第七話
ランヴィ邸が遠目に見えたところで轟音が響き渡る。
陣が強引に突破されたらしい。
周囲の人々が突然の破壊音にパニックになっている中、的確に人の合間を抜けていく。
まさか、日中のしかも住宅街で暴挙にでるとは思っていなかった。
法具をそれだけ重要視しているのか、それとも陣から時間はかけてられないと判断したのか、とにかく俺の活動も制限されるだろう。
そう間も無くレッドウルフの誰かがやってくるはずだ。
街中でのテロ活動やもしれぬ事態、そもそも変死事件が起きたばかり。
出くわすのは極力避けたい。
「待て!」
玄関付近には黒いローブに身を纏った人間が四人、中にーーランヴィの近くにいるーー一人の計五人だ。
男の様子を探りにきただけの人数ではない。
絶命するまでの間、変わった事はしていなかったのに緊急事態だと伝わっていたようだ。
「ちっ」
中にいる人間はランヴィを抱え、壁を破壊して飛び出した。
視界の端に映る姿は男にも女にも、巨体にも華奢にも見える。
認識阻害の術を使っているのだろう。
加えて軽やかに飛び去っていく姿から他の術の同時展開もできるようだ。
あれが男が言っていた“首領”なのだろうか。
とにかく、追いかけなければと走り出そうとするが、目の前の敵達が許してくれるわけもなく。
「「「「怨!」」」」
四人同時による陰の気を増幅させ、相手の体内から気を奪い去る術は、相応の強制力がある。
しかしーー、
「なに!?」
一人が驚愕の声を上げる。声からして男だろう。
「馬鹿、な……」
その右隣の人物も声を漏らす。女のようだ。
「化け物め……!」
潰れた声で苦々しげに吐き捨てる。術の負担を一手に受けているのか、血の混じった声だ。
捨て駒か、リーダーか……前者か。
「やはり、緑心真力の……」
落ち着いた様子で仲間を庇うように一歩前にでる男……こいつがリーダーだ。
「首領が警戒するわけだ。私達の力ではかすり傷一つ負わす事はできないだろう」
男は手を挙げ、後ろの仲間達へと合図を送る。
すると、戦闘態勢にあった四人は即座に撤退を決め込む。
「……次元が違いますね」
「お人好しではないんでね。大事な情報源を逃すわけないだろ?」
話している間に、五人の影に陰の気を流し込み、行動範囲に制限をかけていたのだ。
縛り上げようとすると気付かれる恐れがあるが、これなら短時間かつ隠密に事を運べる。
「印も組まずにこれほどの術を……尊敬に値します」
「世辞は良い。お前らの本拠地を教えろ」
認識阻害の術は使っているものの、そろそろ野次馬達に顔を覚えられる恐れがある。
ただでさえ、時間経過で効力が下がるのに目立ってまでいる。
……五分が良いところか。
「わかっていると思うが、虚偽は通用しない。……この術下でそんな事をしてみろ。地獄の苦痛に苛まれるぞ」
「……真言の術、ですか」
真言の術は、説明した通り術者の問いに真を答えない場合、神経痛に近い痛みを与えるものだ。
強力な術故に破られた際の反動が大きいため、主に格下相手に使われる。
「私……いや、これも全員ですか。速い上に恐ろしく静かだ」
「……四人に問う。お前らの本拠地はどこだ」
「はっ! そんな事誰がぐあああああっ!」
「ヨルト!?」
男が一人地をのたうち回り、やがて口から泡を出して気絶する。
「仲間を裏切れない、か。良いぜ、嫌いじゃない。俺なんか耐えられる気がしないぜ」
嫌らしく笑ってみせると、リーダー以外の二人はごくりと喉を鳴らす。
どうやら、あいつらからは情報が取れそうだ。
……一番小さいので良いか。運ぶの楽だし。
そう判断し、他の二人を気絶させるべく、手に力を込めた時だった。
「わかりました」
リーダーの男がうやうやしく頭を下げる。
「ッ! お前、何を言って!」
「ボスを裏切るつもりか!?」
くそがと内心舌打ちをする。
折れかけていたのは二人で、こいつの心は微塵も揺らいではいなかった。
だが、あえて降伏する様を見せる事で三人の激情を煽り、決意を思い起こさせたのだ。
これでは、あいつらからも情報を得るのは難しい。
「……では、捨ててもらいましょう」
次の手を考えている時の事だった。
リーダーの男はそう呟くと指を鳴らす。
そう難しい術ではない。ただのスイッチのようなものだ。
陣を発動する時などに使われるそれは、軽やかに辺りを駆け抜け……四つの死体を作り上げた。
「……そこまでやるかよ」
目の前で起きた狂気の沙汰と呼ぶに相応しい末路。
知ってか知らずか四人の心臓には一つの術がかけられていた。
自殺装置とでも呼ぶべきだろうか。
心臓の動きを増幅させるーー身体を強化する術を悪用し、血管を破裂させ、己が命を終わらせる。
強制させる術ではないため、一人一人の決意が必要だったのだろう。
先程の行為は折れかけた心を支えるためではない。最後の手段を取るために行ったんだ。
物言わぬ肉の塊と化したリーダーの男に恐怖の念を覚える。
「これが“恨む”って事なんだな……師匠」
遠い昔に投げかけられた言葉を思い出し、この道を歩んだ世界もあったのだろうと虚しくも、切なくなる。
「そこまでだ!」
呆けていた時間は数秒程度だった。
だが、その時間が命取りとなる。
突如として背後に現れた強大な気配に即座に戦闘態勢に入る。
「……ラグ、ナ?」
「レイヴンか」
レッドウルフ第四師団師団長レイヴン・クルセルフは、信じ難い者を目にしたと言わんばかりに動揺している。
その理由は俺の背後、四つの死体のせいだろう。
「君が……いや、そんなはずは……」
状況からして俺がやったようにしか見えないにも関わらず、レイヴンはその可能性を否定しようと被りを振る。
相変わらずお人好しだなと口元を緩め、事態を説明しようと口をーー。
「何をしている」
しかし、ついで現れた人物を見て開きかけた口を閉じる。
鋭い眼光、威風堂々たる姿、空気を震わす存在感ーーレッドウルフ第一師団師団長にして総隊長であるベルセルク・キーフォードは、レイヴンを促す。
「直ちに賊を捕縛せよ」
「そ、総隊長」
彼が恐れられている理由の一つは、国を守る盾にして矛であり、その信念は“疑わしきは罰せよ”だからだ。
冤罪よりも万が一にも国家転覆の危機があってはならないという彼の考えは一理ある。
だが、疑いをかけられる方からすればたまったものではない。
逃げるしかない……。レイヴンの目もそう言っていた。
しかし、俺を簡単に取り逃がすとレイヴンまでも疑われる可能性がある。
「おうおうおう。大物が二人も出てきやがった」
考えはすぐにまとまった。
そもそも、この事態を全く考えなかったわけではない。
最悪のケースとして事前に振る舞い方は決めてきたのだ。
とはいえ、ランヴィやらテロリストの事は想定外だったが。
「随分とまあ物々しい事で……何かあったのか?」
我ながら悪役が似合う。
ベルセルクはわかりやすく殺気立つ。
レイヴンはまだ頭が整理できていないのか、困惑しつつ、俺との距離を測っている。
「私がやる。クルセルフは中の確認を」
「ッ! は、はい!」
心の内を見透かしたのか、それとも自分がやった方が確実と考えたのか、ベルセルクが前に出る。
その手に握られている大剣は数多の血を吸ってきたのだろう。
「死ぬなよ……」
脇を抜ける時、聞こえるか聞こえないかぐらいの声でレイヴンが囁く。
俺がテロリストではないと判断した……いや、ただ単に性格か。
ランヴィと仲違いしてから国を出るまで、唯一友達と呼べたのは彼だけだった。
俺と仲良くする事で自分も標的にされたというのに、いつも笑顔を浮かべていた心強い男だ。
「一人で十分ってか? なめやがって」
「よく吠える」
ベルセルクの登場は思えば渡りに船だった。
レイヴンとは違って最悪殺してしまっても心は傷まないからだ。
状況が悪化するため上手くやるが。
「地獄で後悔しな!」
あくまで三下と油断を誘うため、演技をしつつ、強烈な光で目をくらませる。
こちらからはベルセルクの強大な気配は目を瞑っていても場所がわかる。
「甘い」
しかし、相手も歴戦の猛者、向かってくる気配を確実に読み取り、大剣を振り下ろす。
持ち手の力量を示すかのように眩いばかりの魔力に包まれたそれは、全ての命を刈り取らんばかりの一撃だった。
「流石は歴戦の猛者」
奇襲、奇策にやられるようでは大陸に名は轟かない。
だからこそ、これは効くだろう?
「むっ!?」
流石はベルセルク・キーフォード、頭上から時間差で襲いかかってきた風の刃を、剣の軌道を強引に変える事で切り裂く。
本体の攻撃は分厚く纏っている魔力障壁で防ぐ事ができるとの算段だろうが……。
「ぐっ……!」
俺の拳は障壁を貫通する。
「仙術か……!」
「ご名答! ーーもう一発!」
衝撃で体が浮き上がったところに追撃をかける。
咄嗟に左腕を入れ込む事で直撃を回避したのはが、その代わりにしばらくの間は使い物にならないだろう。
「お前……何者だ」
ただ排除すべき路傍の石からちゃんとした“敵”にランクアップしたようだ。
ベルセルクは、用心深く構えながら探るような目でじろじろ見る。
「……どうやら、東方の者ではないようだな」
「生まれがどこかって話なら、お前と同じだぜ?」
俺の言葉にベルセルクは得心がいったとばかりにニヤリと笑う。
「魔力を持たぬ異端児。所詮はおとぎ話と思っていたが……認識を改める必要がありそうだ」
「おとぎ話だろ。仮に何か不幸があったとしても、身から出た錆だ。責任転嫁する暇があるなら己を省みな」
魔力0、それだけの理由で俺はこの国を追われた。
本来、追放された者がこの街に入る事はできないのだが、アーヴァン家に属していたが故に、表沙汰にするのを避けた結果、こうしてこの場にいる。それだけだ。
全てはあいつらの都合でしかない。
「では、追放された身で何故この場にいる」
「帰ってくるなとは言われていなかったんでな」
饒舌なのは左手が回復するまでの時間稼ぎ、またはレイヴンが戻ってくるのを待っているのだろう。
だが、生憎レイヴンが戻ってくる事はそうそうない。
良くも悪くもクソ真面目な彼は、中の状況把握に時間をかけてしまう。
「ごたくはそれでおしまいか?」
「……ああ」
ベルセルクは、ゆっくりと口を動かす。
ーーお前の命がだ。
瞬間、頭上から幾千もの魔法が降り注いだ。