午後の部後編 深海と古代生物、そして観光の終わり
よ、漸く最終話です……
―14:20・深海生物展示エリア―
軟骨魚類エリアに続いて一行が訪れたのは、只でさえ暗いことの多い他の展示室よりも更に輪をかけて暗い中を赤い光に照らされた不気味な展示エリアであった。
「何なのよ、ここ……まるでお化け屋敷みたいに不気味なんだけど」
「その例えはどうかと思いますけど、確かに不気味ですね」
「コドセルさん、ここは一体何を展示してるエリアなんですか?」
「深海生物だ。一般的な定義としては水深200mを過ぎた辺りの、陽光届かぬ闇の世界に住まうものどもを展示している」
「成る程な。だが何故水槽を照らすライトが赤色なんだ?」
「珊瑚礁水槽の時に話したと思うが、海中に於いて赤色は光の屈折率から黒として扱われる。故に本来光に照らされるとストレスで弱ってしまう深海生物も、赤い光ならば幾ら浴びせようと暗闇として認識するため安定した長期飼育が可能なのだそうだ」
「そういう事だったのか……しかし何だな、只でさえ水の中ってのは変な生き物がゴロゴロいるんだと思い知らされたが、深海はそれに輪をかけて変なのが多いな」
「面白かろう?サメやエイなどは案外普通の姿をしているものが多いのだが、それでも中々面白い生態の持ち主揃いでな……例えばこの標本になっているギンザメなどは、サメの名を持ち軟骨魚にこそ属せどサメとはまた別物で姿も大きく異なるという代物だ」
「確かに、この姿じゃサメとは思えないな……」
「然し軟骨魚ではあるのだよな。それ故に学名は西洋の伝承に伝わる複数の獣の形質を持つ怪物キマイラに因み、種名に至っては幽霊だとか幻影などという意味だという」
「何とも的確な名前だな」
「俺も同感だ」
その後も一同はコドセルの解説を交えながら、不気味で恐ろしげながらもそれ故に魅力的な深海生物達の姿を目の当たりにしていく。
「うぉ、何だ?クラゲかと思ったら目があるぞ」
「それはクラゲではない。メンダコという小型の蛸だ。吸盤も墨袋も持たず、頭のヒレをせわしなく動かして泳ぎ回る愛嬌のある奴さ」
「あれ何?カニにしては幅が狭いし腕も細いし、エビにしては胴体が短いような気がするんだけど」
「コシオリエビだな。腹を内側に尾を畳んでいる事から腰を"曲げる"ことを通り越して"折っている"ように見える事に因んだ名前だ。また、エビと名はつくがあれでいて実はヤドカリに近いという」
「何だあれ、足の生えたウニ……いや、カニ?」
「ほう、イガグリガニか。防御用の棘が発達した甲殻類だな。先ほどのコシオリエビや、食用として知られるタラバガニ同様、これもカニの名を持つヤドカリの近縁種だ」
「へぇ、そうなんですか。確かによく見てみると足が八本しかありませんね」
「一本は鰓の掃除に使う為、体の外側には出ないからな」
「それにしたって、エビやカニと思わせて実はヤドカリでしたっていうパターン多いですね甲殻類。そういうの流行ってるんですか?」
「流行っているというよりは、原始的なヤドカリの一部が殻に頼らずとも生きていけるようコンパクトになったものがカニだという説もあるので、それと関わりがあるのだろう」
「何だこいつ……馬鹿でかいダンゴムシのような……」
「ダイオウグソクムシだな。ウオノエという、魚の鰓や喉へ寄生し血を啜る矮小な甲殻類に近縁なのだが見ての通りの巨体を誇り、海底を這い回っては屍肉を貪る腐肉食動物だ」
「死体が主食なのか。とてもそうは思えない凶相だが」
「必ずしも外見のイメージと内面の本質が一致するわけではないのはどこも同じなのだろう」
「コドセルさん、あの白くてプヨプヨした可愛い動物は何ですか?」
「あぁ、あれか。あれは深海に生息するナマコの一種だ」
「な、ナマコ!?ナマコって、ピンチになると自分の内臓を吐き出すあのナマコですか?」
「そうだ。ウニやヒトデと同じ門に属し、海の鼠と書くあのナマコだ。正式にはセンジュナマコと言ってな。あぁ、あとあの辺りに浮いている透き通った生き物、あれもナマコだ」
「え!?あのガラス細工みたいなのもナマコなんですか!?」
「如何にも。あちらはユメナマコと言う遊泳性のナマコでな。食物はほかのナマコ同様海底の泥に含まれる有機物だ」
奇妙奇天烈な深海生物達を見て回った一同は、いよいよ最後の展示エリアへ向かう。
―15:00・古代生物展示エリア―
一同が最後にたどり着いたのは、生きた展示物が一つも存在しない――即ち、それら全てが化石と模型である――という展示室であった。
「さあ、着いたぞ。ここが最後の展示エリアだ。取り扱っているのは古代の海に生息していた様々な海洋生物だ」
「何か、水族館っていうより博物館みたいね」
「確かにそうだが、何も生体展示だけが水族館でないことは先ほどの深海生物展示やその前の軟骨魚類展示を見れば言うまでも無かろうて。これもまた立派な水族館の展示物だ」
「そう言われると何か納得だわ」
「何だか不思議な形の生き物ばっかりですねー」
「紀元前5億数千年前の古生代カンブリア紀だからな。それまで他の生物を襲う事も身を守ることも全くと言っていいほど知らなかった当時の生物達に劇的な変化が起こり、爆発的に様々な種が登場した時代と言われているからな」
「カンブリア大爆発、でしたっけ」
「その通りだ。よく知っているなワラ殿。カンブリア大爆発はそれまでの温和だった生態系の有様を一変させ、微小なプランクトンを捕食するクラゲやイソギンチャク、動けない相手を啄むヤムシ程度しか明確な捕食動物の存在しなかった当時の地球に於いて喰う喰われるの関係を明確化させた。更により特筆すべき点として、今現在の地球上に存在する動物の祖先がこの時代で一通り揃ったということも忘れてはならん」
「つまり、こん中に今の俺らの祖先が居んのかよ?」
「そうだとも。我々人類を含む脊椎動物の祖先はこのピカイアだと言われている。脊索動物という、脊椎動物の前身にあたるグループに属しているようだ」
「へぇ、こんな木の葉を引き延ばしたような奴がねぇ……」
「然し最近では、東の方でピカイアと同年代に生息していたという――即ち『地球史上最古の魚類』と言えるであろう――脊椎動物の化石も発見されている。まだ正式な学名はついていないため『エンシェント・フィッシュ』などという仮名で呼ばれているが、何れ正式な学名がついた暁には図鑑にも正式に掲載されることになるだろうとは言われているな」
「そうか……地味ながら夢のある話だな」
その後、一同はコドセルの解説つきで展示されている模型と化石を見て回った。
カンブリア紀に続くオルドビス紀の地層では、人間などより遥かに巨大化し当時の海を我が物顔で泳ぎ回っていた殻のある頭足類・チョッカクガイの迫力に驚愕し、続くシルル紀やデボン紀には当時水園を支配していた板皮類(通称・甲冑魚)の風変わりな外見に感嘆、恐ろしげなウミサソリ類の復元模型に気押されもした。
そして石炭紀、ぺルム紀と古生代を過ぎ、陸で恐竜が登場し栄えていく中生代の区画へと差し掛かる。
「中生代というと一般的にはやはり恐竜ばかりが取り沙汰されがちだが、だからと言って恐竜以外に面白みや迫力のない動物がいなかったかと言うと、断じてそのようなことはない。寧ろ中生代に於ける真の脅威とは、恐竜が支配的であった陸上よりも、恐竜が進出し損ねた海洋にこそあると信じている。その確かな証拠たり得る生物は数多く存在するが、その中でも俺の一押しが……こいつらだ」
誇らしげに言うコドセルの背後に展示されていたのは、互いを食い殺さんと荒々しく大口を開いたように展示された巨獣の骨格標本二つであった。
「こいつらはそれぞれ右がリオプレウロドン、左がハイノサウルスという。リオプレウロドンは中生代ジュラ紀に、ハイノサウルスはそれより後の白亜紀に生息していた捕食性の大型海棲爬虫類で、どちらも当時の海に於いては事実上無敵に等しい存在と言っても過言ではない程の強者であったという」
二頭の異なる巨獣――リオプレウロドンとハイノサウルス――の骨格標本は、それぞれどちらも物言わぬ抜け殻同然の存在であるにも関わらず、その迫力によって一同の本能的な恐怖心を煽り立て、黙りこませるに至った。機嫌を損ねてしてしまったのではと勘違いしたコドセルは、何とか仲間達の(損ねてもいない)機嫌を取ろうと一同をある場所へと案内する。
「先程はすまなかったな……皆には少しばかり刺激が強過ぎただろうか」
「いや、別にそういう事ではないんだが……」
「そうか?なら良かったのだが……詫びといっては何だが、この水族館でもトップシークレットの代物をお見せしよう」
「と、トップシークレット!?」
「おいおい、そんなもん簡単に見せていいのかよ?」
「というかお前、一観光客の一存でそんな事していいのか?」
「案ずることはない。館長はじめ、関係者には事前に許可を取ってある」
「ならいいんだけどさ……」
「さぁ、こっちだ。今回限りで時間制限付き、見終えたらば鍵も破棄せねばならず撮影・口外も厳禁だが、それだけの価値があることを信じよう……」
―案内された先―
コドセルに案内されるまま幾つもの扉を潜り抜けた一同は、水族館地価深奥部に存在する倉庫へと辿り着く。積み上げられた箱や棚の所為で入り組んだ中を慎重に進んでいくこと十数分、一同は縦1.7m、横2m程の薄平たい木箱の前へと立っていた。
「これが、トップシークレットの代物……」
「何か、その割には案外無防備に置かれてんだな……」
「普段はこれでもかと言わんばかりに厳重な警備で守られているらしいが、今回は特別にこうして頂いている。さぁ、開けるぞ……」
一同が息を呑む中、コドセルはゆっくりと木箱の蓋を開けていく。そして箱が開かれた時、その中身見た一同は思わず言葉を失った。
「これこそ、この水族館が極秘裏に入手・保管するも、その余りの希少性から未だ展示を躊躇っているという代物だ……どうだ、美しかろう?」
コドセルの言葉に、一同は無言で頷いた。
「(ふむ、皆驚いて声も出んか……これは一応、成功であると見做していいのだろうか?)」
一同の眼前に姿を現した"それ"とは即ち、比較的小ぶりな海棲爬虫類のほぼ完全な全身骨格化石であった。小ぶりと言っても全長2mはあろうその化石の主の名はペロネウステス。中生代ジュラ紀の海に生息していたとされる首長竜の一種である。
だがこの化石には、そんな事など些細に感じられてしまうような凄まじい特徴を備えていた。
というのもこの化石、全体が光沢のある濁りのない乳白色である上にその表面が虹色の輝きを放っていたのである。即ち、この化石は全体がもれなく高純度の蛋白石と化しているのである。
詳しい説明は割愛するが、化石とは『地中に埋まった有機物の全体が石に置き換わったもの』である為、時折宝石類と化した化石も存在するのである。
かくして『蛋白石化した首長竜の骨格化石』という、世にも珍しく大変に貴重な代物を目の当たりにし、その言葉にし難き美しさに心奪われた一同は、水族館側の設けた制限時間のギリギリまでその美しさにただひたすら見とれ、やがてコドセルの指示で隠し通路から元の古代生物展示コーナーへと戻り、引き続き展示を見て回った。
―それ以降―
全ての展示を見て回った一同は観光の締め括りにと館内の末尾にある売店へ向かい、各々の思うままに記念品や知り合いへの土産を購入。水族館の門前に聳えるハクジラのブロンズ像を背景に記念撮影を行い、カエデ荘へ戻るのであった。
―某日・コドセルの日記より抜粋―
かくして今日という日は無事に終わり、俺はこうして日記をつけている。先ほど感想を聞いたが、皆総じて喜んでくれたようで『楽しかった』『また行きたい』『今度は自分が皆を何処かへ招待しようか』等の言葉が聞こえたことは純粋に嬉しく思う。
故に俺は切実に祈り続けたい。願わくば、この喜びに充ち溢れた平和な日々が永久に続くようにと。
有り難うございました。