第五部「硝煙に咲く影」
午後四時、都内・墨田区。
薄曇りの空の下、倉庫街の一角で異常な電波障害が確認されていた。
「通信が途切れてる。ドローンも強制帰還……」
葉山ユズリハは、建物の屋上から観察していた。
黒いジャケットに制服スカートという奇妙な組み合わせのまま、腰にはSIG SAUER P320がホルスターに収まっている。
背後のイヤーピースから、オペレーター・シラカバの声が入った。
「今回の任務はあくまで偵察。発砲は最終手段だ。セラフは?」
「接続済み。感情同期は低レベルで維持中」
「いい。突入は予定どおり、南側の搬入口から──気をつけろ。“赤い外套”が出てるらしい」
「……《ルカ・アーク》の尖兵、《スカーレット・コード》か」
**
倉庫内部は、ひどく静かだった。
床には油がこびりつき、鉄骨には銃痕が残る。
壁に貼られていたのは、1枚のポスターだった。
「神の構造は、世界の破壊によって完成する」
──ルカ・アークのスローガン。
「破壊によって救う?そんなものに、誰が従うの……」
そのとき、背後に足音。
ユズリハは即座に身を翻すと、銃を構える。
「動くな」
そこに立っていたのは、10代半ばの少女。
長い赤髪に、漆黒のフリルのような法衣。
手にはFN Five-seveNを持ち、冷たい瞳でユズリハを見ていた。
「貴女が、ユズリハ」
「……あなたは?」
「私は《クララ》。神の言葉を伝える“花嫁”」
ユズリハは距離を測る。8メートル。
五七弾は高速で貫通力が高い。ホローポイント弾では相殺できない。
「この場所に、何を──」
「神の目を、植えているの。東京中に。見られ続けることで、人は罪を忘れなくなる」
「そんな監視は、正義じゃない」
「でも、君は引き金を引く。その矛盾こそが、美しい」
──言葉の途中で、クララが動いた。
ユズリハも同時に撃つ。
パン、パン、パン!
金属の響きが交差する。
だがクララは信じられない身体能力で跳び、棚を蹴って宙を舞う。
「……この動き、薬か?」
「《ハルマゲドン・フォーミュラ》。“セラフ”を模倣した神経投薬だよ」
「模倣……!」
ユズリハの脳裏に、封印した記憶がよぎる。
プロトタイプ、自分の起源、そして“造られた命”という烙印。
だが今は迷わない。
「撃つ理由」がある──目の前の少女を止める。それだけだ。
**
一瞬、セラフの声が響く。
「彼女の脳波パターン、異常です。感情制御が、切断されている」
「つまり、“殺すことに迷いがない”ってこと……」
至近距離。クララが突っ込んでくる。
ユズリハはP320を逆手に構え、壁を蹴って宙返りしながら回避。
パン!
一発がクララの腕を掠める。だが彼女はひるまない。
撃たれたことにすら、感情がない。
「やっぱり、あなたも“心”を消されてる……」
ユズリハは思わず叫んだ。
「そんな風に、誰かに“正義”を教えられて、そのまま従って……それでいいの!?」
クララの動きが、わずかに止まった。
その瞬間、ユズリハは距離を詰め、壁に彼女を叩きつける。
パン!
P320の銃口が、彼女の左足を撃ち抜いた。
「これ以上、誰も見せ物にさせない。……私が、止める」
クララは崩れ落ち、わずかに目を細めた。
「……“見てた”?わたしの中を、見てた?」
「違う。……“理解しようとした”だけ」
クララは、微かに笑った。
「君の目……まだ、ちゃんと人間の目だね」
**
倉庫は無人となり、夕方の雨がまた静かに降り始めていた。
ユズリハは、クララに拘束用ワイヤーをかけ、通信を再開する。
「──対象確保。発砲1、重傷1、命に別状なし。これより帰還する」
「了解。おかえり、ユズリハ」
通信の向こうで、シラカバがそう言った。
帰り道、ユズリハはポケットから小さな折り紙を取り出した。
クララが、最後にポケットに入れてきたものだった。
中には一言だけ、こう書かれていた。
「もう一度、“わたし”になりたい」
彼女はそれをポケットに戻し、空を見上げた。
「わたしも、そうだった」
そして歩き出す。