第5章ー8
私の調査不足で間違っていたらすみません。
原敬内閣成立当時の立憲政友会の政策としては、地方への鉄道敷設は党の最重要政策扱いだった、と私は理解しました。
消費税断固廃止と選挙で叫んで、政権に着いたけれども、政権としては消費税率引き上げ法案を出さざるを得ない羽目になったら、その政党がどうなるか。
立憲政友会が大揉めになるのも止むを得ない気が。
「これまでの立憲政友会の支持者たちに対する裏切りを行おうというのか。鉄道敷設を地方で積極的に行うというのは、立憲政友会の伝統的な公約である。それなのに、鉄道改軌をまず終えた上で、新たに鉄道を敷設する等、公約破りであり、支持者への裏切りである。代議士として断じて許されない行為である」
床次前内相が立憲政友会の代議士会で獅子吼した。
「そうだ、そうだ。鉄道敷設法改正を内閣提出法案として提出すること等、断じて認められない」
床次前内相を支持する一派が呼応して、大声を上げた。
「ふざけるな。鉄道改軌と地方への鉄道敷設と同時にできるわけがない。まず、鉄道改軌を済ませた後、地方への鉄道敷設を進める。公党として責任を持った対応をすべきだ」
代議士会に閣僚として出席している高橋是清蔵相が、床次前内相を叱るような声を上げた。
それに呼応して、高橋蔵相を支持する一派も声を上げる。
「代議士である以上、責任を持って国政を運営するべきだ。床次前内相を支持する輩は無責任だ」
「無責任とは何だ」
「無責任な奴を無責任と言って何が悪い」
床次支持と高橋支持の代議士それぞれが集ってつかみ合いの乱闘を起こしかける。
中立派の代議士が間に入って、双方を宥めようとする。
立憲政友会の代議士会は大混乱となっていた。
やられた、元老の山本権兵衛元首相まで敵に回るとは。
原敬首相は臍を噛む思いで眼前の惨状を眺めていた。
立憲政友会は崩壊寸前にある。
高橋蔵相に私心は基本的に無いはずだ。
現在の軍部の主張に鑑み、財政規律の観点から鉄道改軌のみ行うしかないと判断しているのだろう。
床次前内相は、私心がかなりあるようだ。
自分の後の首相になりたいことや自分が内相を辞任させられた恨みがあるのだろう、そのために立憲政友会の公約死守にこだわっているのだ。
問題は、高橋蔵相を支持する者の多くが与党でいたいだけの私心ばかりの者が集っていることだ。
むしろ床次前内相を支持する者の方が私心が無い者が集っている。
つまり、トップと支持者が逆転しているのだ。
自分が党首の間は何とか調整ができるだろうが、自分にもしものことがあったら、おそらく立憲政友会は分裂乃至崩壊するだろう。
原首相は立憲政友会の将来をそのように見た。
実際、原首相の死後、立憲政友会は分裂する。
原首相は、立憲政友会の代議士会を何とか取りまとめることに成功し、1920年12月から始まる帝国議会に、鉄道敷設法改正法案を国会に提出した。
だが、議会質問でも、立憲政友会所属の与党議員から鉄道敷設法改正法案に疑問が出される有様だった。
それに対して(山本元首相や林忠崇元帥の根回しにより)、野党の憲政会や立憲国民党は(立憲政友会分裂を煽るという目的もあったが)、鉄道敷設法改正法案に賛成するという逆転現象が起きた。
憲政会や立憲国民党の支持基盤が、いわゆる地方よりも都市にあったために、地方へ鉄道を敷設するよりも既存の鉄道改軌の方が支持者にとってより魅力的でもあるという事情もあった。
そのために、鉄道敷設法改正法案は迷走することになり、原首相が亡くなり高橋蔵相が後継首相となって成立した高橋内閣の時代、1922年春にようやく鉄道敷設改正法案は成立することになる。
もし、鉄道敷設法改正法案が立憲政友会の原案通り、地方への鉄道敷設優先と言う内容になっていれば、立憲政友会の分裂はなく、立憲政友会による一党優位の議会政治体制が確立し、原首相が夢見た立憲政友会主導の議会政治が日本でも大正時代に恒久化したかもしれない。
それを想えば、返す返すも鉄道改軌は日本の政治を混乱させ、日本の議会政治成立を遅らせてしまった最大の元凶であった。
史実と違う流れをこの世界では辿っている筈なのに。
史実でも立憲政友会による政党内閣は、原、高橋の2代で崩壊してしまい、立憲政友会による内閣は、田中義一内閣まで待たないといけません。
本当に皮肉な話です。




