クルス=エンシスの手記 其の四
緑の月 十日
『アークがギルドの受付として働き出して数ヶ月が経過した。最初の頃こそ不慣れな事もあったようだがすぐに順応し、今では受付だけではなく様々な業務を引き受けるようになったようだ。我が弟子ながら鼻が高い。あとは引き続き、女性関係で間違いが起きない限りは見守ろうと思う』
アークがギルドの受付で働く事となり、忙しそうにしつつもそれにやりがいを感じているのはすぐに伝わった。最初のうちは慣れない事に疲れている様子であったが、その分余計な事を考えずに眠れるようであった。
(……下手に館にこもっているよりはアークにとって何らかのプラスになると思ったが正解だったな。もう少し様子を見守って日常が落ち着いてきたらゆっくりとボクたちの今後も考えていこう)
そんな風に考え職場に向かうアークの背中を見守る日々が続いた。だが、ギルド受付の業務に慣れて日常を取り戻したアークはある日とんでもない提案を自分に申し出てきた。
「えっ……この館を出たいだって?ど、どうしたんだいアーク!?ボ、ボクが君に何かしでかしてしまったかい?それとも、ボクの事が嫌いになったのかい!?」
思わず涙目になってアークに詰め寄る。アークにバレないようにアークの洗濯前の肌着や毛布をこっそりすり替えてくるまったり、アークの耐性を調べるためにこっそりと食事に媚薬や催淫効果の薬を混ぜたりしたのがもしかしたらバレてしまったのだろうか。
(……いや。最善の注意を払っているからそれはないはずだ。……という事はまさか!ギルドの方で良からぬ出会いがあったとかか!そんな事は許さないぞ!)
そう思いアークを問い詰めようとしたが、それより早くアークの方から話を切り出される。
「いえ。決してそんな事はないです。ただ、いつまでも師匠の好意にこのまま甘えっぱなしというのも良くないと思うので……」
アーク曰く、ギルドから正式に採用され給金を頂く形になった今、身の丈に合った暮らしをして先の事を考えたいとの事だった。
「で、でも今の生活に不便はないだろう?実際、館に住んでいる代わりに身の回りを君に任せているボクとしてはそれが家賃以上の対価だと思っているんだけれど……」
アークがただの居候ならともかく、ギルドで働きながらも炊事に洗濯をはじめとした家事はほぼ全てアークが担当してくれていた。アークがここに住むことが本決まりになる事が決まった時点で二人きりの時間を過ごしたいがために、今までいた使用人には多めに金を握らせ暇を出したのだ。……だから困る。今アークが自分の元を完全に離れるなんて事があるのは大変困る。
「いえ。かつての純粋な師匠と弟子の関係ならともかく自分は一度ここを離れた身です。それにも関わらず、自暴自棄になって気付けばここに戻ってきた自分を責めずに今まで優しく迎えてくれた師匠には感謝しかありません。お陰で自分は立ち直る事が出来ただけではなく新たな生きがいと目標を持てました。だからこそここで師匠の恩恵に頼らずに自分一人で新たな道を進もうと……」
そこまでアークが話したところで限界だった。師匠の権威とか頼れる存在とかはもはやどうでも良い。気付けば会話を遮るように大声で叫んでいた。
「……嫌だーーっ!!駄目だよアーク!言いたい奴には言わせておけば良い!今更君がここからいなくなったらボクの面倒は誰が見てくれるっていうんだい!?もう君がいなけりゃボクは駄目な体になっているんだよ!」
号泣する一歩手前でアークに叫びながら詰め寄る。事実、自分の胃袋は今や完全にアークに掴まれている。何も言わずとも自分の好物が出されるのは当たり前で、こちらの体調や心理面を把握して量や素材を考慮して提供してくれる。自分のためだけに料理を作る事が元々嫌いな自分は完全にアークに依存していた。そんな生活が当たり前になっていたところでアークがまた自分の元から離れるかもしれないと思ったらもはやなりふりなど構っていられない。自分の想いとは裏腹にアークが口を開く。
「えっと……すみません師匠。実はもう条件の良いところがあって仮契約を済ませてしまいまして……」
「うわーーん!!アークの馬鹿ーー!!」
おずおずと申し訳なさそうにそう話すアークの前で、年甲斐もなく今度こそ叫びながら号泣した。
「……結局、そこからアークになりふり構わず拝み倒す形でどうにか毎日ではないにしろ、定期的に通って家事をして貰うという形に落ち着いたんだよな。本当、この譲歩案が受け入れられなかったら強硬手段を取らざるを得なかったな」
日記を閉じて一人つぶやく。ベッドの周りには自分の脱ぎ散らかした服が盛大に散らばっている。片付ける事が出来ないわけではないが、どうにもその気になれない。少しの間待てばアークがしてくれると思うとそれまで待てば良いかと思ってしまう。我ながら身も心もアークの存在に依存していると思った。だが、最近はそんなアークに懸念している事がある。
「……どうにも最近、ボクの館に来る周期が落ちている気がするな。三日に一度は来てくれていた頻度が最近は週一になりつつある。酷い時はそれ以上空いてしまう事もある。それだけアークの日々が充実しているという事は喜ばしい事ではあるが、ボクとしては困るな」
アークが自分の近くに戻ってきてからの出来事を振り返るも、二人の関係性を深めるには至っていない。師と弟子としての繋がりがより強固なものとなるのは嬉しいが、それだけではもはや満足出来ない。ここへ戻ってきた事情が事情なだけに当時は余裕がなかったが、心の傷を乗り越え始めたアークを見て改めて思う。
(……気は熟した。というか、もう我慢する必要はないんじゃないか?)
自分が思っていたより若干早い年齢ではあるが、今のアークには既に若い頃には出来ない憂いを帯びた表情や雰囲気を醸し出している。どれだけ容姿が整っている者がいようとも今のアークは自分にとって誰よりも魅力的な存在になっていた。それだけに自分の中で焦りのような感情が起きていた。
(……思い起こせば昔、旅先から手紙を送ってきたころにも『将来有望な女性ハンターと出会いました。いつか師匠にお目通しをしたいと思います』なんて事を書いてあったからな。アークの審美眼が確かならそいつもきっと優秀なハンターになっているはずだ。もしそいつがアークに近付けば何か間違いが起こる事も充分にありうる。今のアークに擦り寄って良からぬ事を考えるはずだ。……やはりここらでボクも本気で動く必要があるな)
そう考え、少し悩んだがしばらく連絡を絶っていたナナカに依頼を発注する事にした。当時、アークというか人間を弟子にする事に猛反対した上にボクに意見を物申してきたため物理的に分からせて叩き出したものの、今も自分の傍にいる事を熱望しているのは分かったため素材回収のために利用する事にした。早速アークを性的に陥落させるべく必要な様々な素材のリストを記してナナカへの依頼書を作成する。その時にふとある考えを思いついた。
「……待てよ?ここでナナカの依頼にアークを同行させれば、より早く素材も集まるだろうしアークの優秀さをナナカも理解するんじゃないか?うん、そうしよう。ナナカはボクに逆らえないし、アークは『お願い』すれば内容を聞けばボクの頼みを受け入れてくれるはずだ。あとは二人が素材を持って帰ってきたらその素材を使ってアークの理性を一時的に崩壊させれば良い話だ。うん、完璧な計画だぞボク!もしそれで道中二人が打ち解けるなら更に良し。そうと決まれば善は急げだ。すぐにナナカにこの依頼書を送ってアークが次に館へ来るのを待つとしよう」
そう考え、ナナカに命令という名の依頼書を送るべく必要な素材のリストを作成する事にした。
ナナカは自分が連絡すれば即座に返事を返してくるのが分かっているため問題はない。あとはアークが自分のところに来た時にお願いをするとしよう。そう考え、アークが来るまでの間の時間は怠惰に惰眠を貪る事にした。




