第5章ー2
1919年12月、新年度予算案を話す筈の閣議は、緊張状態を高めていた。
原敬首相にとって、全く予想外だったのは、軍事にしか口を出さないと見ていた田中義一陸相や加藤友三郎海相が積極的に軍事以外のことに口を出してきていることだった。
「床次竹二郎を内相から辞職させるか、我々が内閣を去るか、二つに一つ。なお、我々が内閣を去る場合、全ての陸海軍の現役軍人は原内閣の陸相、又は海相にならない」
田中陸相はそう言った。
横では、加藤海相が肯いている。
「我々を脅迫するのか」
床次内相は、田中陸相を詰問したが、田中陸相は平然として言った。
「大日本国粋会の結成に関与し、多額の献金を受け取った床次内相を、陸海軍は看過できない。新聞や野党がこれだけ騒いでいるのに、原内閣は襟を正すべきだ」
「全くだ。政党内閣になって早々、これだけの汚職事件。山県有朋、山本権兵衛、西園寺公望の3元老も床次内相の辞任はやむを得ない、と言っている。現役軍人として、こんな汚職にまみれた内閣に居たくない」
加藤海相が追い討ちを掛けた。
原内閣は、1年も経たない内に大荒れになった。
原首相は、現実的な妥協策を検討していた。
今後の原内閣の安定を考えると、何とか床次内相を原内閣の一員として留任させたいところだった。
しかし、床次内相が右翼団体の大日本国粋会の結成に際し、世話役として動いたのは間違いなかった。
問題は、その見返りとして多額の献金が床次内相を通じて立憲政友会に流れ込んだという大醜聞が新聞等で暴露されてしまったことだった。
床次は自分が内相なので、新聞に圧力を掛けて、記事を差し止めようとしたことから、これは大疑獄で間違いないと世論は騒ぎに騒いでいる。
野党議員の加藤高明や犬養毅らは、涎を垂らしながら、帝国議会の開催を待ち望む有様だった。
元老の山県有朋や山本権兵衛までが床次内相辞任やむなしの意向を示しているのに、それを無視して床次内相を庇って、田中陸相と加藤海相を辞任させてしまっては、後任の陸相や海相が予備役軍人から選任できるはずもない。
原内閣は総辞職するしかない。
しかも、汚職議員を庇って、原内閣は総辞職という形になる。
立憲政友会のイメージは地に堕ちるだろう。
「床次内相、辞表を出してもらいたい」
大荒れの閣議が休息に入った後、原首相はついに決断して、床次内相に辞表を求めた。
「私は冤罪です。何故、辞表を出さねばならないのですか」
床次内相は息巻いた。
実際、大日本国粋会から床次への多額の献金というのはでっち上げの誤報だった(もっとも、真っ白と言う訳ではない。それなりの礼金が大日本国粋会から床次へ、更に立憲政友会に流れたのは事実だった。)。
「しかし、田中陸相と加藤海相に内閣を去られては、最早、私の内閣は総辞職するしかない。更に立憲政友会も醜聞に塗れるだろう。君はそれが分かっていて、辞表を出さないのか。君が辞表を自発的に出してくれるなら、それなりに君を立憲政友会内の役職に就けて厚遇しよう」
原首相は、床次内相を懸命に口説き、床次内相を自発的辞職に導いた。
その頃、田中陸相と加藤海相は、ひそひそ話をしていた。
「どうなりますかな。床次内相は自発的に辞職しますかな」
田中陸相は、加藤海相にささやいた。
「辞職するしかないでしょう。世論も床次内相辞職をわめいている。原首相は床次内相を庇えない」
加藤海相は、田中陸相にささやき返した。
「まず、弱い所を徹底的に叩く。戦の必勝法ですな」
「勝てる戦しか、真の軍人はしないものです」
田中陸相と加藤海相は悪い顔をして、お互いに笑いあった。
まず、床次を潰す。
鉄道改軌を進めるために陸海軍は第一手を打っていた。
大嘘と思われそうですが、右翼団体の大日本国粋会の結成に床次内相が関与したというのは史実でもそうだったみたいなので、ちょっといじくらせてもらいました。
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