第8章ー3
「いざと言う場合に備えて、せめて支那駐屯軍を強化すべきではないか。陸軍を派兵すべきだ」
1924年10月上旬、高橋是清農商務相は閣議の席で、奉天派と直隷派の抗争に厳格中立を貫こうとする幣原喜重郎外相を懸命に説得していた。
「しかし、我が国は中国内政不干渉を宣言しています。支那駐屯軍を強化することは、その宣言に反するための準備行動に見られかねません」
幣原外相は、高橋農商務相の主張に反論した後、言葉を継いだ。
「それに万が一、直隷派が全満州を制圧しても、直隷派を説得して、日米の満蒙権益をそのまま直隷派に保護させればよい」
「それは、日米友好を危うくするぞ」
加藤高明首相までが、高橋農商務相に加勢した。
「表立っては誰も言わないが、奉天派を米国が支援しているのは、暗黙の了解となっている。そんなことになったら、幾ら厳正中立を保った我が国が仲介しても、直隷派と米国の関係は冷たいままになるし、直隷派の跳ね上がりが米国の権益を侵害したら、我が国は直隷派か、米国かの二択を迫られる。今でさえ、米国から奉天派を援助するように依頼が来ておるのだ。米国の依頼をあくまでも拒絶するのか」
財部彪海相も、幣原外相を半ば非難した。
「尼港事件の一件で、このような状況下で、中国政府に現地邦人の保護を完全に任せるというのは、国内世論が黙っていない。現地邦人の保護を求めるデモ隊が、首相官邸や外務省に押しかけ、警官隊が追い散らしたばかりだ。陸軍がダメなら、海兵隊を出してはどうか」
幣原外相は、宇垣一成陸相に目で助けを求め、宇垣陸相が口を開いた。
「我が陸軍としては、直隷派の一部の軍の動きに注目しております。馮玉祥軍が、どうも直隷派から離脱を策しているようなのです。馮玉祥軍が、もし奉天派に寝返るのでしたら、直隷派は完全に虚を衝かれることになり、戦局は一変します。その動きを見据えてから、行動すべきではないでしょうか」
実は、現地の日本陸海軍は秘密裏に馮玉祥軍が奉天派に寝返るように工作していた。
財部海相は、敵を騙すにはまず味方からという理由(後、財部海相の義父、元老の山本権兵衛に累を及ぼさないようにという配慮もあった)から、この秘密工作から排除されており、山下源太郎軍令部長や秋山好古参謀総長、宇垣陸相の3人が東京では把握しているだけだった。
だが、こういった秘密工作を完全に隠しきることはできない。
北京の芳沢謙吉公使は、現地の陸海軍の秘密工作を(怪しいと睨むレベルだったが)察しており、幣原外相に報告していた。
そのために、幣原外相は宇垣陸相に目で助けを求めたのである。
だが、財部海相はそんな秘密工作を知らなかったことが、この後の事態を招いた。
宇垣陸相の言葉で、一時的に幣原外相の立場は強まったが、財部海相がぶち壊しにした。
「そうは言っても、米国への配慮もある。海兵隊を天津に送り、不測の事態に備えましょう。海兵隊を出動させるべきです」
「しまった。財部海相を事前に説得しておくべきだったか」
幣原外相は臍を噛んだ。
陸海軍としては、現地の秘密工作の結果がある程度判明するまでは、派兵に反対すると幣原外相は考えていた。
財部海相が、海兵隊の派遣をそこまで主張するとは、幣原外相の予測を超えていた。
「そうだな、1個鎮守府海兵隊を天津に派遣して、不測の事態に備えよう。併せて、厳正中立を日本政府として、直隷派と奉天派双方にあらためて表明し、英米等の大使にも伝えよう。幣原外相、それでいいな」
「そこまで言われるのでしたら」
幣原外相は、加藤首相の言葉に渋々肯いた。
こうして、不測の事態に備えるという名目で佐世保鎮守府海兵隊の天津への派遣が決まった。
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