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第10章ー13

 そんな日本海兵隊の会議の思惑を考えるどころではなかったのが、同じ頃の蒋介石だった。

「武漢政府からは、諸君の奮闘に期待する、諸君の名誉ある奮闘は、中華統一の礎となる、諸君の名誉ある戦死は永久に後世の鑑とならん、という激励の電文が届いています」

「それはありがたいが、兵や物資はどうなっている」

「武漢防衛のために、少しでも多くの兵を上海や南京から武漢へ向かわせるようにという指示が届いています。言うまでもなく、物資はほとんど武漢からは届いていません。武漢防衛に必要不可欠とのことです」

「ここまであからさまにやられると清々しいな」

 蒋介石は部下とそんな会話をしていた。


 武漢は言うまでもなく、南京よりも遥かに奥地にある。

 そんなところで現段階において、日英米の攻勢を迎撃するための兵や物資が大量に必要な訳が無かった。

 要するに、蒋介石とその指揮下にある国民党軍の精鋭は邪魔な存在なので死ね、というのが武漢にある中国国民党左派と共産党連合政権の本音なのだ。

 かといって、あからさまに見捨てては、かえって中国の国民世論の反感を招く。

 だから、武漢政府は我々に大量に激励の電文を送っているのだ。

 我々は懸命に応援しようとしたが、前線が勝手に崩壊したと中国の国民に思わせるために。


「我々の支持者から、物資はかき集めているが、とても必要な量には足りないな」

 蒋介石はこぼした。

「全くです。更に言うと、日本の航空隊は後方の補給線に対する攻撃を開始しました。ますます物資は欠乏しそうです」

 幕僚の一人は進言した。

「兵はどのような状況だ」

 蒋介石の問いかけに、別の幕僚は答えた。

「まあまあといった士気を何とか維持しています。ここで敵前逃亡と言う愚挙をしては、我々からも武漢政府からも追われると考えているのでしょう。逃げ場がないという恐怖が士気を保たせています」

「最悪な兵の士気維持方法だな」

 蒋介石は乾いた笑いをした後、言葉を継いだ。

「さて、今後どうすべきかな」


「一両日中に、日本海兵隊は攻勢に転じるでしょう。我々は三重の防衛陣地を築いており、それなりに抗戦が可能ですが、制空権も制水権も無く、物資も欠乏気味では」

 幕僚の別の一人はそれ以上の言葉を濁した。

「我々は、まず敗れるだろうな」

 蒋介石は、その幕僚がそれ以上は言えなかったことを口に出した。

 全ての幕僚が黙って下を向いて、同意の素振りを示した。


「よろしい。我々は、中国国民党軍の誇りに掛けて、できる限り抗戦する。だが、無駄死にすることはない。勝算が無いと私が判断した時点で、兵を生き延びさせる算段をしよう」

 蒋介石は、そう言った。

 全ての幕僚が上を向いた。

「それ以上は、今は言うべきではない。だが、非常の手段があると言っておこう」

 蒋介石はにこやかに言った。


 蒋介石は、そっとズボンのポケットに入っている密書があることを確認した。

 その密書は、上海の青幇が極秘裏に自分に届けてくれたものだった。


「蒋介石が国民党軍と共に投降するというのなら、決して悪いようには処遇しない。少なくとも一命は保証するし、部下も同様に処遇されることを保証しよう」

 田中義一首相からの親書が、その密書の正体だった。

 蒋介石自身と親交のある犬養毅の添状もそれには付いていた。


 偽造の可能性がないとはいえないが、蒋介石はこの密書に賭けてみるつもりだった。

 犬養と自分しか知らない筈の秘事が、その添状には書かれていたからだ。


「中国国民党軍の意地を戦って果たした上で、日本の海兵隊に投降しよう。それが自分や部下が生き延びる最善の道だ。海兵隊はサムライとして、我々をきちんと礼をもって処遇してくれるだろう」

 蒋介石は1人、内心でそう呟いていた。 

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