幕間ー3
その日、9月1日の朝から、林忠崇元帥は気持ちが落ち着かなかった。
侯爵という立場もあり、使用人も何人か置かざるを得ず、木更津の街では一、二を争う邸宅を構える身である。
本来なら、立場もあり、どっしりと落ち着いた姿を使用人にも示しているのだが、日課の木刀の素振りをしても、全然気が静まらない。
林元帥は内心で思いを巡らせた。
どうにも嫌な予感がしてしょうがない。
そう、最前線で敵軍が自軍の隙をうかがっているような気配だ。
だが、こんな平時にそんなことが起こる筈がない。
家の中に居て、のんびりと過ごそうにも気持ちが落ち着きそうにない。
しばらく散歩でもして、体を疲れさせ、その上で家でくつろぐことにでもしようか。
林元帥は、護衛を兼ねた下男を1人連れて散歩に出る旨を、執事に伝えて、10時過ぎに散歩に出た。
「済まんな。つい、遠出をしてしまった」
林元帥は、下男に声を掛けた。
「いえ、仕事ですから」
表向きの表情は笑っているが、下男は少し疲れた顔をしている。
老いたりとはいえ、武芸で鍛えた林元帥の散歩は、かなり速い。
気が付けば、1時間以上も散歩しており、昼前になっていたことから、慌てて林元帥は邸宅に戻ろうとしていた。
「何だか地面が揺れとらんか」
邸宅が遠目に見えだした頃に、林元帥は地面が揺れているような感覚を覚え、下男に声を掛けた。
「いえ」
と下男が言いだした瞬間、凄まじい地震が2人を襲い、2人は地面に倒れた。
9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した瞬間だった。
幸いなことに、林元帥と下男は地面に倒れたものの擦り傷と打ち身で済んだ。
邸宅も大修理が必要にはなったが全壊には至らず、使用人にも重傷者は無かった。
だが、木更津だけで5000人近い死傷、行方不明者が出て、3万戸以上の建物が地震、火災及び津波により、全壊と判定される大被害が出た。
そして、当然、被害は関東全体に及んでいた。
横須賀鎮守府庁舎が倒壊したため、仮屋の鎮守府を横須賀鎮守府は置かざるを得なかった。
その仮屋の中で、9月1日の夜、野間口兼雄横須賀鎮守府長官に、土方勇志横須賀鎮守府海兵隊長官は直談判をしていた。
「一刻も早く、我が海兵隊を横須賀市内及び周辺の治安維持に当たらせられたい」
土方提督は、上官である野間口大将に不遜ともいえる態度を執っていた。
横須賀鎮守府が何もしていなかったわけではない。
海軍省からの指示を受け、軍艦を品川、横浜沖に展開させているし、保有する自動車を駆使して、横須賀市内の被災者の救援活動等に当たっている。
負傷者を救護所に搬送したり、非常事態だからと火災の延焼を食い止めるために横須賀所在の陸軍と協働してこれ以上の延焼を防ぐために、建物の爆破行動を行ったりという、取れる限りの行動を執っている。
海軍省からの連絡によると、一刻も早く関東地方の被災者を救援せねばと全艦隊が詰める限りの食糧や医薬品等の救援物資を満載して、横須賀へと急行しているとのことだった。
だが、別の問題が発生しつつあった。
「尼港事件と同様に、中国人が日本人を襲っているらしい」
「井戸に毒を中国人が投げ入れて回っているらしい」
流言飛語が飛び交い、横須賀市内の一部で中国人が襲撃されたという報告が部下から土方提督の下にあったのだ。
土方提督は、独断専行止む無しの腹を決め、取りあえず部下に対して、中国人への襲撃を見かけたら身を挺して止めるように指示を出すとともに、野間口大将に海兵隊を治安維持に投入するように要望していた。
「分かった」
野間口大将は、少し黙考した後、土方提督にそう言った。
「わしが責任を取る。横須賀鎮守府海兵隊は総力を持って治安維持任務に当たるように」
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