第7章ー5
1923年2月22日に行われた「鳳翔」への吉良俊一大尉の初着艦を、艦上から見たかった山本五十六中佐らが、横須賀港近くからそれを眺める羽目になったのは、空軍に異動していたからと言うのもあるが、そもそも空母への初着艦を自らの目で見届けようと、参列希望者が多数集まっていて、本来の乗組員以外には、将官しか「鳳翔」に乗せてもらえなかったというのもあった。
予備役に編入されていたとはいえ、井上良馨、東郷平八郎、両元帥までが特に参列していた。
「おいおい、こりゃ、失敗したら大恥だな」
煙草でも吸って気を落ち着けようにも、「鳳翔」艦内では完全禁煙である。
吉良大尉はひたすら自らに落ち着くように言うしかなかった。
「では、始めるか」
吉良大尉の操縦する10式艦上戦闘機は、ふわりと「鳳翔」からの発艦に成功した。
吉良大尉には聞こえるべくもないが、その瞬間、艦上では大きなどよめきが起きた。
「見事な発艦だ」
「次は着艦だな」
空中から「鳳翔」を吉良大尉が見ると、分かっていたとはいえ、本当に「鳳翔」は小さかった。
「ジョルダン大尉が、嫌がるわけだ。それにしても、あの艦橋は邪魔だな」
吉良大尉は誰も聞いていないのをいいことに、独り言を呟いた。
横須賀港近くとはいえ、海にそれなりのうねりはある、吉良大尉は慎重にタイミングを図った。
「よし、今だ」
「少し角度が高めだったか」
参考にジョルダン大尉に空母への降り方を聞いていたとはいえ、実際に空母への着艦を見たことが無いので、幾ら日本海軍の誇る航空隊のエースの吉良大尉にしても、手探り状態の着艦となる。
更にこの頃の「鳳翔」の着艦制動装置は縦置式で、制動力が弱い代物だった。
「引っかかってくれよ」
吉良大尉の願いが通じたのか、何とか着艦制動装置に吉良大尉の乗機は受け止められ、日本海軍の空母への初着艦は成功した。
「やった。見事に一発で成功したぞ」
周囲がどよめく中で、吉良大尉は、よし、この感覚を忘れないためにもう一度、と豊島二郎艦長に、再訓練を上申し、それは認められた。
「おお、見事に成功したぞ」
横須賀港の近くでも山本中佐たちから一斉に歓声が上がった。
「何、また、やるのか」
「しまった。今度は低すぎた」
吉良大尉は内心でぼやいた。
吉良大尉の2回目の着艦は、着艦直前に「鳳翔」がうねりのせいので、急に揺れたこともあり、失敗してしまった。
当然、吉良大尉の乗る10式艦上戦闘機は落艦してしまい、吉良大尉は海水を呑む羽目になった。
「畜生、この反省を生かしてやる」
救命艇で助けられ、「鳳翔」の飛行甲板に上がってきた吉良大尉は、周囲からの、今日はこれまでにすべきでは、という忠告に対して反論し、予備の10式戦闘機で再発艦した後で、着艦に再挑戦して、今度は成功を収めた。
「吉良大尉は、大したものだな」
東郷元帥は感嘆したように言い、井上元帥からも
「落艦事故になったときは、これで中止かとおもったが、よくやった」
と吉良大尉は、お褒めの言葉を賜った。
こうして、日本の空母への初着艦は、一応は成功裏に終わった。
その後、「鳳翔」から、吉良大尉以外の母艦搭乗員達が、相次いで育っていくことになるのだが、運用上の欠点がいろいろと指摘されて、すぐに改装工事に入ることになった。
艦橋が撤去されたり、少しでも飛行甲板を大きくしたり、といろいろ涙ぐましい程の改装が行われた。
改装後も、落艦事故が絶えなかったことから、「とんぼ釣り」と称された駆逐艦1隻が、「鳳翔」に随伴するようにもなった。
(ちなみに、他の空母にも同様の措置が取られた。)
「鳳翔」は、初めての育児に苦労する母親の如き苦労を重ね、周囲の助けを得て、母艦搭乗員を育てた。
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