第11章ー9
林忠崇侯爵の懸念は、皮肉にも悪い方向に徐々に当たっていってしまった。
田中義一内閣は、これまでの山東出兵の失敗に加え、「張作霖爆殺事件」の真相解明がなされなかったことから、国民の人気が急落していった。
更に、今上天皇陛下の不興も買うという最悪の結果をもたらしたのだ。
そうしたことにある意味、かかわりなく戦わねばならなかったのが、山東半島に展開する日本海兵隊を筆頭とする日米の諸部隊だった。
日米の諸部隊が居留民を保護しながら、済南市から青島市に撤退した後、中国新政府軍は表向き、それ以上は日米の諸部隊に攻撃を仕掛けてこなかった。
だが、現地の日米諸部隊は、表向きは現地住民の自発的な反帝国主義の想いからくる武装抵抗運動の翳に便衣兵を駆使した中国新政府がいるということを確信していた。
機関銃や迫撃砲まで装備した現地の一般の住民が、野砲を遣った支援砲撃を行いながら、日米海兵隊に攻撃を掛けて来れる等、有りえるわけが無かった。
どう好意的に考えてみても、中国新政府から武器が渡され、訓練を受けた兵士が、日米の諸部隊に攻撃を掛けてきている。
だが、中国新政府は、それを全面的に否定し、日米は中国の一般人民の虐殺行為を多発させていると国際的世論に訴えた。
実際、日米の諸部隊が戦った後に遺された中国人の遺体で軍服を着た遺体は一体も無く、一般人のものばかりだった(これは当然のことで、便衣兵が軍服を着て戦う訳が無かった。)。
写真報道を見る限り、日米の諸部隊は、一般人の虐殺行為を行っている。
日米両政府は、この現状に困惑した。
「敵いませんな。中国新政府は。これでは、どう見ても我々が悪者だ」
1928年も年末が近づこうとする頃、臨時に編制された連合鎮守府海兵隊司令部の作戦参謀として、青島にいたある海兵隊中佐の1人は公然とぼやいていた。
上官を上官とも思わない不遜な態度は、ある意味、時として枠から外れた態度を容認してきた海兵隊だからこそ許されるものだった。
その態度を見咎めた佐世保海兵隊鎮守府長官の米内光政提督は、それとなく注意した。
「さすが、庄内藩士の子孫だな。徳川家重臣、酒井家家臣の末裔を鼻にかけ、態度が横柄極まりない」
「これは失礼しました。ですが、事実ですよ」
その海兵隊中佐は、反論した。
「全くだな」
米内提督も同意せざるを得なかった。
米内提督は更に想いを巡らせた。
満蒙地域を事実上治めている奉天派の新首領、張学良の態度がどうにも怪しくなる一方だ。
年内にも張学良は中国新政府に味方するのではないか。
もし、そうなったら。
米内提督の想いに気づいているのか、気づいていないのか、海兵隊中佐の半ば独り言は続いた。
「世界で永久に戦争は終わらない気が最近するのですよ。ここの住民の間では、中華民族主義がはびこる一方で、満蒙やチベット、ウイグルではそこにいる民族主義がはびこっている。世界に目を広げれば、民族主義に基づく民族対立は広まる一方だ。更には宗教対立まである。欧米で反ユダヤ主義は2000年に渡って主張されてきていますし、キリスト教とイスラム教も伝統的に対立が続いている。そして、キリスト教徒内部、イスラム教徒内部にも宗派による対立がある」
「全くだな」
米内提督は、合いの手を入れた。
「目の前の事が終わって帰国出来たら、世界永久戦論でも執筆しようかと考えているところです」
海兵隊中佐は、言葉をそこで切った。
「執筆して完成したら、一読させてもらおうか。石原莞爾中佐」
米内提督は、その海兵隊中佐の名を呼んだ。
「ありがとうございます。忌憚なく批評してください」
石原中佐は、腹の中を吐き出すことで落ち着き、米内提督に対してそう答えた。
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