骨折アルバイト3
「ではまず、着替えていただきましょうか」
高屋が言うが早いか、看護師が薄いブルーの検査着を持って、郁男をロッカールームに案内する。
郁男はロッカールームに貴重品を置き、上着を脱いだ。シャツを脱いで検査着に腕を通すと案外大きく、子供の頃に着た大きなハッピを思わせた。ジャージを脱いで軽くたたんでロッカーに入れる。検査着はバスローブのようなタイプなので、足と足の間に布の感触が無いのが少し気持ち悪かった。
着替えを終えた郁男は、看護師に案内され、検査室というプレートがかかった部屋に入る。
「じゃあ、そこに腰掛けて下さい」
見るとMRI室の様な寝台があり、なにに使うのか分からないような大きな機械が寝台に付随している。郁男は言われるまま寝台に腰掛けて、看護婦の言葉を待った。
「じゃあ、ですね~。こちらの方見ていただいてよろしーですかぁ?」
看護師は先程持っていたであろう黒のバインダーを、郁男に向けて差し出した。
「な、何でしょう。これ……」
「部位を、決めて下さい」
看護師の言葉に理解が追いつかない郁男は、もう一度訊く。
「ど……、何ですか? 部位って?」
「実験部位ですよ。どこにしますか?」
わけが分からない。どうなっているんだ? 治験アルバイトじゃ無かったのか?
郁男はそう思いながら手元のバインダーに、恐る恐る目を落とした。
骨折治験アルバイト
当実験の目的
一,骨折による被験者の骨の回復速度、及び回復の経過をはかる
二,骨がどの程度の力を加えれば折れるのかを調査
三,骨が折れる瞬間を医学的に調査
【補足】
この実験により負傷した傷の手当てにつきましては、こちらが無償で治療いたします。
【部位,料金設定】
腕・・・十万円
肋骨・・・三十万円
大腿骨・・・六十万円
その他の骨は個別にご相談下さい。研究員との相談により、料金を設定して下さい。
郁男は絶句した。全身の汗という汗が身体の表面に滲み出てくる。郁男は息を荒げながら、看護師に訊く。
「ほ、骨を……折るんですか?」
「ええ。そうですけど……何か?」
悪びれもせず、看護師は答える。看護師は眉根を寄せて、首をかしげている。郁男が何故このような質問をしたのか分からない、という表情だった。
「……辞めます。やりません。聞いていない。こんな話」
寝台から立ち上がり、部屋を出ようとする郁男の前に立ちはだかったのは高屋だった。両手を組み、右手には何かの用紙を持っている。高屋は無表情のままに郁男に言った。
「契約違反は困ります。サイン、しましたよね? 注意書き、全て読みましたか?」
「何だよ……。契約違反って! こんな非道徳的な事、許されるはずがない! 詐欺か? そうなんだろ? 答えろよ!」
乾いた罵声を浴びせながら、郁男の息は更に荒くなる。額には汗が玉の様にできている。
「道徳的であろうと、非道徳的であろうと、こちらは関係ありません。契約に違反する、と……そう言っているのです」
「したらどうなるってんだ! はっ! 逮捕されるわけじゃあるまいし……」
「そうですね。そうなります。とはいっても、ウチの機関も相当のブラックですから、秘密裏に処理されてしまいますね」
高屋は無表情のまま、ルーチンワークのようにさらりと言ってのけた。そして続ける。
「こちらにこられる方は事前に、アルバイト内容を知って、来ていただいております。ハナムラ様から聞いていませんでしたか?」
郁男は口に溜まったつばを飲み込み、顔を俯き言った。
「そんな、話は……聞いていない」
花村太一はぼかしたのだ。郁男にアルバイトをさせる為に。ここに来させる為に。
「あら、それは可哀想に。しかし、契約は契約。『被験者ハ予メ紹介者ノ説明ヲ受ケルコト』これは紹介者側の悪意ですね。もう運命を受け入れたらどうですか」
郁男はガクリと肩を落とし、その場に崩れ落ちた。四つん這いの姿勢で、絶望している。
「……くない。……るくない。悪くない、悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない。
俺は……悪クナイッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
高屋に飛びかかろうとした郁男は、目標付近で意識を失った。郁男はこの時気が付かなかった。看護師に打たれた注射は《即効性のある睡眠薬》だった。
郁男はものの数分で意識を回復した。先程と同じ場所ではあるが、明らかに寝台に寝かされている。身体は頑丈なベルトで縛られ身動きが取れない。郁男が左を向くと看護師と高屋がいた。
「おいっっ! 離せ!! や、っめろ!」
ベルトを外すべく身体全身を捩らせ、くねらせ、捻ってみるがビクともしない。
「仕方ありませんね。では腕にしましょうか。あっ、麻酔は使えませんから、我慢して下さいよ」
「必要な事なので! 我慢してくださいね。トマツ様」
高屋がコンピューターに向かい、エンターキーをタンッと押す。すると寝台に近い機械がゴウウと唸りだした。回転するモーター音は永遠に続く金切り声のように、悲痛な叫びをあげていた。
固定された左腕に、厳めしいプレス機がゆっくりと下降してくる。
ゆっくりと
ゆっくりと
「うああ、待てよ!!! 俺は一言もやるなんて言っていない!!!」
ゆっく り と
ゆっ く りと
「待てって! 聞け! 話をっ! い、い、嫌だっ!」
ゆっ く り と
ゆ っ く り と
「ひっ!!!! 嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「先輩、あの患者さん……ずっと同じ事言ってて気味が悪いです」
若い看護師が先輩看護師に耳打ちをしている。
「親御さんも可哀想にねえ……。まだ若いのに、二十四でしょう? 勿体ないわねぇ……。聞いた話だと、あの人《人間不信》だそうよ。友達を一人殺したって……。右手には血塗れの包丁と、怪我をしていた左手には十万円が握り締められていたって」
先輩看護師は目を細めながら若い看護師に小声で話している。
「えー!!! こわーい! なにそれ!? 正直、関わりたくないわ」
「何でも友人に紹介されたアルバイトが怪しいものらしくてね……」
「何ですか? それ」
「骨折アルバイトって言うらしいわ」
「なんですかぁ? それ……。あっ! 婦長来ましたよ。おはようございます」
精神科病院の看護師達が、朝のミーティングを開始する。
戸松郁男は右腕のメスの跡を見つめながら、笑っていた。
以上、第一章『骨折アルバイト』でした。
これは都市伝説となっている話を元に書きました。表現足らずで分かりずらかったかもしれません。
こちらの作品は、短編集としてまとめて行くつもりですので、気が向いたらまた遊びに来てください。
それでは、またお会いしましょう。
闍梨