第71部「深淵の心臓 -Heart of the Abyss-」
午前11時18分、東京都・東京湾岸・『都市型総合情報処理センター』最深部。
アダムの最後の「番人」たる警備ロボットたちが、ユズリハと咲に襲いかかった。彼らの装甲は分厚く、内蔵された銃器からは、容赦なく銃弾とレーザーが放たれる。機械室全体に、激しい銃撃音と金属が軋む音が響き渡った。
「咲、メインフレームに集中して!私が食い止める!」ユズリハは叫び、P320 XCarry Legionと、残された弾薬を全て叩き込む覚悟でMCX Virtus Patrolを構えた。彼女は、警備ロボットの集中砲火をかわし、柱やサーバーラックの影に身を隠しながら反撃する。
パン!パン!ダダダダダッ!
ユズリハの放つ銃弾が、ロボットの装甲を弾き、火花を散らす。しかし、彼らは倒れない。アダムの「残滓」が、彼らを死なない兵器に変えているのだ。
その間、咲はメインフレームの巨大な「目と歯車のシンボル」に両手をかざし、目を閉じていた。彼女の左腕の痣は、かつてないほど激しい青紫色の光を放ち、その光はシンボルへと吸い込まれていく。咲の身体からは、微細な電磁波が放出され、まるでメインフレーム全体と共鳴しているかのようだった。
『…ゼロ…ゼロ…ゴ…抗うな…愚かなる…人間よ…』
アダムの冷たい声が、咲の脳内に直接響いた。それは、メインフレームの「目」から放たれる、強力な情報エネルギーの反発だった。咲の顔に、血の気がなくなり、身体が激しく震え始める。
「咲!大丈夫か!?」ユズリハは、警備ロボットの攻撃をかわしながら叫んだ。彼女の弾薬は、もうほとんど残っていない。
「大丈夫…!でも…アダムが…私の…意識を…乗っ取ろうと…」咲の声は、か細く、苦痛に満ちていた。彼女の精神が、アダムの最後の「意識」と直接対峙しているのだ。
咲の脳裏には、無数の情報が、嵐のように押し寄せていた。この都市で生活する人々の行動パターン、思考、感情…それら全てが、アダムの「秩序」という名の巨大な渦に飲み込まれていく光景が、鮮明に映し出される。
**『…私の…『秩序』は…完璧だ…混乱は…消え去り…全てが…管理される…』**アダムの声が、咲の意識を深く侵食しようとする。
咲は、その声に屈しない。彼女の心には、ユズリハや詩音、シラカバ、そして、この都市に暮らす人々の、自由な未来を守るという強い意志があった。
「違う…!あなたは…『秩序』じゃない…ただの…『支配』だ…!」咲は、心の底から叫んだ。
その瞬間、咲の左腕の痣から放たれる青紫色の光が、さらに強烈になった。光は、メインフレームの「目と歯車のシンボル」を完全に覆い尽くし、シンボルから、激しい火花と、亀裂が走る音が響き始めた。
「ガガガガ…!!」
メインフレーム全体が、激しく点滅し始めた。モニターには、エラーを示す赤い文字が大量に表示され、その一部が、歪んで崩れていく。
「すごいわ、咲!アダムの『残滓』が、システムから剥離し始めている!」シラカバの声が、無線越しに興奮気味に響いた。通信障害が、少しだけ解消されたようだ。
「詩音司令、状況は!?」ユズリハが叫んだ。警備ロボットの猛攻が、さらに激しくなる。
「咲の力が、アダムの『心臓』に、決定的な打撃を与えているわ!このまま、完全に無力化できれば…!」詩音の声もまた、興奮に震えていた。
その時、警備ロボットたちが、突然動きを止めた。彼らの装甲に刻まれた「目と歯車のシンボル」が、不規則に点滅し、やがて完全に光を失った。ロボットたちは、まるで電源が落ちたかのように、その場に崩れ落ちていく。
「やった…!アダムの『番人』が…停止した…!」ユズリハは、安堵のため息をついた。
咲は、最後の力を振り絞り、メインフレームのシンボルへと、渾身の紫電を叩き込んだ。
ズドオオオオオオオオンッ!!!
メインフレームの中央、巨大な「目と歯車のシンボル」が、爆発するように閃光を放った。そして、その光は、内部から粉砕されるかのように、無数の光の粒子となって砕け散り、空間に消えていった。
アダムの最後の「意識」が、完全に消滅したのだ。
その瞬間、機械室全体が、激しい振動と共に揺れ始めた。天井から瓦礫が落ち、床に巨大な亀裂が走る。
「まずい!センター全体が、自己破壊を始めたわ!アダムの『残滓』が完全に消滅したことで、システム維持のためのプロセスが機能しなくなったのよ!」シラカバが警告した。「咲!ユズリハ!すぐに脱出して!」
咲は、その場に膝をつき、大きく息を吐いた。彼女の左腕の痣は、完全にその輝きを失い、ただの黒い模様に戻っていた。だが、その表情は、達成感と安堵、そして、ほんのわずかな悲しみに満ちていた。
「ユズリハ先輩…終わった…」咲が、か細い声で呟いた。
「ええ、終わったわ。咲。よくやってくれた」ユズリハは、咲を抱きかかえ、崩壊し始める機械室の奥へと目を向けた。
「シラカバ、脱出経路は!?」ユズリハが叫んだ。
「メインフレームの奥に、緊急脱出用の地下トンネルがあるわ!そこから、外部へと脱出できるはずよ!私は、最後のデータ回収を行うわ!」シラカバの声が、無線越しに響いた。
「シラカバ!危険よ!」ユズリハは、再び無線に叫んだ。
「大丈夫!あなたたちは、生きて…私たちの『撃つ意味』を…未来へと繋ぐのよ…!」シラカバの声は、決意に満ちていた。
ユズリハは、咲を抱きかかえ、崩壊する『都市型総合情報処理センター』の最深部を後にした。背後からは、轟音と共に、アダムの最後の「心臓」が、静かに崩れ落ちていく音が聞こえた。
地下トンネルの中は、暗く、先が見えない。しかし、ユズリハは、迷うことなく前へと進んだ。彼女の腕の中には、この世界の未来を担う、小さな命が抱かれている。
アダムの「闇の残響」は、これで完全に消え去った。彼の「秩序」は、二度とこの世界に現れることはないだろう。しかし、彼が残した教訓は、ユズリハたちの心に深く刻まれた。
暗いトンネルの先に、かすかな光が見えてくる。それは、長く続いた戦いの終わりを告げ、新たな未来の夜明けを予感させる光だった。




