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旧人類の夢

作者: 楠乃




 月面旅行や太陽系一周の旅が日常生活に浸透してきた今、昔の人々は今の私達の生活を見て一体どう思うのだろうか。

 友人を喫茶店で待つ間に、店のマスターにオススメされた活版印刷の本を手に読んで思った事は、数百年前の人類の想像力は凄いものだな、という事だった。まぁ、それらがあったからこそ、私達の居る時代まで技術が発展してきたのだし、夢のまた夢だと思われていた事が現実になっているのだと思う。

 それにしても印刷した文字そのものを見るのはいつ以来だろうか。そう言うと紙そのものを触るのも久々な気がする。文字ならウィンドウで見るけど印刷文字なんて久しく見てない。

 この喫茶店だって古いものを残している事で有名だけど、メニュー表なんて空中をタップすれば出る。紙なんて何処にもない。

 まぁ、普通ならどこだってそんなものか。


 ゲームの世界に入ってしまい生き残る為に足掻く少年の姿を描く活版本を読み終え、少し疲れた両目を揉みながらコーヒーを一口啜る。

 この本が書かれた二十一世紀では、夢の絵空事と思われていた仮想空間上でのセカンドライフ自体は、現代においてそう珍しい事ではなくなっている。

 寧ろ、VR技術は少しばかり古い技術と成りつつあるくらいだ。

 いや、古いというと語弊があるか。

 日常に浸透しすぎて、幾らか新鮮味のない技術となった、と言った方が正しいかもしれない。

 人類は肉体を動かさずに、意識体のみで電脳空間で活動するという事に、違和感を感じなくなっているから。

 

 置いた本を回収して続巻を持ってこようとするロボットのアイさんを止め、代わりにコーヒーのおかわりを注文する。

 今じゃあ本場の人がその場で煎れる事は趣味に近くなってしまった。コーヒーそのものを好む人も少なったとも聴く。

 こういった娯楽も昔は一つのステータスに近かったのだろうな、とも思うけど、今ではロボットが入れた方が美味しいのが普通だ。手軽で美味しいのは当たり前。味の差が出てはいけない。出る方がおかしい。

 マスターが自ら淹れてくれるのがこの店のウリ。と言うかそれが持ち味。その時その時のお客さんによって味を変え、また淹れてくれるマスターの気分や体調によっても変わる。千差万別のコーヒー。

 そして、それが珍しいのが、昔と今の違いなんじゃないかな。とも思う。


 ……どうにも昔の小説を読んだ所為か、感性がずれてきたような気がする。

 美海はいつになったら来るのだろう。視界の端に映る現在日時は、待ち合わせの時間から既に三十分はオーバーしてしまっている。

 仕方ないので宙空を二回タップし、データーを読み込んで電話機能を起動し、友人を呼び出す。幼少の頃からの付き合いだけど彼女の遅刻癖はいつになったら直るんだか。

 待機時間もほぼなく、どうやらこちらへと走っているらしい彼女の元へラインが繋がる。


「遅い」

『ごめんって! はぁ、今走ってるから、また、後で』

「知ってる。いつもだもんね」

『私が! 遅刻しかっ、しないみたいに、言うの、やめっ、はぁ!』

「現に遅刻してるじゃん。雨降ってるし、私迎えに行かないからね?」

『ええ!? ちょ、あの喫茶店、場所、分かりにくっ』

「大学生なんだし、データー使わずとも道覚えなよー」


 そう言い切って、ラインを切る。

 さっきの話の続きではないけど、こうして夢の技術がいくら現実になろうとも、なぜ機械音痴はいつの時代にも居るのだろうか。

 溜め息を吐いた所で、マスター自らコーヒーを届けてくれた。


「待ち合わせはまだまだ続きそうですかな?」

「いつもの事ですけどね」


 そう言ってコーヒーを飲む。前の一杯よりも香りがいくらか薄いような気がする。

 そこまで判断出来るのは、私たちが同じ料理人の同じ料理なら香りも味も見た目も変わらない生活を続けているからか。

 それとも生身よりも性能の良い人工の物を持っているからか。


 私は生まれつき、鼻がなかったそうだ。

 障害か何か、正直な所、私は自分の事を、きちんとした詳細を知らない。

 生まれた時から私は自分の顔がおかしいと感じた事もなかったし、誰かの顔と自分の顔は違うと感じた事もなかった。

 そこまで何も感じなかったのは、生まれた時に両親が大金を払って手術をしたから。

 その話を聞いたのが、私の嗅覚が異常に良いと気付いた、中学の頃。

 聞けば数百年前から、具体的に言えば人類の増加が止まった頃合から、こういったどこか欠落した人が普遍的になってきた。

 美海は生まれた時に、両足がなかった、らしい。

 彼女も足がない時の事を覚えてない為、そこまで詳しい事を話した事はない。けれども私の時の事を考えるに、彼女が小学生の時から健脚振りを発揮しているのは、間違いなくソレだからかな、とは思う。


 私の祖父祖母は、まだその欠落に対して負い目がある世代だった。

 欠落した子を産むのは、親として非常に情けなく苦しいらしく、両親よりも非常に可愛がってくれる。珍しく欠落がなかった妹よりも、可愛がられている自覚がある。

 両親の世代から欠落者が多くなっていったらしく、私達の世代になると寧ろ欠落していない者の方が珍しい。

 そんな私たちは、普通過ぎて話さない。両親から上の人たちは、異常過ぎて話せない。

 こうして考えてみると、技術の発展速度は衰えてきた。と言われてもあまり実感がない。

 祖父祖母と子供たちで、ここまで認識の差があるのだから。まだまだこの技術発展のスピードは維持できているように思う。


 例えば、目の前でニコニコしているマスターも、時代を感じている人なのだろう。彼も見た目だけなら、私たち人類とほとんど変わらない。

 それは、私の後ろでテーブル客に対して接客をしているロボットもそうだろう。まあ、ロボットはデーターを介した目で見ればロボットだってすぐに分かるけど、ぱっと見ただけでは人間のようにしか見えない。

 顔をマスターに戻してみれば、スッと視線が合う。


「時代の流れ、感じてみましたかな?」

「……マスターは何歳でしたっけ?」

「あと二ヶ月で二百八十六歳ですな。もう生身の部分はない、ただの人間でございます」


 おちゃらけて笑う、初老の紳士にしか見えないマスターは現代の若者である私でも驚く程長生きをしている。雲孫とかそういう話やレベルではないぐらいに長命だ。

 なんでも、喫茶店を営むその姿の何処にも衰えを感じさせないのは、全身の筋肉を人工の物に変えているからだとか。

 なんでも、世界中でも珍しくまだ生を諦めてない生身の脳で、こうして喫茶店を営んでいるのも実験の一つだとか。

 なんでも、週に一度は半日の検査を受け続けないといけない為に、この喫茶店は飲食店にしては休みが二日もあるのだとか。

 様々な噂が絶えない、謎の人物として少し有名なマスターは、いつも謎を訊かれても朗らかに笑い流している。これが年齢の差か、と苦笑いして取材に来る人は去っていくらしい。


「……それだけ生きているなら、さっき貸してくれた小説も、発売当時に読んだんですか?」

「当時は凄いブームになりましてね。VR技術や仮想空間に夢中になった若者が大勢表れたのです。小説から技術の発展が繋がったのですよ」

「へぇ……マスターもその口?」

「ふふふ、そこは秘密でございます」

「相も変わらず謎は解かさせない、と」


 頬杖を突いて少しばかりマスターを睨んでみても、当の本人は笑って流してしまう。

 気長だからこんなにも長生きできるのかしら。いやそれ以上の理由があるか。


 会話と思考が止まり、視線がデーター上の時計に合う。

 さっきの電話を掛けてから十分。美海はまだ来ない。


 ふいと喫茶店の外へ視線を向けてみれば、窓の向こうの街並みは雨で少しばかり寒そうに見える。

 世界が全天候型になり、雨は雨が必要な人にしか当たらなくなった。雨の日は出歩く人が少ないのは変わらない。でも傘を差す人はいる。常時片腕を縛られる必要がなくなった為、差さない人が主流ではあるけど。

 今も昔も、雨を感じたい人が居るのは創作の世界でも現実の世界でも一緒のようだ。

 何処かの絵本のように、傘を差さないから処刑された。そんな事がありえなくなったのは、多分良い事なんだと思う。




「……私達の時代では、宇宙旅行ですら夢の一つでした。仮想空間は画面を通して感じるもの、ゲームは手の中にあるもの、海外も時間を掛けて旅をするものでした」

「今じゃあ何処でも簡単に移動できますから」

「簡単ならば、待ち人はすぐに来るでしょうに」

「……そう言う意味の簡単じゃあないです」


 クックックッ、と笑うマスターは少し不気味だ。不気味でこちらをからかっているのが分かるから、少しばかりむくれてしまう。

 そして、美海が機械音痴でなければ……と考えてみても、彼女は待ち合わせに遅刻するような気がする。彼女はそういう人だ。天然とも言える。


 体感ゲームが主流になり、海外へは数分で訪れる事が出来て、仮想空間に自宅を持つ者が増えた。人類は少しずつ生活の幅や域を増やしていった。物理的にも、システム的にも、精神的にも。

 マスターの生きた時代からは、恐らく想像しかされなかった世界が、今の現代なんだろう。

 現代を生きている私には、さっき貸してもらった本の世界を、今と少し違う世界としか認識出来ない。

 けれど、あの本が発売された当時は様々な未来を思い描いている人たちが居て、その人たちが居たからこそ、今の私達の現代が出来た。

 そう考えれば、マスターが今も大切に持っているあのシリーズの本は、歴史を動かした、と言っても過言ではないのかも知れない。


 そこまで胡乱げに考えた所で。

 『バァン』、と表の方で大きな音がなった。

 店中の視線が集まる入り口の向こうには、壁にぶつかって跳ね返されて、仰向けに倒れている美海の姿が、あった。


「……何してんの」

「………………勢い良く開けたつもりが……衝突判定に、引っ掛かった……」


 扉を開けて声を掛けてみれば、痛そうなうめき声と共に真っ赤な美海の顔が見える。良く見なくても涙目だった。

 扉を勢い良く開けるつもりが、扉を壊されてはかなわないと判断された店の衝突判定に阻害されたらしい。ぶつけた顔は真っ赤になっているし、当の本人は倒れた際にぶつけたらしい後頭部を抑えている。

 溜め息を吐きつつも、彼女の腕を引っ張って立たせて、店内に誘う。


「扉はガラスなんだから、判定はシビアに決まってるでしょ……ほら、中で少し落ち着こう?」

「うう、だって中に淀ちゃん居たから……遅れてごめんって、言わなくちゃって……」

「……はぁ」


 だから天然と言われるんだ。注目されてる店内で、それを堂々と言い切るかね普通。


 隠れるように周りを見てみれば、誰もがほっと安心したかのような、それでいて微笑ましい物を見るような柔らかい顔をしている。

 ああ、恥ずかしい。これだから美海は美海なんだ。


「おやおや、大丈夫ですか?」

「痛いです……」

「それはそれは。君、冷たいおしぼりを」


 マスターに呼ばれたロボットが、冷えたおしぼりを二つ持ってきてくれた。一つは美海に、もう一つは何故か私に。

 ロボットはいつものように優しく笑っているつもりなんだろうけど、私から見ればいつもよりもかなし優しく微笑んでいるような気がする。顔が熱い。

 さっき読んだ本には、人工知能についても書かれていたけど、現代のロボットの方が遥かに高性能なのは間違いないだろう。変な所で気を使われて、困る。


 それでも……一応は心配しないといけないだろう。

 髪を濡らしたくないのか、片手で冷たいおしぼりを顔に当てつつ、片手で後頭部を抑えている美海は、顔が見えないのもあってかどう見ても何かポーズを取っているようにしか見えない。少しばかり笑ってしまった。


「大丈夫?」

「うん、痛みは引いてきた……ごめんね。遅刻しちゃって」

「良いよ。いつもの事だし。まあ、遅刻しないよう努力はして欲しいけど」

「うう、ごめん……」


 痛みが引いてきたという事は、データーが調べた限りでは何もしなくても治ると判断されたという事。

 仮想空間上じゃなくても、システムに管理されて生きている私達が、あの本に何か感想でも言う事があるとしたら、多分三割ぐらいが『管理されて生かされている事に文句があるのか?』だと思う。


 ……う〜ん、どうにもさっきからあの本と関連付けて考える癖が付きかけている。

 昔を思い出させる喫茶店としては、マスターの意向通りになって彼としては面白い状態なのだとは思うけど、現代っ子の私としてはあまり良い状況ではない。粛清なんて誰だってされたくない。

 もらったおしぼりを私も広げて腕と鼻筋と首筋を拭く。冷たくて気持ち良い。


 よし、私もちょっと思考をリセットしよう。













「……落ち着いた?」

「うん、もう大丈夫!」

「じゃ宇宙港に行こうか。マスターお会計お願いします」

「はいはい、コーヒーが三杯ね。320ミラーです」

「ちゃんと美海が予定通りに来れば120ミラーで済んだのに……」

「うっ、それについては、ごめんなさい……」

「ん。それじゃごちそうさまでした」

「ありがとうございました。また、金星旅行のお話を聴かせてください」

「また今度、来た時にでも」

「アイさんもまたねー!」

「またのご来店を心よりお待ちしております」





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[一言] ずっと星に旅行してたら単調で飽きると思う
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