別れさせ屋1
「誰だって楽をして金を儲けたいと思っているものなんだよ」
土曜日の夜だというのに人がいないバーで、俺は友人の加瀬和広に愚痴をこぼしていた。
「そんなものかね? 春樹の考えは分からなくもないけれど、そうやって暮らせる人間は元々お金を持っている人間だよ。不動産屋なんかいい典型だよ」
加瀬は無くなりかけのスコッチを一気にあおり、マスターに「同じの」と短く言った。
俺は半分ほどグラスに残っているウイスキーを見つめながら、右手の人差し指で氷の角をくるっと回していた。
「だがな、加瀬。俺は今日仕事を失った。これから俺はどうすればいいんだろうなあ」
「やりたいこと、やりゃあいいんだよ。まだ二十代だろ? 俺たち」
「二十代のベテランだけどな」
「ははっ。それもそうか」
俺は人間関係の乱れから仕事を失くしてしまった。間違っていることを間違っていると上司に言ったのが仇になり、組織を追い出されたのだ。
世界は、世の中は間違っている。間違っていることを正さない事がこの世の真理というのなら、俺はそのように生きる。生き抜いてやる。
俺がそのような事を考えていると、加瀬の携帯が静かな店内に鳴り響いた。もう一時を回っているというのに、元気な人もいたものだ。
「彼女か?」
そう言った俺の表情は、暗く惨めなものだったに違いない。加瀬はそんな俺を見て、素早くフォローを入れた。こういう所がモテる秘訣なのかもしれないな。
「ん? ああ、そうだな。……まぁ、そう陰気になるなよ。恋人より、今は仕事だろ? 楽じゃないかもしれないが、俺の先輩に私立探偵をしている人がいるんだ。この人に相談してみるといい。だが、仕事内容まではよく分からないから、気が向いたら話だけでも聞いてくればいい」
加瀬は茶色い長財布から名刺を取り出し、人差し指と中指に名刺を挟んで俺に差し出した。そこには【私立探偵社・原本吉宗】と携帯の電話番号が書かれている。なんて胡散臭い名刺なんだ。
「仕事の方は何やってるか詳しくは知らないが、いい先輩だ。俺より二つ上でな、とにかく見た目が……。まあ、きっと力になってくれると思うよ」
そう言うと加瀬は煙草を咥えて、ジッポで火をつけた。空になったマイルドセブンの箱を潰して、マスターに渡す。煙を吐き出す加瀬の目はどこか遠くを見ているように思えた。
携帯電話の電源を入れ時刻を確認すると、もう昼を悠に過ぎていた。そろそろ三時になる。
「ああ、頭痛ぇ。……日曜日、無駄に過ごしちまったかな」
ああ、違うな。職を失った俺は毎日が日曜日みたいなものか。
二日酔いの熱っぽい気怠さを解消させるために、俺は冷蔵庫を開けてミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出し、一口飲んだ。ぼうっとした頭が一瞬だけ冴えて、また熱っぽさを帯びてゆく。二日酔いは好きではないが、酒はやめられない。
冷蔵庫の前に立ち尽くしていることに馬鹿馬鹿しくなった俺は、ペットボトルを持ちベッドに腰掛けた。
ぼーっとしている頭の中にふと昨日の加瀬の言葉がよぎる。
「んー。連絡してみっかな……」
携帯を手に取り、財布の中にある名刺を取り出す。番号をプッシュして相手方が出るのを待つ。電話の待ち時間は緊張してしまうから嫌だ。コール三回目の終わりとともに、爽やかとはお世辞にも言えないようなダミ声が電話越しに聞こえた。
「んぁい! 私立探偵社、原本ですがぁ?」
電話に出るのが男だとは思っていなかったので、俺は考えていた言葉が吹き飛び、少々狼狽えてしまう。
「えっ? ……ああ! あの、その……ですねー……ええと……」
「依頼ですか? 何ですかァ? 聞こえませんよー! もっしもーーし!」
高圧的に電話対応されて、頭が真っ白だった。いい歳して情けないな、俺。
「あ、あの! 加瀬和広という者に、話を聞いて……電話しました。江藤春樹と言います」
「ん? カセ、かせ……。おお! 加瀬か!なにあいつ、元気してんのかよ」
あれ? 俺のこと置いてけぼりじゃねーか? まあいい。仕事を見つける為だ。
「ええ、元気しています。加瀬の先輩ですよね? 原本さん」
「おお!高校ん時のな。部活の先輩だ! 困ったらいつでも頼れと教えた」
「そ、そうですか。確かに、加瀬には『いい先輩だから』と言われました。それで、電話した次第です」
受話器の向こうでカチッという音がする。その後に大きく息を吐く音が伝わってくる。煙草に火をつけたのだろう。
「そうか、じゃあ面接っつーワケだな。よろしい。んじゃあ、今から面接する。『電話面接』って奴だ」
「え? はい。わ、分かりました」
俺は身構えた。ベッドの上に正座をして、生唾を飲み込む。背筋も伸ばしてきちんとしてはいるが、パンツ一丁という格好なのでなんだかしまらない。
「じゃあ……。酒好きか?」
「はい」
「女好きか?」
「はい」
「採用! 明日から来い」
「ええ!? こんなのでいいんですか?」
ビックリして訊いてしまった。
電話の向こうの声は気だるそうに応えた。
「いいんだよ。こんなもんで。それとも、不採用の方が良かったか?」
「いえ、ありがとうございます! 是非働かせてください!」
「おお、じゃあ十三時に事務所な」
事務所の場所などなどをメモして、最後に「よろしくお願いします」と言って電話を切った。緊張の糸はもう緩んでいたが、緩んだ糸がさらに緩んだ様な気がした。緩み切った糸が絡まっている事に、俺はまだ気づいていない。
昼食を軽めにとり、俺は家を出発した。『私立探偵社』の事務所は分かりやすい場所にあると言う事だったので、昨日原本さんに訊いたとうりの道順でそれらしき建物を探す。灰色の少しオンボロなビルの二階に、黄色い看板が申し訳なさそうに引っ付いている。
本当に分かりやすいな……。
ともあれ、午後一時、『私立探偵社』へ到着し、俺は事務所のドアをノックする。
「おお! お前か! 今日から諸々、よろしく」
事務所の扉を開けたのは原本さんだった。浅黒い肌に、金髪を坊主にしている。ギョロッとした目は昭和初期によくいそうな、わんぱくな少年をイメージさせられた。
俺より二つ上という事は原本さんは三十一歳か。若いな。
「よろしくお願いします」
「カタッ苦しいのはいいから入れ! 待ってたんだ」
原本さんに案内されたのは本当に事務所というにふさわしいまでの事務所だった。乱雑に散らばった用紙、電源の入っていないシュレッダー、誰も使っていないであろう事務机、蛍光灯は入り口の上のものが切れかかっている。なんてだらしの無い仕事場なんだろう。
「とりあえず、適当に座れ!」
「は、はあ……」
原本さんは座っている俺に新聞を持ってきて、広げた。いきなりどうしたのだろうか。
「どうだ?」
「どうだ、と言われましても……」
「いや、この記事だ。これこれ!」
その新聞は今日の日付が書いてある。六月二十日の新聞に間違いはない。原本さんは口の左端を持ち上げて、ニンマリとしている。原本さんの指差す箇所に目をやると、芸能人が破局したという記事が目に入った。
「……。…………?」
「おい! これみても驚かないのか! かーっ、悲しいっ!」
原本さんは右手を顔にやり、目を隠す様な仕草で大きく仰け反った。
「記事、ちゃんと読んでみな」
「? 『アイドル、岸田照美。ミュージシャン、川田ユキアツと破局』ですか」
最近グングン売れてきているアイドルだ。名前はよく耳にする。さらにミュージシャンである川田ユキアツ。こいつは昨年の紅白で見た様な気がする。しかし、それがどうしたというのだろうか。
「俺が別れさせたんだ」
「……え?」
どういう事だ。全く理解出来ない。アイドルとミュージシャンを別れさせるだと? そんな事、一市民にできるはずがーーーー。
「申し遅れたな、兄ちゃん。私立探偵社、社長の原本吉宗だ。主な仕事は『別れさせ屋』だ。よろしくな!」
そういって、原本さんは握手を求めてきた。俺は固まってしまって握手に応じる事が出来なかった。