クルス=エンシスの手記 其の三
「……落ち着いたかい?無理に今すぐ話そうとしなくていい。今は冷えた体を温めるんだ」
館の前でずぶ濡れのまま佇むアークを半ば無理矢理に部屋へと引きずり込み、湯船に浸からせ着替えさせてから温めた葡萄酒を差し出す。無理に受け取らせる事はせずに手前のテーブルにグラスを置く。俯いたままのアークが湯気の立つグラスを手に取り、ようやくそこでぽつりぽつりと話し始めた。
未調査クエストに向かい、最初の方こそ順調に進んでいたものの、そこで未知の魔獣と遭遇しどうにかクランの皆で対処しようとしたが魔獣の強さや行動パターン全てが想定外だったため、慌てて撤退の判断をしたものの全員での避難は間に合わず、クランの仲間が命を落としてしまったとの事であった。
「……全員救えたはずなんです。俺がもう少し早く撤退の判断を下していれば……!」
そう言ってまた俯くアーク。葡萄酒を口にしようと手にしたグラスが握り締めた事で手の中で勢い良く砕け、葡萄酒と一緒にアークの手から血が流れ出す。痛みを感じる様子もなく、感情が溢れ出してしまったのか割れたガラスが散らばるテーブルを殴りながらアークが激昂する。
「……俺が!もっと皆を導く立場として相応しければっ!もっと強ければっ!誰も死なせることはなかった!何が『史上最強のクラン』だっ!自分を信じた仲間さえ救えなくて何が最強だっ!」
全力で何度も拳を打ち付けているためアークの拳は血塗れである。なおも拳を叩き付けようとするアークの両肩を無理矢理後ろから抱きしめる形で思わず叫ぶ。
「もういい!もういいんだアーク!今は何も考えるな!君がそんな事をしたって現実は何も変わらないんだっ!」
自分の叫びにアークの動きが止まり、だらりと両手が垂れる。力の限り叩きつけた両の拳からはとめどなく血が流れている。
「お願いだよ……ボクの前でこれ以上そんな顔をしないでおくれよ……君がそんな風になるのがボクにとっては何より辛いし悲しいんだよ……」
そこまで話すのが限界で、アークの背中に顔を埋めて思わず涙を流す。顔を埋めながらアークも泣いているのが気配で分かった。思えばアークが人目を気にせず涙を流す姿を見たのはこの時が初めてだった。
その後、容赦なく降りしきる雨音を聞きながら二人でそのまま互いに泣き続けた。
「……あの時は辛かったな。結局、雨が止んで夜明けまで二人でそのままだったな。ただ、ひとしきり感情を吐き出して涙を流す事がアークにとっては必要な時間だったはずだ」
そんな事を思いながら閉じた日記を手に取り、当時の日付のページを開く。普段より筆跡が乱れているところを見るに、あの頃の自分も必死だったのだと改めて思う。
黄の月 十七日
『アークがボクの元へ戻ってきて早半月が経過した。最初の頃は手当てを終えた後はずっと部屋に引きこもり、水も食事もまともに摂ろうとしなかったが徐々に口にするようになり、少しずつ会話も交わせるようになった。ギルドを含めた外部からの情報は完全に遮断させた。今は余計な情報をアークに何一つ聞かせる訳にはいかない。少なくとも本人が望むまではこのままとする』
アークが動けない間に独自のルートを用いて調べた結果、不幸中の幸いという言い方は良くないとは分かっているが、命を落としたクランのメンバーの中に家庭を持っている者はいなかった。皆が孤児出身で身寄りがなかった事に少しだけほっとしてしまう。
(……もし、亡くなった者たちの中に家族がいたらアークは一生を掛けて彼らに償う道を選んだだろう。それも自分を許す事なく悔やみながら、な。そういった存在がいなかっただけでも今はアークにとってもボクにとっても感謝するしかない)
その後、少しずつアークと会話が出来るようになり、アークから話を聞けば聞くほどに避けようのない事態であった事が分かった。例えその場に自分がいたとしても何の犠牲も出さずに全員を生存させる事は不可能だったと思えるほどに。
(特定の部位以外は物理も魔法も通さない上に、放たれた一撃が全て致命傷クラスになる……そんな魔獣なんてボクも知らない未知の存在だ。ボクだってそんな存在と対峙したらアークとボクが生き残る事をまず最優先に考えてしまうだろう。仲間が殺された事で恐怖心と生存本能が働いても何もおかしくない。生き延びたからこそ今になって後悔する事が出来るんだ。……ただ、今のアークにそれを理解しろというのは酷な話だな)
理屈で分かっていても納得が出来ない事はある。今のアークがまさにそれだ。自分がどうにか出来た事があったのではないか。その思考から未だに抜け出せないアークを今はただ見守る事しか出来なかった。思わずアークとの生活が始まる事が決まってからずっと止めていたタバコに火を点けた。数年ぶりに吸ったタバコの味に苦味を感じながらつぶやく。
「……ボクは無力だな。どんなに強かろうと美しくとも、こんな時にどうしたら良いのか何もわからないなんてな」
カーテンを閉め切ったまま部屋から出てこないアークの部屋の窓を見つめつつ、洗濯物を干しながら煙を吐き出しつつ思わずつぶやいた。
「え?ギルドの受付として働くために自分にここへ正式に帰ってこい……ですか?」
あれから更に時間をかけ、ようやく普段通りの日常を過ごせるようになり冷静になった頃に突如ハンターを引退するとアークが宣言してから一月程が経過していた。少しずつではあるが会話の中に笑顔も戻り、身の回りの事も自分で出来るようになり、昔のようにボクの世話を焼くくらいには余裕が出来てきたと思ったため、次の段階へと進むためにそう告げた。自分の言葉に怪訝そうな顔でそう返してきたアークに言葉を返す。
「あぁそうだ。ハンターを引退するという君の考えを止めるつもりはない。むしろ、ボクも今はそれが良いと思っているよ。……ただ、ハンターを辞めて君はこれからどうするつもりだい?今更普通の人と同じように働くなんて君には無理だろう?何より、そんな君をボクが見たくないからね」
そう言ってアークを見る。実際のところ、アークならば人並みの生活を送るだけならどんな仕事を選ぼうと充分に可能だろう。力仕事であれ、調理人であれ職人であれ、既に様々なスキルを持つ彼ならばどんな仕事に就こうが常人の数十倍優秀な働きをする事は間違いないだろう。だが、そんな事を自分が素直に許すわけにはいかなかった。
(いつかアークがハンターとして返り咲いてくれるならそれが一番良い。最初の挫折が奇しくも取り返しがつかないレベルのものだった事は不運だったとしか言えないが、いつかどこかでその傷やトラウマを乗り越えられる時や出来事があるかもしれない。いや、その日が来るまでボクはいくらでも待つし見守ろう)
今まで散々待っていたのだ。今更数年それが伸びたところでどうという事はない。その間にもアークの見た目はより自分の好みに近付くであろう。自分はただ果実が最高のタイミングで熟するのを近くで見守るだけだ。自分の言葉に考え込むアークに更に追い討ちをかける。
「……君が過去を悔やむなら、これから君と同じ道へ進もうとする若者に君だからこそ言えることやしてあげられる事もあるんじゃないかい?ただ悔やみ続けているよりも、君自身が先に進むためにも一考の余地はあると思うんだけどな」
無言のまま考え込むアークに少し間を置いてから声をかける。
「返事は急がないよ。それまではずっとボクの傍にいてゆっくり過ごすといい。君の中で答えが出たら声をかけておくれ。さ、今日はこの話はここまでにするとしよう」
そう言ってその日は会話を終えた。アークの方からギルドで働きたいとの申し出があったのはそれから数日後の事であった。




