるので、(皇帝溥儀達への)援助は一切、できない」

 と表面上は申し訳なさそうな顔をしていたが、きっぱり拒絶されてしまった。


 いろいろと奔走した末に、鄭やジョンストンが最後の頼みの綱としたのが、日本だった。

 英国にさえ拒否されては欧米諸国は頼みにならない、韓国は過去の行きがかり(清に属国として扱われていたという恨み)から、表面上はともかく内心では皇帝溥儀の難儀をせせら笑っているという噂がある、日本しか皇帝溥儀を助けてくれそうにない、という判断からだった。


 北京にいる芳沢謙吉公使は、鄭やジョンストンから、皇帝溥儀を助けて欲しいという依頼を受けて困惑した。

 清室優待条件を破棄して、皇帝溥儀を紫禁城から追い出す暴挙に、馮玉祥将軍が踏み切るとは芳沢公使は思ってもいなかった。

 かといって、その暴挙を公然と非難するような皇帝溥儀を北京から脱出させるという行為を行うには、北京近辺にいる日本の軍事力は非力極まりなかった。

 何しろ陸軍と海兵隊を合わせても実戦に耐えうる兵は5000人に満たないのに、馮将軍だけで3万以上の兵力を率いている。

 芳沢公使は、小泉六一中将や米内光政少将に、皇帝溥儀の北京からの脱出について、相談を持ちかけることにした。 

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