別れさせ屋4
『別れさせ屋』の仕事の主な流れを、ゲンさんに後日説明された。ざっとまとめると以下のようになる。
依頼者とご相談
お見積もり
ターゲットの情報収集
ターゲットとの接触
別れさせ工作
結果報告
「ということは、俺はいきなりターゲットと接触した事になりますよね?」
机に足を投げ出した姿勢は、何だか見慣れたものになってきた。ゲンさんは厚みのある週刊少年誌を無表情で読みながら、俺へ言葉をかけた。
「ああ、不運だな。ルキ」
「す、すみませんでした」
「まあ、今からが勝負だし、焦るな。じっくり行こう。まずはターゲットに関する身辺調査だ。これを怠るといい仕事は出来ない」
そう言ってゲンさんは週刊少年誌を閉じて机に放り投げ、スマホを取り出し、タッチパネルを操作した。
「あの、ゲンさん。身辺調査ってどのくらいやるんですか?」
「んー。本来なら一つの仕事を分担してやるんだがな……。まあ、今回は二人だからちょちょいと二日間で調べ上げる。もうルキがターゲットとの接触を図っているからな。調べは俺がやっといてやろう。だからお前は、この店に行って来い」
そう言ってゲンさんはスマホを俺にかざした。この店なら、よく知っている。俺の行きつけの店『エミリィ』だ。
「わかりました。では今夜ここで彼女を待ちます」
待てど暮らせど、彼女はやって来なかった。そりゃそうだ。平日に飲みに来る人間はそうはいない。俺はグラスに残ったウイスキーを呷り、店を出ようと財布を出した。時刻はもう十一時になろうかとしていた。
「いらっしゃいませ」
ドアに付いているベルがからんと音を立てて店内に響き渡る。ドアの方を見ると夕方に見た女『三戸英子』その人が店に入ってきていた。夕方には見なかった黒縁眼鏡をかけているが間違いない。彼女は一人のようだ。彼女は俺と間隔をあけた席に座った。カウンターには俺たちしかいない。
「マスター、コロナひとつ下さい」
「かしこまりました」
マスターはカウンターの下に備え付けてある小さい冷蔵庫から、コロナを取り出し栓をあける。コロナに小さくカットしたライムを刺して彼女の前に出す。
「今日は、お連れさんいなんですねェ」
「ゆっくり飲むには一人の方が落ち着くから」
そう言って彼女はライムを絞り、コロナを一口飲む。マスターは「ごゆっくり」とだけ言ってグラスを洗うために奥へと引っ込んだ。
「ひとりなんですか?」
おれは意を決して、彼女に声をかけた。彼女はこちらを見て、答える。
「そうね。あれ? あなた夕方に会った……」
「ああ! そういうあなたは三戸さん、でしたっけ?」
「ええ。持ち込みはどうでしたか?」
「ああ、ご縁が無かったみたいです。あっ、そちらへ行ってもいいですか?」
「どうぞ」
俺は空になったグラスを持ち、席を移動した。マスターを呼び、おかわりを注いでもらってから、彼女の隣に腰を落ち着ける。
「じゃあ、乾杯」
グラスを傾け、軽快な音を店内に響かせて互いに一口身体にアルコール流し込む。
店内に流れている音楽を体で感じながら、俺の意識はどこか遠くへ旅に出てしまった。
「はっ!」
目を覚ますと俺は知らない部屋にいた。隣には知らない女が……。いや、知っている。こいつは『三戸英子』。今回の『ターゲット』だ。
しかも、俺たちは服を着ていない。ああ、そういうことか。
時刻は七時、仕事場へ行くまでまだ全然余裕のある時間だった。
「んんん~。ああ、おはよう。今何時~?」
「し、七時……だ」
「そう、そろそろ準備しなくちゃか~。ふぁああ」
三戸は欠伸をしながら布団から出て、気怠そうに下着を身に着ける。
「あ、あの俺たち……まさか」
店で話しながら飲んでて、話が盛り上がって、えーと……それから……。
「え? 覚えてないの? あなた、あんなに情熱的だったじゃない。後藤君」
後藤君? 誰だそれは? ああ! 昨日、身元を隠すために偽名を使ったんだ。後藤、後藤。
「ふふっ」
三戸英子は目を細めて冷たく笑った。
午前八時に事務所へ行くと、ゲンさんはノートパソコンに向かって煙草をふかしていた。
「あれ? ゲンさん。早いですね」
「おお~。徹夜だったからな。とりあえず報告よろしくー」
俺は上着を脱いで椅子に掛けてからゲンさんに報告する。洗いざらい、すべてを。
「――お前、天才だな」
「そんなことより、これからどうしたら?」
「ああ、それなんだがほれ。これ『三戸英子』に関する資料だ。まっ、もう殆ど詰みだがな」
そう言ってゲンさんは俺にA4の用紙を渡してきた。俺は頭を掻きながらプリントに目を通した。
『三戸英子』
二十七歳。花見荘第三アパート住み。パラソル出版社勤め。徒歩通勤。平日休日問わずバー『エミリィ』に行く。友達は多くも少なくもない。家族構成は両親と弟が一人、いずれも存命。趣味、おいしいお酒を飲むこと。週に二回はジムに通う。性格、普段は大人しく振る舞っているが酒を入れると正体を表す。浮気グセ有り。男性経験は豊富。勤務時間八時半~六時(残業あり)。休日は基本的に二日酔いで寝ていることが多い。恋人の名前は『加瀬和広』。
「え……」
「わかったか? こいつァ加瀬のコレだったってことだ」
そう言って、ゲンさんは小指を立てて見せる。全身から血の気が引いた。
「加瀬の……恋人だ、なんて……。加瀬に……なんて……」
プリントがくしゃくしゃになる程、手に力がこもる。そんな俺をみて、ゲンさんは静かに言う。
「ああ、残酷だがな……。これが俺たち『別れさせ屋』の仕事だ」
加瀬の言葉が頭に過る。
俺は、もう引き返せない所まで来ていると、悟った。