午前の部その1 受付及び海中トンネル~海獣エリアまで
暴力描写やメタ発言やパロディだけが蠱毒成長中だと思ったら大間違いだ!
―某日・コドセルの日記より抜粋―
普段はずぼらで日記など付けない俺だが、今日ばかりはとても思い出深い日だったので、その事を記そうかと思う。というのも今日は、日頃から世話になっている礼になればと思い今現在住まわせて貰っているカエデ荘の皆をある水族館へ招待したのだ。
さる特殊な筋で知り合った女が館長を務めるそこは海の見える広大な平地の上に建てられており、設備や展示物の充実ぶりもさることながら、希少種の繁殖実験に成功していたり、キャラの濃い名物飼育員がいることでも有名だった。
来館者を出迎える巨大なハクジラのブロンズ像に出迎えられながら受付で入館券とパンフレットを受け取った我々は、はしゃぐカンナ殿やワラ殿を先頭に奥へと向かう。
今回参加したのは、先に挙げたカンナ殿やワラ殿の他、シラギ殿、ユズ殿、シオン殿、クロ殿、そして俺の合計七名。
ハルヒサ殿とケータ殿はそれぞれ別件の為断念せざるを得ず、アクエリアス殿は『外出は控えたい。土産の一つでもくれればそれで十分』との事でそれぞれ参加しなかった。全員が揃わなかったのは残念でならないが、その分参加した面々に楽しんで貰えるよう、如何なる努力も惜しまないつもりだ。
―09:00・疑似海中トンネル―
まず一同を出迎えたのは、筒状のアクリルガラスを直線に繋げた透明なトンネルであった。見る者を疑似的な海中散歩へと誘うそれに、一同は感動の声を漏らす。
「……凄いな、これは。まるで自分が海の中を歩いているかのような……」
「本当、床面までガラスになってるから、何だか不思議な気分……」
上下左右を縦横無尽に魚達が泳ぎ回る光景を目にしたシラギとカンナは、どこか荘厳で神秘的な光景に感嘆する。
「だろう?これが50mも続いているというんだから凄いものだ。しかも、カンナ殿が言うように上下左右360度が透明になっているから、ネクトンだけでなくベントスもはっきり見えるんだ」
「50mですか……凄いですね。ガラスのつなぎ目だって殆ど目立たないし」
「客へ『海中に立っている』と思い込ませようという館長の意向で投じられた最新技術の一端だそうだぞ」
「そりゃスゲェ。ところでコドセル、ネクトンとかベントスって何だ?」
シオンの投げかけたその疑問は、コドセル以外の誰もが抱いていたものだった。
「水の中に棲んでいる動物を住んでいる場所ごとに分類したものだ。プランクトン、ネクトン、ベントスの三通りあってな。プランクトンは流れに逆らって泳ぐ力を持たず、海面やその近くを漂うもののことだ。ネクトンはそれより下の方を流れに逆らって泳ぐもののことで、ベントスは底の方でじっとしていたり、岩にはりついて生活するようなものをいう」
「へぇ、そうなんですね。オレ、プランクトンっていうとオキアミとかミジンコとか、そういう小さいののことだと思ってたんですけど」
「確かに一般的にイメージされるプランクトンはそれで間違いないが、厳密な定義に則ればクラゲ等もプランクトンに入るんだよ。まぁ、この区切りはかなり曖昧なものなんだが」
「確かに、タコとか岩に張り付いてばっかじゃなくて普通に泳いだりするもんなー」
かくしてトンネルをくぐりぬけた一行は、順路に従いエレベーターで一気に最上階へと向かう。
―09:05・森林と渓流のエリア―
続いて一行が辿り着いたのは、極東北東部の渓流とそれを内包する森林をイメージした展示エリアであった。
「ここには主に山奥の上流部に生息する動植物が展示されているらしい」
「なるほどな。だから水槽の中に滝があるのか……」
「ねぇシラギ、見て見て。あそこに可愛い子が居るよ!」
そう言ってカンナが指さしたのは、水辺で戯れる鼬のような獣であった。
「あぁ、そうだな。カワウソか?」
「その通り。パネルにも書いてあるが、あれの名はコツメカワウソ。その名の通り指と指の間に小さな爪があるのが名前の由来だ。だが、可愛らしいからと言って油断してはならんぞ。あれでも奴らは中々獰猛な狩人故、小魚や蛙を骨ごと噛み砕き貪る牙は時にヒトの指さえ持っていくこともあるという。また、伝承では狐狸、猫、蝦蟇と並んで変化の神通力を用いる妖獣の代表格としても知られているな」
「えーっと、つまり……」
「すまない、言い回しが難解過ぎたか。つまり、人や物、或いは怪物に化ける力があると信じられていた、という事だ。現にカワウソが生息する地域では、巨人や妖怪の正体を『カワウソが化けたもの』と仮定している説も多々見られる」
カワウソの水槽を通り過ぎた一行が次に訪れたのは、渓流を泳ぐ淡水魚数種が自由に泳ぎ回る横に細長い水槽であった。
「カワウソの次は魚かぁ……美味しそうね」
「おい、仮にも水族館でそういう発言は……」
「いいじゃない。ねぇコドセル、この魚食べられるんでしょ?」
「確かに、アマゴとも呼ばれる陸封型サツキマスやタカハヤ、イワナ、カジカといったこれらの淡水魚は、釣りの対象魚として愛され、また食用としても最適とされているな。釣るのには毛針という特殊な釣り針を用いる」
「ケバリ?毛の生えた釣り針が餌になるんですか?」
「確かに名前だけ聞くと如何にも釣れなさそうに思えるかもしれんが、毛針はフライとも言ってな。その名前の意味する通り、鳥の羽毛や獣の体毛を釣り針に括りつけて渓流に生息するカゲロウ、トビケラといった羽虫やその幼虫、或いはその派生系として小魚に似せたものを作るんだ」
「要するに一種の疑似餌ですね」
「そうだ。つまり疑似餌と釣り針を一体化させたものが毛針だと思えばいい」
泳ぐ魚を一通り見終えた一向が差し掛かった水槽には、何やら斑模様の巨大な生物が佇んでいる。全長1m程もあるその生物は一見岩か流木のようにも見えたが、よく見れば頭や目らしきものがあり、その姿は鬚がなく手足の生えたナマズを思わせた。
「何だこいつ?ナマズ……じゃ、無さそうだが」
「でもパネルにはウオってあるし、魚なんじゃないの?」
「確かにウオの名はつき魚とも縁の深い動物だが、このオオサンショウウオは魚ではないな。両生類という、蛙やイモリなどが属する中での最大種で、ナマズに負けず劣らずの捕食動物だ」
「確かにこの大口で草食ってのはねぇよな……」
「口がでかいものでそのまま体が半分に裂けそうだとか、その身を半分に裂かれても何不自由なく生き延びそうな力強さを思い起こさせるからといった理由からか『ハンザキ』の別名でも有名だ。また、本種は古代から姿を変えず生き続けている為に化石としても多く産出している」
「あ、それなら学校の教科書にありましたよ。確か『古代文明を滅ぼした大洪水の存在を証明する化石人骨だ』って言われてたこともあるんですよね?」
「よく知っているな、ワラ殿。その通りだ。また、オオサンショウウオは生息地の環境悪化や大陸から持ち込まれた大陸産の近縁種との交雑等から数が減少傾向にあり、研究機関や専門的な展示施設以外での飼育・展示は法的に認められていない希少動物でもある。保護計画も進められてはいるが、持ち込まれた近縁種もまた希少動物として扱われている為単純に外来生物として処理することもできず、問題は深刻化の一途を辿るばかりだという。あまり考えたくはない事だが、この姿が拝めるのももう長くもないかもしれんな……」
かくして涼しげな森林と渓流の展示を見終えた一行は、何故だかしんみりした空気になってしまいながらも下の階にある次の展示へと向かうのであった。
―9:06・海獣類エリア―
渓流を再現したエリアの次に待っていたアシカやアザラシ、ラッコと言った海棲の獣たちは、その愛らしさから女性陣を歓喜させた。
「海面へ仰向けに寝転ぶようにして浮かんでは腹に乗せた石で貝を叩いているような、呑気で愛らしいイメージがつきもののラッコだが、その生息地は火山島連なる荒々しい極寒の北海であり、決して愛らしいだけの動物ではないことは熟知しておくべきだろう。可愛らしいのは事実だがな」
「そこは認めるのか……」
「勿論だとも。さて、見ての通りラッコはカワウソ類に属するわけだが、その中でも海へ下った上で陸へ依存しないまでの本格的な適応を成し遂げ今まで生き残っているのはこのラッコだけだ。その独自性故にラッコ属はこの一種のみとされている」
「つまり、可愛いだけじゃなくて強かでレアなんですね!」
「そうとも言えるだろうな。北海に適応した上に『海水を飲んで水分を補給する』という無茶を成り立たせるべく巨大な肝臓を発達させた所為か、ラッコはイタチ科の中では随一の重量級だ。更に体毛の密度は哺乳類の中でもトップクラス。数にしてゆうに平均八億本にもなる」
「は、八億本!?」
「我々人間で言えば、縦横6cmの正方形に頭髪の全てが生えているのと同じと言えばお解りかな。毛繕いの為に体や皮膚は柔らかく、またあの黒い毛の下には綿毛と呼ばれる柔らかな白い毛が1cmの一マス辺り凡そ十万以上の密度で生えているとか」
「なるほど。その綿毛が空気の層を作ってくれるから寒い海でも体温を失わずに済むんですね」
「どっかの究極生命体が編み出した溶岩対策みてーだなぁ。餌は貝以外だと何を食うんだっけ?」
「貝の他は魚、甲殻類、ウニなどだな。泳ぎが苦手なので泳いでいる魚を捕まえるのは苦手らしいが。霊長目以外では唯一道具を使うことが確認されている哺乳類でもあるらしいぞ」
「ウニか。何か贅沢だな」
「言ってやるな。ウニの卵巣は殆どの海洋生物にとって特上の代物なんだ。だからこそ、奴らはあんなに棘を発達させたんだからな。因みにある北国では漁港の近海にラッコが来たと言ってお祭り騒ぎになり観光客によって地域経済は潤ったそうだが、同時に漁民の収入源であるウニを食い荒らされたりと必ずしもいい結果ばかりを招きもせんらしい」
「つーか害獣じゃね」
「漁民たちにとってはな。しかもラッコは保護動物に指定されているので安易な駆除もできないそうだ。ただ、ウニも繁殖し過ぎると海藻を食い荒らし漁場を荒廃させ、更に餌不足がウニそのものの品質低下も招く故、一概に害獣とも言えんわけだが」
「海藻と言えば、ラッコは寝るとき昆布を体に巻くのよね」
「その通りだ。よく知っているなカンナ殿。生涯を海中で過ごすラッコは海藻を体に巻きつけ体を固定し眠る。その重要度は『ラッコの出現と繁栄には昆布の出現が深く関わっている』ともされているほどだという」
「アシカとアザラシはカワウソやラッコ同様ネコ目の獣だ。『鰭型の脚を持つ類のもの』という意味合いの『鰭脚類』という名称の通り四肢は指の名残や爪こそあるもののほぼ完全な鰭型になっており、流線形のフォルムもあって如何にも水中生活者然とした形態であることがわかると思う」
「確かにな」
「基本的に北海に生息する為か大型化の傾向が強く、オットセイの最小種でも体長1.2mの体重30kg、最大種たるミナミゾウアザラシの成熟しきった雄に至っては全長4mの体重2.2tと絵に描いたような重量級であるのがわかるかと思う」
「デカいな……」
「食性は言わんでもわかるだろうが動物食だな。海の中で動くものは大抵喰らうと思えばいいだろう」
「そういえば、アシカとアザラシってどこをどう見分ければいいんでしょう?」
「いい質問だユズ殿。では皆、水槽の中をよく見てくれ。あそこにちょうどアシカとアザラシが並んでいるのでこれから見分け方を話そう。
まず、頭の方を見てみよう。耳たぶがあるのがアシカで、耳らしき穴が空いているのがアザラシだ」
「ふむふむ」
一同が頷くのと同時に、並んでいたアシカとアザラシが同時に水へ向かって動き出す。
「これはちょうどいい。次は移動についてだ。
まず、上体を起こし、尾にも見える後ろ足を前に向けた状態で重荷前足を用いて陸上を素早く移動しているのがアシカだ。一方のアザラシは寝ころんだ姿勢で後ろ足も前に向けられない。一応前足を補助的に用いることはできるが、基本的に這うようにしてしか進めない。これは進むスピードを見ても歴然だな」
「なるほど……」
二頭が水に潜った時点で、コドセルは再び解説を始める。
「最後は泳ぎを見てみよう。発達した前足で羽ばたくように泳ぐのがアシカで、腰を曲げながら後ろ足を交互に動かして泳ぐのがアザラシだ」
「つまり、アザラシの方が水中生活に適応できているんですね?」
「そういうことだ。見るとアシカやアザラシはこの後のショーでも見られるらしい。共演相手はシロイルカとオキゴンドウ……中々珍しい取り合わせだな」
かくして海獣達の愛らしさを堪能した一同は、次なるエリアへ向かう。
こらそこ、「これ『隣の彼方』である意味なくね?」とか言うな。