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第8章ー2

 そういった喧騒も、ここ紫禁城の中では表向き関係ないようだった。

 清の最後の皇帝となった溥儀は、1912年2月に締結された清室優待条件に基づき、紫禁城に未だに住んでいた。

 1906年生まれの溥儀は、1924年にはまだ18歳で、少年といってよい若さだった。

 その2年前に皇后と淑妃と結婚しており、側近達と静かに暮らしていた。

 また、各種慈善活動に積極的に義捐金を拠出(関東大震災に際し、日本政府にも義捐金を拠出している)したり、不正を行った宦官や女官の解雇、追放を積極的に行ったりと自らの生活も律したものがあり、優しい退位した元皇帝として、このまま余生(というには余りにも若すぎるが)を送るものと多くの人から思われていた。

 だが、直隷派と奉天派の抗争は、溥儀を容赦なく巻き込もうとしていた。


 1924年8月、直隷派は浙江省に地盤を維持していた安徽派系の蘆永祥軍を叩こうと、軍の一部を南進させた。

 これにより、北京が手薄になったことを好機と見た奉天派は翌月、万里の長城を超え、北京を目指した。

 だが、これは誘いの隙だった。

 万里の長城を超えて、満州に直隷派が軍を進めることは、日米の軍事介入を招く、そう考えていた直隷派はわざと一部の軍を南進させ、奉天派の軍を誘い込むことで叩こうと考えていたのである。

 張作霖率いる奉天派は、思わぬ苦戦となったことから、軍内部に動揺が走った。

 直隷派は、この様子を見て、奉天派を徹底的に叩こうと策した。

 この戦乱は、日米英の三国の政府に大きな影響を与えた。


 話が前後するが、1924年6月、日本では加藤高明内閣が成立し、幣原喜重郎が外相に就任していた。

 幣原外相の主張により、加藤内閣は中国内政不干渉主義を標榜していたが、奉天派と直隷派の抗争はその基盤を崩そうとしていた。


 話が横にそれるが、幣原外相の中国に対する主張の基本は、ワシントン体制を基本的に維持しつつ、善意をもって日本は中国に譲れるところは譲ります、そして、お互いに国際約束を厳守して、相互の自制によって平和を維持して行きましょう、お互いに相手の権益を保護しましょう、と言うものであった。

 これは、直隷派の率いる北京政府には通じる主張であり、米国の秘密裏の支援を受けている奉天派にも通じる主張だった。

 しかし、ワシントン体制そのものを認めない中国国民党政府には、通じない主張だった。

 このことが、後に、幣原外相の外交政策の崩壊につながるのである。


 更に幣原外相の主張の根底の考えには、対中戦争に日本が突入したら、本格的な英米の支援が無いと泥沼の戦争に日本は巻き込まれてしまい、日本が破滅するという考えがあった。

 極めて単純な計算である、中国と戦争になって、すぐに手打ち、講和が出来ればいい、しかし、中国が講和を拒否し、徹底抗戦を行い、焦土戦術を採ったら、日本は中国全土を制圧するまで戦うしかない。

 そして、日本が幾ら頑張っても中国全土の制圧が可能な戦力を単独で整えるのは不可能である以上、ナポレオンがロシア遠征で陥った事態に日本は追い込まれ、日本は破滅してしまう。

 幣原外相は、自らの考えを「中国には心臓が複数ある」と要約して、しばしば述べている。


 1924年9月末、加藤内閣の閣議は、中国問題について、徐々に深刻な閣内対立を招いていた。

 高橋是清農商務相(元首相で、政友会総裁もある)が、奉天派と直隷派の抗争に軍事介入止む無しの主張をするようになっていた。

 高橋農商務相の背後には、米国政府の意向もあった。

 米国政府は、自らの支援する奉天派が崩壊しつつあることから、奉天派を助けるための軍事介入を希望していた。

 しかし、幣原外相は、自らの考えを曲げなかった。


 

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