第5章ー4
後藤新平は良くも悪くも政官界の名物男だった。
後藤の名を高めた発端は、児玉源太郎台湾総督の下で、台湾民政長官として辣腕を振るったことである。
そのことから、陸軍を筆頭に政官界に顔を知られていた。
また、台湾の樟脳専売化等を行い、鈴木商店以下の財界にも太いパイプを持っていた。
鉄道改軌の夢を捨てきれない後藤は、原内閣成立後は、自分の知己に鉄道改軌を訴えて回った。
当然のことながら、後藤の訴えは、陸軍内のブリュッセル会の面々の耳にも入ることになった。
「マークⅤ戦車の全幅は4mを超えるが、改軌すれば、日本の鉄道に載せることができる」
「しかも、その費用は10年間で6000万円で済むだと」
梅津美治郎少佐や永田鉄山大尉は、その情報に飛びついた。
「年間国家予算ベースで、毎年0.5パーセント以下の支出で済むではないか」
改軌となると膨大な費用と時間が掛かる(何しろ桂内閣当時の計画では、13年も掛かり、総費用が2億円を超える大計画だったのだ。)と思い込んでいたところに、短期間で遥かに安い費用が提示されたのだ。
梅津少佐らは、陸軍上層部に何としても改軌するように訴えることを決めた。
「ふむ。陸軍がいくら動いても無駄だろうな」
田中義一陸相は、梅津少佐らの訴えを聞き流すような素振りを示した。
梅津少佐らは、日本に残っていた田中陸相では、鉄道改軌の重要性が分からないのか、と唇を噛んだ。
「何しろ、原首相は、鉄道建設重視だ。改軌費用が有ったら、建設費用に遣いたがるだろう。その方が選挙の票に結び付くからな」
田中陸相は独り言を言い、更に言葉を紡いだ。
「だが、原はともかくとして、立憲政友会議員の脇は意外に甘い。海兵隊を介して、海軍とも連絡を取ってみろ。面白いことが起こるかもしれん」
後に、首相を務めることになる田中陸相は、梅津少佐らをそそのかした。
梅津少佐らは、北白川宮大尉や大田実大尉といった欧州戦線で共闘した面々に連絡を取り、その伝手を介して、鉄道改軌の重要性を海軍首脳部にも訴えた。
鉄道改軌について、海軍本体は動きが鈍かったが、海兵隊首脳部は陸軍との積極的な共闘を決断し、鈴木商店等を介して財界にも働きかけることにした。
財界は、基本的に陸海軍に好意的中立の態度を示した。
明治時代から、財界の内部では、鉄道改軌の主張が強かった。
例えば、三井鉱山部理事の高橋義雄は、1906年に鉄道改軌をしないと日本の産業は諸外国に対抗できないと説いている。
こうした状況の下、更に梅津少佐らは内務省内に手を伸ばした。
内務省の官僚が何か立憲政友会の議員の醜聞を掴んでいないかと聞いたのだ。
それにより、よりにもよって、鉄道院のトップでもある床次内相が、右翼団体の大日本国粋会の結成に関わっているという情報を入手した梅津少佐らは小躍りして喜んだ。
後は、針小棒大にしてでも床次を追い落とし、後藤を鉄道院総裁に復帰させるまでだ。
梅津少佐らは、田中陸相にその情報を流した。
田中陸相は、陸軍の暴走と取られないように、加藤友三郎海相とも手を組み、陸海軍共同で床次内相を追い落とすことに決めた。
更に、田中陸相は、元老の山県有朋や山本権兵衛にも情報を流して、自分達への協力を依頼した。
何しろ床次内相は、原敬首相の腹心である。
中途半端な攻撃を仕掛けては、自分達も深手を負う可能性があった。
それにこういうことは一度に徹底的にやった方が、後腐れが無い。
原首相が、陸海軍の謀略に気づいた時には、完全に床次内相の両脇は固められており、床次内相を辞任させる以外の選択肢が事実上なくなっていた。
何しろ、床次内相辞任の表向きの理由が汚職である。
原首相はどうにも庇えなかった。
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