第4章ー3
「英のマーク4戦車は28トン、仏のサンシャモン戦車は23トン、独のA7V戦車に至っては33トンもあります。我が国がいつか生産する戦車も、同等程度の大きさを運用できるようにしたい。しかし、日本の鉄道や道路網では」
秋山好古参謀総長は、そこで言葉を切って、鈴木貫太郎海兵本部長を見据えた。
「確かに日本では運用困難ですな」
鈴木海兵本部長は、言葉を継いだ。
秋山参謀総長も鈴木海兵本部長も、欧州で戦車の威力を目の当たりにしている。
そして、秋山参謀総長は後に「日本の戦車の父」という称号を与えられた程の存在である。
2人にとって、列強に伍する戦車を日本が保有するのは、日本の国防にとって必要不可欠なことだった。
だが、その2人の目からすると、そういった戦車を日本が保有して運用するには、日本の鉄道や道路等の貧弱さは目に余るものがあった。
もちろん、実際に戦車を運用するとなると、日本の場合は港湾設備の面も問題になるのだが、2人はその点を考慮していないわけではない。
2人共、横須賀や呉、旅順と言った大規模な港を起点として、戦車の積載や揚陸をすれば十分だろうと考えている。
時代がまだ大正時代なので、戦車を用いた敵前上陸や小規模な港での戦車の揚陸等を2人は考慮していないのだ。
2人が考慮しているのは、基本的に満州を主舞台とした大規模な対ソ戦、いわば第二次日露戦争ならぬ日ソ戦争であり、それに戦車を投入することを考えている。
2人共、日露戦争に従軍した経験があるので、そういった前提に基づく戦車の運用を自然なものとしてお互いに受け入れていた。
「日本では現状の狭軌鉄道ではダメだ、満州や韓国と同様に鉄道の軌間を標準軌にしようという動きがずっとありましたな」
秋山参謀総長は言った。
「寺内内閣時代にも、後藤新平公らが鉄道を改軌しようと運動されたと聞いております」
鈴木海兵本部長は答えた。
「この動きを後押ししようと、私個人は考えていて、周囲にも打診しているところです」
「確かに、日本の鉄道を狭軌から標準軌にするのは一考に値しますな」
秋山参謀総長と鈴木海兵本部長は更に腹を割って話し合った。
何故に、日本と違い、満州や韓国では標準軌を採用しているのか?
それは、日露戦争後の日米の南満州鉄道共同経営に伴い、米国資本が満州や韓国の鉄道敷設に強力に関与したからだった。
また、英国が中国本土に敷設した鉄道が標準軌を採用したのも一因だった。
辛亥革命勃発とその後の中国の混乱により、中国の鉄道を標準軌で何れは統一するという英米の野望はとん挫しているが、そういった経緯から満州や韓国では鉄道が標準軌で建設されていたのである。
「しかし、陸軍は狭軌論者が強いと考えておりましたが、方針が変わりましたかな」
鈴木海兵本部長は疑念を呈した。
「以前はそうでした。大沢界雄中将の主張もありましたし」
秋山参謀総長は肯定した。
大沢中将は、輜重に関する陸軍のエキスパートだった。
日露戦争時には、大本営運輸通信長官を大沢中将は務めている。
大沢中将が、日本の鉄道が狭軌のままでも輸送量の増大には対応できると主張したこともあり、陸軍内では狭軌論者が強かったのである。
大沢中将は1914年に予備役に編入されているが、未だにその主張は陸軍内にくすぶっている。
「しかし、戦車が登場した今となっては、改軌は必要不可欠です。それに合わせて鉄道を強化して、戦車の運用に支障の無いようにしないといけません。原敬首相は、改軌に反対の意向を示しているようですが、政党内閣の党略で国を危うくするようなことは許されない。国防のために改軌をすべきだ」
秋山参謀総長は主張し、鈴木海兵本部長も肯いた。
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