第7章ー8
1922年4月、ドイツとソ連は、ラパッロ条約を締結した。
表向きは、第一次世界大戦からブレスト=リトフスク条約に至る両国の行きがかりを無くし、両国間の関係を正常化しようとするものであり、特に問題視されるようなものではなかった。
だが、各国、特に日本の一部の外交、軍関係者の勘には障るものがあった。
条文の中にある「両国の経済的必要を解決するため協力する」という文言である。
深読みのし過ぎと言われそうだが、その経済的必要の中に軍事関係がひそかに含まれているのでは、と疑惑を彼らは覚えたのだ。
もし、本当に含まれていたら、ドイツとソ連がその成果を共有するようなことになったら。
ドイツの軍事力を空洞化させるというヴェルサイユ条約の目的が骨抜きになってしまう。
実際、ラパッロ条約をきっかけに、ドイツとソ連は軍事面で密接な関係を築くことになる。
ドイツはソ連領内で軍事関係の技術研究、兵器開発等を行い、ソ連はその見返りとして士官の教育を受けたり、実際の兵器製造を行ったりする(ソ連は、ロシア革命により旧ロシア軍士官をほぼ完全に失っており、士官教育自体が困難になっていた。)というお互いに利益を享受する事態が起きるのである。
それにしても、何故、独ソの関係に彼らがそこまで過敏になったのか。
それは日中関係があった。
日本と中国は、日清戦争から14か条の要求、五四運動と宿敵とも言える関係に陥っていた。
そして、第一次世界大戦時に中国国民党がドイツから支援を受けていたということについて、確証までは得られなかったが、ほぼ事実とみて間違いない、と日本は睨んでいた。
いわゆる北京の正統政府が、第一次世界大戦でドイツへの宣戦布告に踏み切ったのも、彼らと対立する中国国民党への支援をドイツが行っていたというのが一因だった。
また、ソ連と中国国民党の関係も極めて深いものがあった(そもそも中国国民党の設立には、ソ連が深くかかわっていた。)。
ソ連とドイツが中国を介して手を結び、中国国民党に対して軍事的、経済的支援を行い、満蒙利権返還を訴えて、中国国民党が対日米戦争を引き起こす。
彼らは10年以上先の未来に起こるかもしれない最悪のシナリオとして、そういったことを想定した。
念のために書くが、対日米戦争と言っても、この当時彼らが考えていたのは、21世紀の現在で言えば、不正規戦争、対テロ戦争である。
満蒙からさらに最近手に入れた山東等に、中国大陸に日米は大量の利権を持っている。
それらを表向きは関知しないものとして、中国国民党が各種テロ行為(在留邦人の暗殺、各種施設(鉄道や鉱山、工場等)の破壊等々)を繰り返し、中国全土から日米は撤退を止む無くさせられる。
彼らはそう言ったことを懸念した。
だが、日本がそういった情報を探ろうにも、ソ連は極めて閉じた社会を築いており、そもそも共産党を弾圧している日本に、ソ連内部の情報を探るのは極めて困難を極めた。
そうしたことから、ドイツを主な標的として日本は情報を探ることにしたのである。
かといって、表面から日本の軍関係者が出て行っては、ドイツも裏を警戒する。
そのために民間会社、川崎重工や愛知飛行機を表に出して、あくまでも何も知らない仲介役として、彼らは黒子に徹した。
その効果は、それなりに現れた。
川崎重工には、フォークト博士が招聘された。
また、愛知飛行機に至っては、ハインケル社と密接な関係を時間が掛かったが、一時的に築くことに成功した(後のナチスドイツの下、ハインケル社が冷遇された一因として、この時の愛知飛行機との密接な関係が挙げられることが多い。)。
こうした関係を通じ、日本は裏から情報収集に努めた。
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