エピローグー3
相前後して、濱口雄幸内閣は閣議を開いていた。
濱口内閣は、基本的に立憲民政党との党員によって構成されているが、2人だけ異色の人材がいた。
1人は幣原喜重郎外相であり、1人は井上準之助蔵相だった。
共に喫緊の課題である日中関係改善と日本経済立て直しの為に、濱口首相が三顧の礼をもって外部から迎えた人材である。
幣原外相は、基本的な対外関係では対英米協調、対中関係ではハト派と見られており、南京事件から山東出兵へと続いた日本の対中強硬姿勢をあらためることを濱口内閣が内外に宣明するために就任していた。
実際、幣原外相就任を、中国新政府も歓迎しており、南京事件、山東出兵によって発生した日中の停戦状態が、幣原外相の手腕によって改善されるのでは、という期待が日本の国内外で起こっていた。
実際、幣原外相は、腹心の佐分利貞男駐中公使と協力して、中国の関税自主権を認めること等により、ある程度の対中関係改善に成功することになる。
だが、今日の閣議の主な問題は、日中関係改善よりも日本経済立て直しに置かれていた。
日本は第一次世界大戦後の戦後の反動不況が終わろうとする頃に、関東大震災という天災に遭い、欧米と違い、反動不況からの回復が充分に進まないまま、震災不況、昭和金融恐慌と不況の波に洗われていた。
これに対して、主に立憲政友会を与党としていた歴代内閣は、積極的な財政出動で不況からの脱却を図ってきた。
国鉄の標準軌への改軌や、地方への道路網整備、関東大震災後の帝都大復興計画は、そういった積極的な財政出動の一環だった。
(ちなみに、日本のこのような財政出動をケインズが研究したことが、ケインズ経済学成立の一因として主張されている。)
だが、これには当然、副作用がある。
日本の財政は、長年の軍事費過重支出も相まって、ガタガタになっていたのである。
このため、世界の五大国の中で、日本だけ世界大戦後に未だに金解禁が出来ておらず、大国の一角を占める日本の面子にかけて、金解禁は国民の多くの悲願となっていた。
濱口内閣は、日本の財政を緊縮財政によって立て直すとともに、金解禁実施を唱えていた。
そして、その実施役として、以前、日本銀行総裁を務めた経歴を持つ井上準之助を蔵相として濱口首相は迎えていた。
濱口首相は、井上蔵相に問いかけていた。
「日本の財界の金解禁に対する対応はどうか」
「昭和金融恐慌以前は、三井を中心に旧平価に基づく金解禁の主張が強かったのですが、三井が昭和金融恐慌で大打撃を受けたこともあり、新平価に基づく金解禁を三菱や鈴木を旗頭に財界は基本的に要望しています。鈴木に至っては、ここで旧平価で金解禁をされては、再建途中の鈴木が完全に崩壊すると周囲に訴える有様です」
「うむ。困ったな」
井上蔵相の答えに、濱口首相は困惑した。
財界も以前は、金解禁を単に歓迎する雰囲気ばかりだった。
金解禁により大幅なデフレが引き起こされるだろう、更に緊縮財政が実施されるだろう。
だが、これによって問題のある企業は速やかに倒産整理され、日本の企業は経営合理化を徹底せざるを得なくなり、日本の経済の国際競争力は高まり、強い日本経済に生まれ変われるだろう、そういうバラ色の未来が予測されていた。
だが、昭和金融恐慌で大打撃を受けた財界は、日本の金解禁は止むを得ないが、やるのなら平価を切り下げた新平価でと訴えるようになっていた。
このまま旧平価で金解禁をしては、熱を出して弱っている患者に冷水をぶっかけるようなもので、日本の経済は崩壊する、と鈴木の高畑誠一に至っては論陣を張る有様だった。
「新平価となると立憲政友会との協力が不可欠だが」
濱口首相は、頭を痛めた。
余り知られていないかもしれませんが、史実でも旧平価で行うか、新平価で行うか、で金解禁(金の輸出許可制を廃止して、金本位制を採ること)の実施は、大論争になっています。
ちなみに、新平価で行った方が、円安で金本位制を行うことになり、それによるデフレ不況を避けられますが、史実の日本では、デフレによる産業改革が必須であり、旧平価で金解禁を行うべし、という意見が、三井財閥を主導とする財界では横溢し、政界でも引きずられていたみたいです。
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