第10章ー11
5月10日を過ぎる頃、日英米を主力とする連合軍は、上海を出撃し、南京へと進撃する準備を整えつつあった。
空母が1隻しかなく、空母からの航空隊支援が不足している以上、地上からの航空隊支援は必要不可欠であると、世界大戦の経験から日本以下、上海に集結した各国の海兵隊は喚き立てたが、3月末の対中戦争勃発から2月も経たない短期間で、航空隊が欧米から駆け付けられる訳がなく、結局、日本が予備の操縦士まで動員して賄う羽目になった。
そのため、日本で航空郵便の取り扱い等が全面中止されるという影響が生じた。
また、鈴木商店以下、日本の商社には各国軍から様々な補給物資の注文が殺到して、そのお蔭で鈴木商店の倒産の危機は、結果的にだが完全にも免れることにもなった。
(後に、この時に鈴木商店の総帥に就任したばかりだった高畑誠一は、真に不謹慎極まりない事ながら、鈴木商店には天佑神助があったとまで、その時は思ったと回顧録で述べている。)
5月10日、予備機として共食い整備で上等ということで保管されていた世界大戦の遺物、スパッド13やDH4までかき集められ、臨時航空隊を編制して上海に送られてきた日本空軍航空隊は、予備機を含めるならば120機余りに膨れ上がり、2つの飛行場に分散展開していた。
120機ともなると、1か所で管理するには手狭だとして、上海市の郊外に臨時滑走路等を急造した野戦飛行場まで突貫作業で造られたのである。
(ちなみに、この野戦飛行場を造るのには人海戦術が用いられ、多くの上海市民が事実上動員されたが、青幇等の暗黒組織がそれに協力して、市民に支払われた賃金を事実上ピンハネしたともいう。)
そして、山本五十六大佐が、この臨時連合航空隊の司令長官を務め、以前からある上海飛行場で日本空軍航空隊の総指揮を執ることになった。
「塚原、この状況をどう考える」
塚原二四三中佐が、臨時連合航空隊の次席司令官を務め、野戦飛行場に詰めていた。
同日夕刻、塚原中佐に、山本大佐は無遠慮にこれまでの航空偵察の結果のまとめを電話で尋ねていた。
「蒋介石は防御に徹していますな。上海から南京に進撃するのは手間取りそうです」
塚原中佐は、航空偵察の結果をそのように要約した。
「自分も同意見だ。航空隊としてはどうすべきかな」
山本大佐の問いかけに、塚原中佐は答えた。
「まず蒋介石率いる国民党軍の補給線を攻撃しましょう。補給が届かないことで国民党軍を動揺させ、そこに陸と空から襲い掛かるべきです」
「基本に忠実だな」
山本大佐の笑い声が電話越しに、塚原中佐の耳に聞こえた。
「だが、こういう場合、正攻法が一番勝率が高い。その意見を土方提督らに具申しよう」
山本大佐の意見具申を受けて、土方大将率いる日本海兵隊も軍議を開いた。
「見事なものだな。1月余りのうちに無錫周辺に野戦陣地を築きおった」
永野修身第1海兵師団長が感嘆の声を上げて、国民党軍を称賛した。
「だが、小敵の堅なるは、大敵の擒なりともいうな」
米内光政第3海兵師団長は、その言葉を聞いて笑みを浮かべながら言った。
5月10日現在、日本海兵隊は、呉鎮守府海兵隊を改編してできる第2海兵師団が、それ以前の南京市街戦等で損害を受けていたことから補充中のために、3個師団しか基本的に最前線に投入できなかった。
だが、上海から南京に掛けて展開する国民党軍は降伏してきた兵も含めるならば、30万人を超えるとはいえ、蒋介石が信頼して最前線に投入できる兵となると、北伐開始からの損耗により10万人に満たず、制空権も、揚子江の制水権も日英米等の連合軍が完全に確保しているという現状があった。
勝てるな、そう日本海兵隊は考えた。
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